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空を飛べたらとか




人生には、ちょうどいい速度が必要だと思うんだ。ドロドロした道を走ったり、ガタガタした道を走ったり、スピードが落ちてノロノロと同じ景色ばかり見ていると、いつのまにか人生が嫌になる。自分はどこに進んでいるんだ?ただ生きているだけで意味はあるのか?こんな自分はダメなんじゃないか?って苦しそうな自分を見つけてはつらくなったり、つまんなくなったりした。そういうもんじゃない?

それはきっと飽きていたからだろう。同じ景色ばかりトーンが落ちていく日々に。どうしたって感動が薄れて、感度が落ちて、命への感謝が浅はかになるからだろう。
そういうことが、私にもあった。またそういう時ほど、うんたらかんたら悩み事を並べては悶々としていた。あの鳥のように空を飛べたらとか、訳わからんことまで言い出して、あらゆる自分の人生において不満を抱いたり不満を抱いたりした。突然クレームをしてくるおばちゃんみたいに自分を責めては、いつでもどうにも気に入らなくてメソメソして。

たまらなくなって私は当時の上司に相談したんだ。

「なんだか私、近頃スピード感がなくて。自分の生き方に悶々としています。」と。

するとその人は私に教えてくれたんだ。



「マリエちゃん。
今日はいつもと違う道で帰ってごらん。

いつもと違う店に寄って、買ったことのないものを買ってみるんだ。行ったことのないカフェに行って、頼んだことのないメニューを頼んでみるのでもいいよ。
あのね、

景色は自分で変えないと変わらないよ。」

と。それからその人は少しだけ微笑んで続けた。

「そんなことをしたって何も変わらないかもしれないけど。何か、変わるかもしれないでしょ。」

そう言った。

それからその日の私は、いつもと違う道を通って帰ることにしたんだ。途中、行ったことのない本屋さんに寄り、ある一冊の本を手に取って帰った。家に帰るまで特別に何も起きなかった。違う景色を見ることはできたけどその本を読んでも特に何も起きなかった。けど、本当に不思議なことに、私の胸の奥にはちゃんとガソリンのようなものが湧いてきたんだ。その正体はやる気のような、面白みだった。ワクワクというほど高らかでもないが、ちょっとは自分の人生も捨てたもんじゃないと。定めみたいなものが分かった。自分の中で明日への燃料がからだの中でふつふつと温まって、よく眠れたり朝が嬉しくなったのを覚えている。それでその次の日から私はこの「ご自愛エッセイ」を書き始めたんだ。

それは全然エッセイじゃなくてもよかったし、なんでもよかったのだけど。自分にできることがエッセイしか思いつかなかった。なんでもいいから何かやり始めたかったし、人生に速度をつけたかったのだとよく覚えている。

その日から、これも不思議なことにほんとうに私が自分の人生に思い悩む頻度はうんと減った。エッセイを書くのがとてもじゃないけど難しくて頭を抱えたり、何時間かけても納得する作品が書けなくて悔しくて深夜に泣いたりしていたけど、やっぱり人生に不満を持つことはまるでなくなった。




人はどこかでいつも、生きる喜びを探している。それは本能の中で、自分の命を無駄に使いたくないと知っているからなのかもしれない。今日がつまんない時ほど、自分がつらいときこそ魂は許さない。そんなとき、理由なんてわからなくて、なんの得にもならなくていいから、なにかに一歩踏み込むんだ。どうでもいいことに感動したり、バカみたいになったり、お金や時間を使って世界を見てみるといい。素敵な明日は自分でつくれるもの。風に乗って、波に乗って、空も飛べるかもしれないよ

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