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愛と笑顔をお守りに

ちょっとしたことで不機嫌になり、イライラを他人にぶつけ、自分のことしか考えない。
そんな人より、
いつもニコニコ上機嫌で、誰に対しても広い心を持ち、あらゆるものに感謝している。
そういう人の方が豊かに生きられるに決まっている。

分かってはいるのだ。でも、どうしても後者のようには振る舞えないときもあって。

今の職場に来てから3年が経とうとしている今、イライラとモヤモヤで気分が塞いでしまうことが多くなったのを自覚している。

前までは気にもならなかったことが気になり、思い通りにならないことに焦りや苛立ちを感じてしまう。他人に要求することが多くなり、自分の無力感に打ちのめされるようになった。

わたしはどうしてしまったのだろう、と幾度も思う。あんなに、ただがむしゃらに頑張ることが楽しいと思えていたあの頃のわたしは、いつの間にか影を潜めてしまった。

ちょっと休ませてほしい。解放してほしい。甘えさせてほしい。そんなワガママで子供じみた欲求がふとしたことで膨れ上がり、逃げ出したくなることもある。

ポジティブに考えれば、これは成長の証だとも捉えられる。前は見えていなかったものが見えるようになったから。気付けるようになったから。自分でよく考えるようになったから。
この苦しい状態を乗り越えれば、一皮むけた新しい自分に出会えるのだ、と。

でももしかしたら、これは「停滞」に対する警告かもしれない、とも思える。
今のわたしには、この場所でキャリアを積んでいきたいという志はない。日本を離れて、海外で学び、生活し、働いてみようと決意している。
そのための資金を貯めることこそが働く目的になってしまっている今、自分の仕事に対してそれほど熱意を感じられなくなっているのだ。

考えられるようになったということは、「余計なことを考えてしまう」ということでもある。
ただ目の前の仕事、目の前のお客様のことだけを考えられていたときとは違い、自分の利益をつい考えてしまう。

だから不必要なことで頭を悩ませ、イライラしてしまうのだ。周りが変わったのではなく、自分で自分の中にイライラ、モヤモヤの種を作ってしまっている。そのことに、わたしは危機感を覚えている。

いっそ、自分のためにも、周りのためにも、早いところ今の職場を去った方がいいのではないか。これ以上今の場所で停滞し続け、自分の心を疲弊させるよりも、心機一転、新しい場所でまたがむしゃらに頑張った方がしょうに合っている気もする。

「怒りっぽい」と言われるのではなく、「いつも楽しそう」だと言われたい。そんな自分でいるためには、自分の意識を変えるか、思い切って環境を変えるかしかないのだ。


最近、気を使ってもらっているとか、優しくしてもらっていると感じることが増えて、毎日ご飯を食べながら、通勤電車に揺られながら、自分の言動や考え方を振り返るようになった。

わたしは今の自分が好きだろうか? この問いかけに、わたしはすぐに「うん」と言えない。ということは、このままじゃダメなのだ。何かを変えなければ、わたしは知らないうちに自分自身を「嫌なやつ」にしてしまう。

沈んだ顔をしてしまっているなあと感じたら、ごまかしでもちょっとニコッとしてみる。
自分とは違う他人を受け入れ、理解し、愛情をもって興味を示す。
そういう自分でありたいと、そうあろうと意識していれば、そのうち身に付いて自然とできるようになるだろうか。

…と、優しくされる度に思う。
わたしも、優しくできる人でありたい。

#なりたい自分


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