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意味のない光を差し込めば



私には5歳の息子がいる。名前はレイ。
レイは今日、生まれて初めて。ラッピングなんかに使う「モール」を手にしたんだ。


それは工作好きな彼へ、祖母からのプレゼントだった。彼は祖母から「モール」を受け取るや否や「なにこれ?」と私に聞いて、キラキラモールを一本ずつ袋から取り出したのだ。くねくね曲がることを面白がった。それから「ママ、今日ってクリスマスなの?」と質問してきた。「ちがうよ。工作に使うんだよ。」と、答えたら「へー」という乾いた返事。かと思いきや、冒険の始まりのような顔をしていた。それからレイは早速モールを手に取り、自由自在に折りはじめたのだ。作品とりかかる彼の創作意欲を、私はいつもリスペクトしているんだ。

それから彼は、完成した作品を見せてくれた。それは「ドラゴン」だって彼は言ったが、お世辞にも上手いとは言えない作品だった。

「ドラゴン」と紙コップくん


(だってどう見たってただのモールの塊なんだもん。)それでも母は言った。「最高だね!しっぽがいいね!キラキラだね!」すると、赤くて短いモールは「ベロだよ」って動かして見せてくれた。彼は、工作が好きだ。何もないところに、何かを生み出す過程こそハッピーなのだろう。誰がどう見ても、楽しみを感じているようだった。もちろん完成したものを披露する時の高揚感。母からの褒め言葉も混みでの満足感だろうが。作っている時から既に「夢中」の言葉がよく似合う。それは私たち大人には、あまり多く訪れない「夢中」

大人はまるで螺旋階段のように、来る日も来る日も同じ景色を見ては、昨日とまったく同じ一日を過ごしたかのような錯覚を起こす。
起きて仕事して帰って寝るだけ。なんて人は多い。はたして今、自分は登っているのか、降りているのか。そんな螺旋階段において何かに「夢中」であることは少なく、人生をつまらなく思うのだ。「比較」や「評価」を浴びながら生きてきた大人は無邪気に楽しむことを恐れる。「ドラゴン」を作ることが、「意味のないこと」だと言うんだ。頑張らなきゃいけない世界。なのに評価されないと胸を張れない時代。
そんなふうに常に他人軸で生きる「癖」みたいなもんが染み付いているからだろう。

本質はもっとラフでいいんだ。レイのドラゴンを見ていてそんなふうに思ったよ。話は逸れるけど、この時代には「推し活」なんて言葉もあるよね。あれはドラゴンに似てるって私は思うんだよ。私の目からすると、推し活する者たちには真の幸せを知ってる。だって「推し」からの評価はないじゃん。「自らの評価」はさておき「推しが幸せなら幸せ。」「推しのためなら、なんでも頑張れる。」「推しを推せる、幸せ」という純粋無垢な世界なんだ。それは無邪気そのものとして、この時代に光る。話は戻るけど、そんな推し活やレイが作るドラゴンのように。意味のない光こそ、暮らしに富をくれる。自分に愛をくれる。人生に楽しみをくれる。本当は必要なんじゃないかって。そう思った訳です。

意味のないことほどいい。リスペクト。
意味のない光を、愛そう。

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