「わかりあえない」所に橋をかける
昨日は、ある町の町長さんと話をしていて、職員の人材育成の話になった。
町長の話では、「最近入ってくる若い職員は、大学も出て、本当に優秀な子が多い。ただ一方で何か根本的なものが欠けているように感じる。」とのことだった。
その根本的なものとは、「住民と円滑にコミュニケーションを取ることができる能力」のことらしい。
役場では、様々なルール、規則に則って仕事が行われる。それをそのまま住民にも当てはめてしまうと、自ずと摩擦が起きる。それをうまく摩擦が起きないように処理していくのが、行政マンとしての腕の見せ所だというのだ。
これは考えてみれば、かなり高度なコミュニケーション能力だと思う。恐らくAIには真似が難しいところだろう。地域住民毎、あるいは場面毎にいろいろなケースが考えられるため、場合分けやパターンが無数に存在するのと、時に、規則に反する言動も想定されるためだ。
人間の情動や場の空気など、こうしたものを感じ取れる力が大事ということなのだろう。
ただ一方で、これはなかなか難しいことだと思うし、役場の職員だけの問題でもないように思う。
コミュニケーションというのは、当然のことながら、相手があって成り立つわけで、相手、つまりここでいうと地域住民の側にも、もしかしたら何らかの問題があるかもしれない。
その町では、高齢化率が45%を上回るような地域も多く、役場の若手職員は自分達の親世代あるいはお爺さん、お婆さん世代を相手に仕事をしなければならない。
自ずと世代間ギャップはあるし、そのギャップを埋めることを役場職員だけに求めるのも酷な話だと思う。
住民からすると、税金を納めているのだから、役場はちゃんと仕事をしてくれなければ困る、というのが大方の論理だと思うし、私もそう正直そう思ってしまう時がある。
でも、行政と一緒に仕事をしていて感じるのは、多くの行政職員は基本的に真面目で、住民目線に立った仕事をしようと思っている人も多いということだ。
他者との間に横たわる溝に橋をかけていく
これは宇田川さんが書かれた名著「他者と働く」の中でも紹介されていた言葉だ。
やはり住民と行政との間に、お互いに橋を積み重ねる作業を地道に続ける時間が必要なのだろう。
この話題については、以下の本がお薦め。