私の中には、善人がいる。
私の中には、悪人がいる。
あなたの中にも、いるでしょう?
アイツの中にもいるだろうし、
大好きなあの子の中にもいるんだ。
善と悪。
たとえば
善の部分を沢山、持っている人がいる。自分の素敵な部分をたっぷり知っていて、それを他人にお裾分けしてくれる。すると人の心は救われるんだろう。その辺りは温もりで照らされる。そうして、与えた本人も救われる。愛は巡るんだね。ただそんな人にだって、悪人の時間が、あるだろう?
たとえば
悪の部分だけが、ズカズカ社会に出ずっぱりになる人間がいる。すると人は、過ちを犯すのかもしれない。いとも簡単に人を傷つけ、殺めたりする。そういう人はもう、自分の中にいた善人と、決別しちゃったのかもしれないね。いつからだったのかな?本当の本当はちゃんといたのにね。善。
たとえば、このように。
私の心にも善人がいて、悪人がいる。たぶん、そいつらとどう付き合うかで毎日は、変わる。
毎日が変わるんだ。つまりは、未来が変わるんだって。そんなことを思う。
おそらくだけど初めのうちは、善人を頑張らせる人が多いだろう。「一生懸命」とは案外、容易いんだ。なりふり構わず、前だけを見てる。無邪気。無我夢中。そんな時は、神様から「楽」を預かっているんだと思う。楽しい。
そのうち、善人は疲れて帰ってくる。評価や地位や、世間や立場を気にしだす。うちに
悪人が覗いてくるんだ。出番はそろそろか?なんて言って。いつ襲われてもおかしくない心。身体。崩れていく。
そこへきてついに、頑張りすぎてしまった日には、悪人で溢れかえる。頑張りが認めてもらえなかったり、愛を受け止めてくれない社会に、私の心はドロドロになってしまう。「楽」は犯され、生きることがつまらなくなる。
それじゃあ、その悪人をどう追い出すか。
はやく、追い出さないと。
と。少し前の私はいつもそんな感じだった。
そんなことを思っていた昔の私は
悪人に厳しすぎたんだろう。
問題なのは
悪人とどう付き合っていくかだ。
私は気がついた。
その悪人だって、私の一部である。と。
紛れもなく、大切な私であると。
悪人の声を聞け。そこには愛すべき自らの欠点。欠点こそ、愛嬌だと。それでいいじゃんか。開き直って、愛を求めよう。
希望から、絶望が生まれ
絶望から、希望が生まれるんだよ。
裏返るのは一瞬だ。
いつでも、善と悪を引き連れて、
あれも自分、これも自分。そうやって
胸を張っていればいい。
あなたらしくあれ。
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