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私のこと

「娘がこうなったのは全部私たちのせいなんです!!」

逮捕・拘留された私を迎えに来た両親は警察官に泣いて訴えた。

「だれのせいでもないですよ。」

そう警察官は静かに応えてくれた。

10年以上前の今頃の寒い寒い日、私は繁華街にひとりいた。

錯乱状態だった。

トイレもお風呂も人とのセックスもすべて世界中の人にのぞき込まれていると妄想を抱いていた私は大声をあげながら、通りかかった警備員に突然なぐりかかった。

当時、摂食障害で172㎝に45㌔のやせっぽちだった私はすぐに警備員やその周りにいた大人たちに取り押さえられた。

そしてパトカーに乗せられ、警備員の顔に擦過傷を負わせた罪で、逮捕・拘留された。

「心配。」

取り調べはそんな警察官の言葉で始まったことを今でも鮮明に覚えている。

40代くらいの男性警官だった。

そう、両親は教育に厳しかったと思う。

「知的障害のあるお兄ちゃんにはできることもできないこともある。でもあなたにできないことはない。」

今思えば、私に強く生きてほしかったのだと思う。だけれど、幼い私には長い間、呪縛の言葉だった。

できないことがみつかるたび、小さな失敗をするたび、私は私を強く責めるようになった。

過呼吸をおこすこともあったし、手のひらは過緊張で汗が流れて手の皮がいつもめくれあがっていた。耳鳴りもしょっちゅうだった。

毒親という言葉がある。

だけれど、私は私の両親を毒親という言葉では片づけたくないのだ。

今より障害というものに社会が閉じられていた時代、彼らが彼らなりに一生懸命に二人のこどもを育てようとしてくれたことを身をもって知っているから。

「いい病院があるから行きなさい。」

そう言って警察官は、街の精神病院を私に紹介してくれた。思春期外来ももつ有名な病院だった。

ドクターは診察がはじまって10分もたつのに、何も言えないでいる私に、

「今までがんばってきたんやね。」

と言ってくれた。涙があふれてとまらなかった。

ドクターはその後、私が社会復帰のために通っていた就労移行支援事業所にも見学にきてくれた。

服薬をはじめて、落ち着いてきた私はすぐに顔に擦過傷を負わせた警備員に菓子折りをもって一人で謝りに行った。

警備員は何も言わずにこっと笑って菓子折りを受け取ってくれた。

今振り返ると奇跡のような人との出会いだったと思う。

寒い冬には必ず思い出すこと。

私の転機になった出会いについて。




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