戦争とマスコミと私




緑も、青も。財も、愛も。ビルも、家屋も。
自らの在り方や、立ち上がり方さえも。
その全ての輪郭が無くなって、真っ黒の煙に包まれてしまう。この瞬間。人生をかけて、大切にしてきたものが、自分の目の前で意味を奪われ、空に舞う。そんな現実に何度も何度も何度も途方に暮れて。涙を飲み干して。亡くなって、逝く。現実。
日本の少し遠くでは今日も、生き残るための争いがあるんだ。意思とは別物の自分が、人を殺める使命になるんだって。そんな明日の自分に震える人間がいるんだ。


昨日までの普通が消えてしまった。

そんな経験は、数年前の私達にも思い当たる節があるだろう。その何十倍も、何百倍も。変わり果て、不遇となってしまった運命を。
神に平和を祈る人間が、今日もそこにいる。

そのくらい、知っている筈。

だがどこか日本っていう奴は、他人事だ。見事なほど、平和ボケなんだと思う。遠くの戦争よりも、広末涼子。そんな誰かの不倫ニュースを見る度に、私はうんざりする。この国では、マスコミという名の「お知らせシステム」があるよね。アレは一体、何の意味があるのだろう。誰かの不倫を聞いて、何が得なのか?キミの未来の、為になるの?私には分からない。そいつらが正論を振りかざしてみたところで。
たとえば
「俺らの給料になるんだ。」と言うならばもう少し、国の真理についてお披露をお願いしたいものだ。国のお偉いさん達は、あの手この手で、大人を殺そうと努力しているわけでワクチン。お次は、値上げだ。電気もガソリンも、食品だって倍の値段になっているのに、給料からは今までの倍の税金を取られ。よく見たら完全にマイナス地獄。これから庶民の生活は、首の皮一枚で繋がっていくんだよ。貧困社会まで、棒読みとなっている。そんな国の裏システムをお知らせして欲しいものだよ。そうしたらもっと日本人は、戦争に対して必死の意見をすると思う。明日のご飯にありつけなくなる未来では、広末涼子に文句を言ってる場合じゃなくなるだろうしね。

なんて。

そう思ってしまう私の心は、捻くれてるかな。でも焦ってしまう。子供達の未来は、益々苦しくなるじゃん。そう思う度、私の心は地上波から離れてしまうんだ。エンタメニュースは特にだよ。いつ見ても、自分のレベルを下げるだけだって。私はやっぱり、そう思うよ。

まぁこんな社会に対するクレームは置いておいて。そんな風にマスコミのグレーな背景を感じる私はいつも、自分の選ぶ道に対して責任を持つようになった。それはたとえば、TVでアイツがこう言っていたから。とか、あの子が死んだとか、あいつは不倫野郎だとか。マスコミだけじゃなくてワクチンとか、立ちんぼとか、国会、コロナ、LGBT、なんでもそうだよ。溢れすぎた情報に対して、自分の目で確かめたり、自分の身体で感じてから、モノを言いたいわけです。

あいつがダサいって言ったら、お前もダサいって言うのか?
あいつがキモいって言ったら、お前もキモいっていうのか?

自分は何を信じたいのか?自分で決めたい。

今日の私がどこへ行って、何を得るのか。
何を信じ、誰を愛したいのか。
決めるのは他人という名の社会じゃなくて、自分でありたい。誰もがそうやって、現実を知り尽くし、今の自分を作るようになれば。マスコミなんて不幸の源。いらないのにね。


自分の中の正しさを選び抜いて。ちゃんと生きたい。私はそう思います。



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