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大学生が、「働く」ということを少し真面目に考えてみる

慶應義塾大学総合政策学部 長谷部葉子研究会 Order Made Community所属
3年 松浦 嵩

はじめに:
私は、大学生活をかけて「働く」ということについて、考え、問い直してきた。「働く」ことに関連する授業はほとんど履修し、イベントやワークショップにも数多く参加してきた。
およそ2年間研究活動を続けてきた中で、多くの紆余曲折があった。研究テーマから、研究している意義まで、捉え直す必要が出てくる期間もあった。
しかし、この2年間を通して研究活動において、一つ揺らがない「軸」があった。
それは、「『働く』ことを考えることは『社会並びに社会貢献』を考えることである。」ということだ。もちろん、学生にも何かしらの社会貢献並びに、社会に対して訴えかけていくことは可能だ。しかし、社会を構成している多くは、「社会人」であり、彼らの意識変容・行動変容は、社会を変えていくことにダイレクトにつながっていく。
このような視点を携えながら、松浦は何を考え、行動し、未来に繋げようとしたのか(しているのか)を見ていただけたら、幸いである。



歴史から紐解く、「働くこと」と「社会」

まず、「働く」ということが社会的にどのような意味を持つのかを、歴史を振り返りながら見ていくことにする。

奴隷の苦役としての「働く」

古代ギリシャのポリスでは、労働は人間の生理的欲求を満たすためのものとして、軽蔑されていた。労働は神から与えられた「罰」としての側面も強く、食物を作る農耕作業などの労働は奴隷が行っていた。

中世の労働:労働と宗教の結びつき

中世では、労働と宗教の関係性も深いものであった。ただ、宗教によっては、労働を肯定的に捉えることも多くなっていった。使徒パウロの新約聖書の中に登場する言葉は「働きたくない者は、食べてはならない」である。そしてこの頃から、労働は祈りや瞑想と同じように、重要な行いに変わっていった。

近世:神と労働の強い結びつき

この頃から、神の偉大さを「労働」によって証明しようという動きが生まれてくる。そして、禁欲と勤勉な労働によってもたらされる富の増大をも積極的に肯定する考え方も生まれた。これは、のちの資本主義につながる考え方であるとともに、市民にとってわかりやすい格差も生まれ始めてきたのもこの時期だった。

労働の世俗化

市民革命により、人々が経済的自由や政治的平等を手にすると、宗教理念と労働は切り離され、一気に世俗化が加速した。そして、市民革命と資本主義が結びつき、経営者と労働者(工場労働者)とにくっきりと分けられる構図になっていった。

サラリーマンという概念の登場

歴史上、多くの出来事、世界大戦などを経て、企業に雇われて労働を行う「サラリーマン」が存在するようになった。彼らの就労意識は、「悪くない給料とまずまずの年金、そして自分と限りなくよく似た人達の住む快適な地域社会に、そこそこの家を与えてくれる仕事に就こうとする」(ウィリアム・H. ホワイト『組織の中の人間-オーガニゼーション・マン』1956年)であり、これが今の「社会人」の大多数を占める意識ともよく似通っていることを抑えておく必要がある。

このように、労働と社会は常に密接な関係性のもと、時代背景とともに変化を遂げていった。とするならば、労働のあり方の変化は、社会の変化の「鏡」ともいうことができそうだ。「働く」ということを考える上で、まずこのことを抑えておきたい。

労働を「知性の発露」とする考え方


ジョン・ラスキン(1819-1900)

ここで、キャリアに悩む大学生に向けて興味深い考え方を紹介したい。ジョン・ラスキンの唱えた、「労働を知性の発露」とする考え方である。労働は本来ならば、苦痛を伴うものである。しかし、「労働を知性の発露」とする考え方では、自身の才能や能力・努力からなる知性を、社会貢献するための手段として用いる/表現することができると解釈することが可能だ。

私は、同じ大学生として、今の大学生の多くは、実感からキャリアや働くことに関しての不安や悩みを抱えていることが多いと感じている。特に、「知性」を保有している大学生にも関わらず、「働く」ということをネガティブに捉える学生は多い。キャリアの入り口の前に立つ大学生には、知性が備わっている人間だからこそできる社会貢献のあり方として、労働を捉えていってほしいと心から願っている。社会人として活動することは、自らの能力や知識、経験を表現できる絶好の機会であるということを忘れてはいけないと思う。私は、この考え方の伝播が、のちに社会貢献という形を通して、社会を変えていくきっかけにつながっていくと考えている。

大学生が「働く」を考える意義

松浦嵩2023秋学期最終個人プレゼン

ここからは、大学生である私が「働く」ということを研究している意義や意味について考えていきたいと思う。まず、「学生」という立場は、「学校に入学して、知識を学んでいる者」と定義できる。とするならば、「社会」に対して何かアクションを起こす必要はないのか?私の考えは、ノーだ。特にSFC生であるのであれば。この理由については、文章全体から、そして私の過去の著作から感じ取っていただければ幸いである。そして、私は、学生特に大学生が社会に対して考える際には、大きく二つのアプローチ方法があると考える。
一つ目は、学生のうちから学生本人が、社会について考え、問い直し実践していくことだ。例えば、一番わかりやすい例が起業である。私が通っているSFCでは、多くの学生が社会課題を解決するべく、起業し小さい規模感であっても、変化する社会に一石を投じる活動を行っている。究極は、就職活動も「どのように社会貢献していけるか」という問いをひたすら考える活動であるため、学生ができる「社会的実践」であると言える。(ここでの社会的実践とは、社会に対して考え、変化を起こしていくこと、並びに、変化を起こそうと準備するプロセスも含める)

松浦嵩2023秋学期最終個人プレゼン

二つ目は、今の社会を構成する当事者である社会人を介すことによって、社会人の行動変容を起こし、社会について、問い直していくことである。大学生が社会人の方々と、「協働」することやコミュニケーションをとることによって、新たな知見や考え方/価値観がそこに生まれ、大人(社会人)の考え方が変わり、行動変容を起こす。その行動変容は、結果的に大学生や子供たちなど、多くの方々を巻き込んだソーシャルトランスフォーメーションに繋がっていくという考え方だ。これはまさに、私が所属する長谷部葉子研究会におけるフィールドーワークで実感できる。たとえ小規模であっても、私たちの理念やビジョンに共感できる大人の方が、協力してくださり、共に協働していくという例は、この研究会において多数存在する。後ほど、私自身のフィールドワーク体験から、その例を紹介したいと思う。

私は、このように大学生、特に「知性をある程度保有できているような、幸運な」学生は、ただ「学校に入学して、知識を学んでいく」という受動的な学びではなく、「学んだ知識=知性を、いかにして社会に活かしていくか」ということを能動的に考える必要があると考えている。
私が所属しているSFCの中の、長谷部葉子研究会では、全員が能動的に「社会」について考え、日々議論を交わしている。私の体感ベースであるが、学生には知識(知性)を保有していても、それを活かす場所、機会がない場合が多いと考える。
私自身、このような場所に巡り会えたことは幸運ではあれど、大学(教育機関)の役割も今後は問い直される時代が来るのかもしれない。そこで、私の所属する長谷部葉子研究会についても、少し触れていきたいと思う。

開かれた学舎である「長谷部研」の存在

長谷部葉子研究会ORF(Open Reserch Forum)

現在の日本社会における大学の役割とは一体なんだろうか?
私は、大学全入時代の現在、大学の役割を問い直す必要があると考えている。
まず、私が現役大学生として他の大学の学生と話している際に、実感ベースで大学に対して感じていることは「どうやら大学は、いつからか就活塾になってしまった」ということである。もちろん、大学を出た先には、働くことを通して社会に貢献していくための手段・通過点として就活があることには間違いない。しかし、大学は「教育機関」であり「研究機関」であることが大前提にあって、その上で個々人でキャリアや社会について問い直していくことが求められる組織である。
幸い、私の通っているSFC、ならびに長谷部研ではこの要素全てが詰まった、まさに大学生にとっての「本当の学舎」であると断言することができる。

SFCの授業の特徴

私は、SFCに3年間計6学期間、通い続けることができた。そして今日までに、人文科学からテクノロジーまで多くの学問領域を履修した。その中で、一つ印象的だったのは、「SFCが考える学び」から生まれる大学授業のあり方である。これは、私が本で読んだ情報ならびに、友人に見聞きしたことに限るが、SFC以外の大学授業は、いわゆる学生にとって「つまらない」ことが多いと聞く。
まずは、「つまらない」の言葉の意味を問い直してみる。つまらないは「詰まらない」から派生しており、大きくは四つの意味が挙げられる。

1 おもしろくない。興味をひかない。
2 とりあげる価値がない。大したものではない。
3 意味がない。ばかげている。
4 それだけのかいがない。ひきあわない。

デジタル大辞泉

大学の授業を「つまらない」と判断しているのは、学生である。では、なぜつまらないのだろうか?私が考える大きな理由は、「授業をしている教授は、教育的な専門家ではないから」である。大学教授は「研究」を通して、社会貢献を実践している。そのため、授業における学生を教育するためのノウハウは少ない。具体的には、「学生視点では、授業は作られることが少ない」ということである。そのため、「長々ととっかかりにくい研究の理論を、120分話されても、こっちとしても困る」というのが、学生の言い分だ。ただ、「半学半教の精神で実践知と想像する力を養う」慶應義塾大学SFC、ならびに「社会のソーシャルトランスフォーメーション」を『協働』により実践する長谷部葉子研究会において、そのような言い分をする学生を私は見たことがない。まず、SFCの授業では、大半が少なくとも一回はグループディスカッションならびにパネルディスカッション、ケーススタディなど、「大学生自らが当事者として授業テーマについて考える機会」が必ず用意されている。そのため、授業時間も一切の気を許さず、常にフィールドワークノート(学びをまとめるためのノートやドキュメント)に「気づき」をメモする。そして発言する番になると「あなたは何がしたいの?どうやって考えた?なぜそう考えたの?」と、担当教諭だけではない、授業に来ていた大学院生や大学生(後輩も含む)からも常に自らの考えを問い直される。これは「何かを学びたい、社会に活かしたい」と考えている大学生にとって、刺激的な経験であり「もっと議論したい、考えたい、実践したい」という思考の変化をもたらす。段々と大学の授業が「詰まって」くるのである。(SFCの授業の特徴は、実は他の大学に潜り込むことで、初めて「うぁ!SFCの授業と全然違うじゃん!」と非常に驚いたことで、初めてその特色や良さに気付いた。内部にいるとそこまで実感できない要素も、外の世界に自ら足を踏み入れることで、自身の環境を客観視することができた、非常に良い例であると思う。これは留学やフィールドワーク滞在などにも言えることだと思う。他の大学の授業に潜入することもある種、フィールドワークなのかもしれない。正式に認められているのかはわからないけれど笑)

長谷部葉子研究会の授業の特徴

長谷部研授業風景

そして、長谷部葉子研究会の授業は、現在の大学授業の在り方全体を問い直す、パイオニア的な授業であると考えている。基本的に長谷部研の授業は、先生が干渉することなく、学生が当事者として、0から作り上げる。この授業のあり方は、まさに激動の社会において明日何が正解なのか、もはや正解も日々移り変わっていくような現代において、学生たちの力を最大限引き上げる授業設計になっている。授業も、ディスカッションとピッチ(プレゼン)は各学期で必ず存在し、研究会メンバーから常にFBをもらう。そのFBを元に、個人研究ならびにプロジェクトワークを再構築し、また実践、フィールドワークに出かける。そして、研究会授業において、先生は決して「正解」を与えるのではなく、「学生が学びに溢れるような環境」を整備することに注力している。そして、私が長谷部研授業の中で、もっとも大きな特徴の一つの考えているのが、「誰にとっても開かれた学舎であること」である。毎回の長谷部研の授業には、聴講生(長谷部研やSFCに興味を持ってくださった中学生から大学院生まで幅広く)と研究員の方々(SFC研究所所属の方々)、さらには関連している先生、研究者、ビジネスパーソンなどが、最低1人は必ず訪れる。彼らは、決まって最後の挨拶で、「長谷部研の授業はものすごく刺激的でした。」「非常に学びあふれた時間でした。」「このような学びができる研究会メンバーが羨ましいです。」などの言葉を残す。この「開かれた学舎」は来てくださる来訪者の方々にとって学びになっていることはもちろん、私たち大学生にとっても、多大な効果を与えていることをここで言及しておきたい。

大手町3×3Lab

私は、今学期長谷部研授業に来てくださった多くの方々(特に、すでに働いている社会人の方々)とお話しさせていただく機会があった。その方々は、私自身の価値観や思考を変えるようなイベントや施設を紹介してくださることや、専門分野の人に繋いでくださることなどを通じて、私に対して最大限の「教育」をしてくださった。そしてアドバイスを受けて、私自身の個人研究における視野も広げることができた。私と関わってくださった大人の方々には、感謝しても仕切れない。2023年秋学期は、SFC、長谷部葉子研究会という学びの場において、私の個人研究が、さらに「シンカ」を遂げ、研究を通して私自身が「社会」との接点を強く意識する一学期であった。

「働く」は3つ要素で考えられる

2023秋学期個人プレゼンスライド

個人研究における「シンカ」において、もっとも大きな進展は、「働く」ということをおおよそ3つの要素に分解したことだ。これによって、視野を広げることができ、個人研究として何を見定めるべきかを明確にすることができた。
今までは「働く」を考える際、「ワーケーション」関連、すなわち「働き方(労働環境)」分野でフィールドワークや先行研究の調査をしていたために、この視点でしか「働く」ことを捉えることができなかった。しかし、おおよそ3つの要素分解したことで、「働く」を考える際に(最終的に、研究テーマが働き方・労働環境の分野に落ち着いたとしても)特定分野以外にも多くの要素があることや、それらの要素が複雑に絡み合っていることを理解できた。

①働く上での制度/仕組み

引用:「雇用問題研究会」(2)日本型雇用を考える 小熊英二・慶應義塾大学教授@日本記者クラブ-
「文献:日本社会の仕組み」を紐解きながら-

まず初めに、「働く」を考える際には「制度や仕組み」を考える必要がある。日本型雇用の大きな特徴として、(1)終身雇用(2)年功序列が挙げられる。大学を卒業した後に、「新卒」として一括採用され、そこからは40-50年間同じ企業で勤め上げるというキャリアが、つい最近までは一般的だった。また、まだまだ企業によっては年齢によって年収や序列が定められている場合も多い。この体制に対して、多くのメリットデメリットがあることは皆さんも存じ上げている通りだ。しかし、私はこの体制は、「とりあえず、まあ」人間をたくさん作り出す仕組みだと考えている。

引用:松浦嵩2023年度OMC個人主催授業
「大学生×働くを少し真面目に考えよう」

この「とりあえず、まあ人間」をわかりやすい言葉で言語化するのであれば、「もうすでにキャリアの理想なるものが決まっていて、あとは受験や就職などの既定ルートに乗れば幸せになれる。だから、個人ではなく常に『組織』視点で物事を見てきた。」という考えを持つ人間だ。そう考えてしまうのも、無理はない。終身雇用で身の上が保障されている上、年功序列で歳を取ればとるほど個人にメリットが大きい制度において、わざわざ個人でレールから外れることは、あまりにもハイリスクであるからだ。
さて、これが日々変化に晒されている、激動の時代となるとどうか。私は、「働く」ことにおける制度や体制が次第に『個人』に向けられたものになると考える。
今ある組織がいつ無くなるのか、いつ崩壊を迎えるのかが不透明な時代になってきた。そして、AIやlot技術、伝染病や自然災害などありとあらゆる予測できない変数によって、私たちの「生活」も変化している。だからこそ、人間は「生活」を本気で考え始め、問い直す時代にもさしかかってきている。

引用:2023秋学期火曜2限「キャリア開発論」

そして私は「組織」に依存しないキャリアが、実は本当の「安定」なのではないかと考える。この変化の多き時代には自らで市場価値を高め、卓越した能力やスキルを磨くことで、どの組織からも必要とされる人材になれるかどうかが重要だと考える。そして、「個人」主体でのキャリアは、それだけ個人で「問い直す」機会が多いということだ。自らの人生(原体験)の中で、社会に対して何を思ったのか。何を課題として強く実感したのか。そして、あなたは何を成し遂げたいのか。などを常に考えていくことが求められる。この段階から、個人のキャリアは「とりあえず」の域を超えた、個人が当事者として主体的にキャリアを開発するあり方/体制に変化していることに気づくことが重要だ。

引用:2023秋学期火曜2限「キャリア開発論」

前述した「大学生が『働く』を考える意味」は、この観点からも説明できる。大学生として、自らの人生で何を成し遂げていきたいのか。どんな社会貢献がしたいのか。を問い直すことで、「個人」としてのキャリアを考えることに繋がり、ひいては「社会」を考えることにも繋がる。そしてこの「問い直し」は、ある程度「とりあえず大学に入ろう」という志向性を持った学生にも、キャリア開発に対しての効果があることが先行研究で明らかになっている。

換言すれば,「とりあえず初職決定(時間順序の選択性)」と「キャリア・ビ ジョン」の正パスの有意性より,段階的に,かつ柔軟性を持って行動実践を積み重ねる経験とキャリア意識の涵養とが不可分の関係にあると考察できる。すなわち、自己変容に向けた自律性やモチベーション管理の重要性を説いたRyan & Deci (2000) を踏まえると,モラトリアム志向の入学者であっても,自己対峙の機会を持ち,当事者視点からキャリア・ビジョンを明確化したり, 初職を決定するという行動実践そのものがキャリア成熟に繋がるという解釈が可能となる。

大学生の曖昧な進路選択とキャリア成熟に関する縦断的研究
-中 嶌 剛-

そして、「個人」として社会と向き合っていくことを、もうすでに実践されている方が、東京から遠く離れた「口永良部島」で実践されている方がいる。峯苫健(みねともたけし)さんである。

峯苫健(みねともたけし)さん

峯苫健さん(以下たけしさん)は、口永良部島で漁師や工事現場監督として働く社会人である。一応、前提を確認しておくと、慶應SFCの長谷部葉子研究会離島プロジェクトは、たけしさんにプロジェクト初期から非常にお世話になっており、慶應生にとってみれば「恩人」の1人だ。たけしさん自身も、島の中では「頼られる存在」として島民の皆さんの心強い味方になっている。そこで、今回の滞在は2023年の4月から10月まで滞在していた阿部の勧めにより、私もたけしさんの家にお世話になることを決めた。そして、OMCとして今までの肩書を捨て、個人として、学べることを全て吸収することを誓い、東京を出て、島へフィールドワークに出かけた。
私は、12月滞在において、滞在における学びの中で、大きく二つの要素が非常に印象に残っている。

(1)たけしさんの、「仕事」に対する向き合い方
まずは、たけしさんの「個人」として仕事に対する向き合い方は、都心の社会人とは比べ物にならないほど「プロフェッショナル意識」が詰まっているものだった。
私は、滞在中たけしさんの漁を手伝わせていただいたので、その経験からの学びを記述していく。まず、明日漁に出かけるとなれば、自身の経験を頼りに、天候の予測と獲物のいる場所を風向きや条件から正確に割り出す。そして、漁に使う道具は一つ一つに不備がないかを手作業で確認し、片付ける際も、一個の数え間違いもないように心がけていた。理由として、道具に不備があれば、獲物がうまくかからないことや損傷部分以外にも傷がつくことなどが挙げられる。たけしさんは、これ以外にも様々な専門的スキルや知見をフルに活用し、仕事に向き合っている。

人口が100人程度の「島」では、「個人」として社会に何ができるかを常に問われることになる。「都心」では、自身が所属している組織に埋もれてしまい、「個人」として社会を考える機会がそもそもない場合が多い。「個人として、社会に何ができるか」を本気に問い直した時、たけしさんのような「プロフェッショナル」として活躍できると感じた。そして、「島」において島民は、島民全員が「何らかの」プロフェッショナルとして個々人の役割を全うすることで「生かし、生かされている」ことを実感しながら、生活する。島民の皆さんは、自分なりに人生の物語を紡いでいきながら、島社会の中で「協働」を実現している。

(2)たけしさんが考える大学生が島に来る意味

あるときふと気になって、私はたけしさんに、「たけしさんは、大学生が島に来て、何か意味があると思いますか?」という意味合いの質問をさせていただいた。その返答として、「俺らが大学生と関わることで、俺らの頭の中にはなかった考えとか知識とかが新しく生まれるんだ。俺らは島の中で生きているから、ある程度考えも固定されちゃうけど、外から大学生が入ってくることで、新しい考え方ができる」と伝えてくださった。なるほど、私たちは島にいくことで多くのことを学んでいるが、それは私たちだけではなく、島の人たちにも言えることなのだと気づいた。ここで前述した、「大学生が社会人にアプローチする意味」についてもう一度考えてみたい。島の大人の方々と、大学生が話す。(ここでは、大学生が一方的に島の人から学びを受け取っているように見える。)しかし、大学生も自分なりに問い直し、島社会を考え、島の大人の方々にそれを伝える。伝えることで、島の大人の方々の「行動変容」が起こる。その行動変容は島を変えていくことに繋がる、、、。私は、「社会を変える」ためには「社会に対しての影響力が強い働いている/社会貢献をしている大人」に対して何かを働きかけることが重要なのかもしれないと、この時改めて実感できた。

私が島を離れるときに、たけしさんが最後に言ってくださった言葉がいまだに忘れられない。
「人生は学びの連続だからな。日々勉強や。」

長くなったが、この章の結論をまとめると、
・現在は制度/仕組みにとらわれず、「個人」としてキャリアを開発し、問い直していく必要がある
・「社会で活躍する」ということは、「個人」が何かのプロフェショナルとして、社会の中で他者と協働することである
・口永良部島では、都心では感じられない「誰かに生かされている実感」や「社会の要素」などの非常にわかりやすい具体例を、島民の方々との関わりの中で獲得することができる(まだ島に行ったことがない人はぜひ行ってみてほしい👒)

②働く内容(業務内容、社会貢献の仕方)

引用:松浦嵩2023年度OMC個人主催授業
「大学生×働くを少し真面目に考えよう」

続いて、要素の二つ目である「働く内容」について考えてみよう。これは、業務内容とも言えるが、私は「社会貢献の仕方」という言語化で、この要素を考えてみたい。特に、この要素には、大学学部生の進路選択が大きな意味を持つことになる。所謂、新卒として社会にどう貢献するかということだ。もちろん、院進することで研究者を目指す学生、起業して事業を行う学生、海外でワーキングホリデーを実践する学生など選択肢としては数多ある。研究や起業、国際交流も立派な「社会貢献」であり、学生個人が成し遂げたいこととして、その道に進む学生も少なくない。しかし、多くの学生は「就職」という選択肢を選ぶ。就職では、自らに興味があることや問題意識を抱いている分野や業界を選ぶことができる。
さて、この進路選択(社会貢献の仕方を考え、選ぶプロセス)において、何が選択における決め手なのか。また、今の学生はどのように選択しているのか。私は、キャリアを学生とともに考える機会を通して、学生のこれまでの「原体験」が、進路選択において大きな意味を持つものだと考えた。

引用:松浦嵩2023年度 「大学生に向けたキャリア教育プロジェクト」
アンケート結果から抜粋

上記の結果は、日本の大学生25人に、今まで(生まれてから大学教育まで)の経験や原体験が進路選択の軸につながっていると思いますか?と質問した際の回答の結果である。(今回は、あくまでも「進路選択の軸」であることに注意してほしい。)結果としては、回答者のほとんどが、生まれてからの原体験や経験が進路選択につながっていると答えた。ただ、データが示す以上に学生の過去の強烈な経験や挫折や苦悩が「今」の彼/彼女らを作っていることを認識する必要がある。私の実感ベースではあるが、面談やワークショップをさせていただく中で、このような強烈な経験をしていればしているほど、自らの将来についてや社会についてを「深く」考えている学生が多い気がしている。「深く考える」例としては、個人の経験から課題意識を持った分野を大学で研究していることや、自らのキャリアの軸としてその経験から生まれた思いや考えを据えているなどが挙げられる。
そして、この原体験を言語化することを実践しているのが、まさに私が所属する長谷部葉子研究会である。私は、社会との接点が最も近い学生として「大学生」を例に挙げたが、これは中高生にも当てはまることである。例えば、長谷部研の中の羽後高校プロジェクトでは、羽後高校の学生に「キャリア教育」を行うことで、将来的にも新たな選択肢を提示することを実践している。私が、印象的だったのは11月に行われたSFC研修である。もちろん羽後高校の生徒がSFCに来ることだけでも意味があるが、それだけではなくワークショップや授業見学を通して、「生徒の自らの目で」学ぶということ、社会を考えることの実践は、彼/彼女の今後に非常に大きな意味を持つものだと感じた。

SFC研修

このように、結局今までの「生き方」がその人の人生を作り上げていき、キャリアを作り上げていく。「生きている」の中で、特に鮮烈に覚えている経験や苦悩こそ、その人個人を突き動かすものであり、ひいては社会を変えていく一要素となる。上記を踏まえ私は、起こった事象を過去から今、未来に至るまで「連続的に」捉えていくことが重要だと考えるようになった。

③働き方(働く環境)

2023秋学期最終個人プレゼン

そして、最後に働き方(働く環境)について考えてみたい。働く環境といえば、人と組織の面から様々な切り口で考えられるが、今回は「ワークスタイル(今回は、正社員、アルバイト・パート、派遣社員のような雇用形態を表現するのではなく、テレワーク、フレックス制度、フリーアドレスのような企業が実施している施策などを意味すると考えたい)」という意味合いで、考えてみたい。この意味合いでは、私の専門分野であるワーケーションの他にも、今は日本社会において多様な働き方が確立されてきた。そして、働き方も「個人」がデザインする時代へと変化してきている。特に、従来の働き方とは全く異なる場所や時間にとらわれないワークスタイルも増えてきた。そして、この「ワークスタイルの変化」が何を物語っているか。それは、私たち人間が今まで経験してきた過去の歴史を遡れば、「社会の変化」であることに気がつくと思う。

引用:松浦嵩2023年度 「大学生に向けたキャリア教育プロジェクト」
アンケート結果から抜粋

大学生のワークスタイルに関する志向性も変化が起きている。「将来的(おおよそ10年後-)にはどんな働き方がしたいですか?」という質問に対して、半数以上が「ハイブリットワーク(オフィスワークとリモートワークの両立)」と回答した。大学生は新しいワークスタイルを忌避せず、むしろ受け入られていると分かる。そして、私は将来の日本社会を作っていくのは、今の学生であり若者であることに着目し、これからの研究活動におけるテーマを確立した。

SFC最後の一年で「働く」ことを捉え直す

2023秋学期最終個人プレゼン

ここまでで、多くの要素を考えてきた。まとめると、
①「働き方」は「社会」の鏡であり、「働く」を考えることは「社会」を考えることにつながる
②大学生が「働く」を考えることで、社会人とは異なる視点から、ソーシャルトランスフォーメーションを起こしていくことができる
③自身の価値観や視野を変える、広げる、問い直すためには、開かれた学舎が必要。そして、実際に働いている大人の方々の視点は不可欠。開かれた学舎とは、まさに長谷部研であること。
④働くを3つに分けて考えることができる。今後の日本社会において、制度/仕組みでは「組織」視点ではなく、「個人」視点で考えていく必要がある。
⑤働く/社会貢献する内容として、確実に学生の「原体験」が結びついている。過去から現在、未来と連続的に物事を捉えることが重要。
⑥働き方(ワークスタイル)も「個人」がデザインできるようになった。「社会の変化」によってワークスタイルも日々変化している。
の6つを踏まえ、私が後SFC生活が一年の中、取り組んでいきたい研究テーマは、
「学生の働き方(ワークスタイル)に関する志向性から未来の働き方を考え、その社会的効果と意義を考察する」というものだ。
この一学期で、「正解」が日々移り変わる社会において、激動の時代を生きる我々が、社会の中で「働く」ことを捉え直すことは、ひいては「未来の働き方」、「未来の社会」を考えていくことに繋がると感じた。そして、未来の社会を作り出す今の若者の働き方(ここではワークスタイルという意味)の志向性から「未来の働き方」を考察し、そのワークスタイルが社会にもたらす影響や効果について考察したい。
このテーマを考える際に、私が研究することによる学問的価値や圧倒的な優位性、社会へのインパクトなどを総合的に考えた。私は「学生」であり、「働き方(ワークスタイル)」については、フィールドワーク等で「実感」からこの目で、多くのことを学び、吸収してきた。そして、「働く」ことを考えていくことが「社会」について考えることに繋がるという点を踏まえ、過去から現在、未来と連続的に「働く」を捉えることで、変化する社会の一要素でも考察できるのではないかと考えた。
スケジュール感としては、1年をかけて卒業研究論文を見据えながら研究に取り組んでいきたいと考えている。この研究の最終的な目標は、社会的効果や影響を考察していくことであるため、質的データ分析法(定性的)と統計的データ分析法(定量的)の両方が必要だと考えている。現在、私が保持しているデータとしては、学生の将来のワークスタイルに関する統計的データが挙げられる。このデータの分析を進めるとともに、質的データにおける分析では、企業で実際に働いている方々にインタビューさせていただくことや、地域にフィールドワーク調査にいくことを実践したい。

おわりに

ここまで見ていただき、本当にありがとうございました。書きたいこと、現状出せる考えは、全て書くことができたと思います。そして、今学期私を支えてくださった全ての方々に感謝したいです。特に、長谷部先生、OMC、離島P、聴講に来てくださった皆さんからは、私としても多くのことを学び吸収させていただきました。本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。

もう少しで、21歳です。
まだ20歳なので、人生を全力で駆け抜けようと思います。
2024年2月4日
(13347字)

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