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小さな事件



今日は、母の誕生日だった。
私のお母さんはめちゃくちゃファンシーである。というのも普段はお花の先生でありつつ、趣味ではベリーダンスを儚く踊り、なおかつラジオのパーソナリティもこなすミラクルお調子者。そうかと思えば実は裏側で介護のようなことをしている。癌や精神病である身内の看病をせっせとこなしながら生きているのだ。さわやかな風が吹く中にも、どこかドシッとした幹があるような、へこたれないお母さん。
今朝「誕生日おめでとう!」とメッセージを送ってみたら

「61歳!ギア上げていくよー‼️
みんな付いてきてね!笑」

と返信が来た。そんな明朗さは彼女にしかない。私もそのように生きていきたいと何度も思ったし、そんな母のことをとても尊敬している。だが、少し前までは心の隅で、彼女のことを嫌だと思ったり軽蔑していた時期があったんだ。今日はそんな話をするよ。

ある一つの言葉をきっかけに、「とてもじゃないけど、分かり合えない」と心を閉じてしまった小さくて見向きもされないような事件があった。それを母は今もなお知らないのだけど。ね




あの頃、私は幼くて仕方なかった19歳。短大のインターンシップからあれよあれよと1人で上京して、知らない土地。はじめての炊事や洗濯、通勤や生活費の支払い、日々の細々とした暮らしにおわれ、はたまた仕事に追われ、社会や世間と対峙を続けていた。その間に、随分大人になった気がして。とにかく忙しくしていた。ただ人知れず、「自分はこれでいいのか?」とか「周りが羨ましく自分が嫌になる」とか、よくある苦しくて眠れない夜が続いていたんだ。本当は心がとても心細かったり、不安や自己犠牲でいっぱいだったのだと思う。そんなある日、実家に帰省した夜があった。私はそこで母に一度だけ
「なんか最近、全然眠れないんだよね」
と相談したことがあった。すると母はその夜、渡してきたんだ。
睡眠導入剤を。「これ、飲んで寝な」



その時、私はすごく冷めてしまった。

イライラして、薬を奪い取るように手に取り、黙って部屋からお母さんを追い出した。あの時のわたし、
本当はお母さんに、抱きしめて欲しくて。
本当はお母さんに、話を聞いてもらいたかっただけなのかも知れない。ただその頃はどうしても自分の中に怒りが込み上げてしまい。寂しさと引き換えにお母さんへの心を閉ざした。目の前の薬をただ眺めて。その日からもよく、眠れなかったのをよく覚えている。

それから私は都内に戻り、お母さんではなく恋人に話を聞いてもらったり、職場の上司に懐いて寿司を奢ってもらったりしていた。あの夜からお母さんとの距離は遠く遠く、どんどん広がるばかりだった。そんな私とお母さんの距離が、お母さんを困らせたり、戸惑わせたりもしてきた。
お互いの距離が縮まったのはつい最近のことだと思う。


きっかけは、私が出産したことだよ。
息子が生まれ、私には今になって、毎日思うことがある。

「母親も間違えることがある」ということ。

それから「母親」にも悲しい夜があるし、
頑張ってもどうしようもないことがある。「母親」にも疲れてしまう人間関係があって、「母親」にも我慢の限界がある。
母親にも涙やため息があって、頭を抱える日があって、言ってはいけない一言をぼやいてしまう夜があって、前を向けない日があるということ。



私は子供の時、「おかあさん」は「おかあさん」という完成した生き物だと思っていた。ご飯を作ってくれて、エプロンをしていて、疲れたら足を揉んでくれて、いつでもお風呂を沸かしてくれるのが「おかあさん」という生き物だと。それで「おかあさん」には涙がなくて、疲れることも知らなくて、仕事も普通にしていて、いつでも大丈夫で、なんでも私のいうとおりにしてくれる生き物だと思っていた。
でも
違ったんだと。


だから私は、自分自身が母親になって知った。彼女には間違いがあったけど、彼女はいつでも私のことを思っていたし、たくさん心配していたし、愛していてくれていたんだと知った。

そうして母になってから、私は過去の悲しいことを含めてぜんぶ。

「おかあさん」は私にとって尊敬する人で、愛する人になった。これまで、ありがとう。
これからもどうかお元気で。そう思っています。ハッピーバースデー、おかあさん。

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