今ここに在ることを感じられる時
昨日、今年もこれで最後になるだろうということで、家族で鳥取県内にある鹿野町、鹿野公園まで花見に出かけてきた。
コロナの影響もあって、出店などもなく、それがためにむしろ静かな花見を楽しむことができた。
これまでは、春の桜を見ると、心がワクワクと気持ちが高ぶっていくことが多かったのだけれど、昨日の花見はとても静かで落ち着いた気持ち。
そして、心はこの瞬間を捉えたいという思いに集中していた。
公園内を歩いていくと、鳥居がある。以前にも何度か歩いたことはあったのだけれど、桜の時期に来たのは初めてだったかもしれない。
以前に見ていたのと同じ風景のはずなのに、桜が添えられることで、何故か見え方が違ってくるように感じられるから不思議だ。
鳥居の奥深くに続く闇を見ながら、何か目に見えない存在を感じられたような気がした。
そして、「今ここに在ること感じる」ということについて思った。
マインドフルネス関連の本を読むと、「今ここに在ることを感じられること」がとても大切な概念なのだそうだ。
これは頭では理解できても、実感として持つのは難しい。
仕事のことやら、子育てや家のこと、食べたいこと、やりたいこと、日々雑事や煩悩でいっぱいになっている頭や心。
瞑想法や呼吸法も試してみたり、あれやこれやとやってはみたけれど、あまり効果を実感することはなかった。
でも昨日、明日には散るであろう桜を見ながら、ふと「今ここに在る」ということを一瞬でも感じられたような気がした。
時も命も有限で、自分に出来ることにも限りがある。
日常は無限に続いていくように見えてしまうけれど、改めて今という時の有限性について、そして、あるものがこの世界に存在するということの偶然性について考えさせられた。
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