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ショートショート『「分かってない」なんて勘違い』

……一緒に暮らすようになってから、敦子はよく俺に文句を言うようになった。
「なんでそれくらい分かってくれないの」「翔太なら分かってくれると思ったのに」「わたしならこうするって分かるでしょ」…そういう類の文句だ。

何も伝えてくれなかったのに、俺が思い通りに動いてくれなかったことに文句を言い、拗ねて勝手に不機嫌になる。あるいは意見が合わず言い争いになったとき、突然黙ったかと思うと本気で怒りだし、俺が彼女の気持ちを全然理解していないと文句を言う。

このところこういう怒りが続いて、敦子は心なしか疲れているように見える。俺を嫌いになったり不信感が生まれたりしているわけでは無さそうだが、とにかく以前より我が侭になってしまった彼女に、俺の方も疲れ始めていた。

お互いにもっと一緒にいたいと思っての同棲生活なのに、なんだか前よりも寂しさが増してしまったような気がする。同棲を始めることが破局を迎えるきっかけになったというカップルの話を思い出し、俺の心は沈んだ。



デート中、またしても敦子に「分からず屋」と言われてしまった俺は、憤然としながら遠ざかっていく彼女の後姿を眺めながらため息をついた。

…こんなことになってしまった原因は分かっている。敦子が、俺を信じすぎていて、固くなった二人の絆に慢心しすぎていて、俺が彼女の気持ちを何もかも分かっているものと期待しすぎているせいだ。

二人でいれば何があっても大丈夫だと安心した矢先のこの状況に、俺は頭を抱えたくなった。近づきすぎた弊害かと恨めしくもなったが、今さら彼女と距離を置くなど無理な話だ。そんなこと敦子は絶対に許さないだろうし、俺だって嫌だ。

問題は敦子の「勘違い」なのだ。それを正せればいいだけのこと。俺は気を持ち直し、既に随分遠ざかってしまった彼女のもとに走った。

「…っ、おい!」

幾分強引に肩をぐいと引っ張り、無理やり敦子を立ち止まらせて俺は呼吸を整えた。

「……何よ分からず屋」
「……お前…それ本気で言ってんのか?」

敦子はぐっと口をへの字にした。拗ねたときのこの表情は可愛くもあるのだが、今はそんな呑気なことを思っている場合では無かった。これから彼女を怒らなければならないのだ。俺は心を鬼にして、敦子の目を睨みつけた。

「あのな、俺はお前じゃないんだから、お前が考えてることなんて分かるわけないだろ。俺を一体何だと思ってるんだ」
「…なんで? 分かるでしょ、普通。三年も一緒にいるんだよ?」
「…それでも普通、人間ってのは、言葉にしない相手の気持ちまで理解できたりしないし、相手の考えが読めたりもしない。第一…」
「でも、わたしと翔太じゃん! わたしのことは翔太が一番分かってくれてたのに! なんで分かんなくなってるの? これだけ一緒にいたんだからさ、」
「いい加減にしろ!」
「っ……」
「何も言わなくても分かる? そんなことあるわけない。俺たちは別の人間なんだぞ。じゃあお前は、俺がわざわざ言葉にしなくても、俺の考えてることが分かるのか? ほんとにそんなことができるなら、俺たちもう二度と喋らなくてもいいことになるな。言わなくても分かるんだから。」
「……」
「俺が一人でどっかに行こうが、お前に何の説明も無しに行動しようが、お前も俺も『お互いのことが完璧に分かる』から全然問題は無いよな」
「……あ……」

敦子はようやく表情を緩めた。自分が間違えていたことに気が付いたらしいその表情を見て、俺も睨むのをやめて息をついた。

「……敦子、俺も、お前も、お互いの考えてることまでは分からない。分かるわけない。だからこそ一緒にいるんだ。だからちゃんと言葉で伝えて、お互いの意思を確認し合わなくちゃいけない。いくら信頼し合ってるからって、考え方や価値観まで同じにすることなんてできない」
「………」
「…納得したか?」
「……うん。…ごめん」

敦子はしょんぼりしてしまった。俺の言葉を噛み締めて、反省してくれたようだった。俺は「よし」と言って彼女の腕に触れた。軽くぽんと叩いその顔を見ると、なんだかものすごく嬉しそうな笑顔を浮かべている彼女と目が合い、俺は咄嗟にうろたえてしまった。

「…何?」

ついさっきまでしょんぼりしていたと思ったのに、突然今度は何がそんなに嬉しかったのだろうか。怪訝な顔を浮かべる俺に、敦子はにこにこしながら言った。

「翔太……ありがと」

一瞬きょとんとして敦子の顔を見つめたが、彼女の表情を見て、思わず俺も頬が緩んだ。久しぶりに聞いた気がするその言葉は、寂しかった心にじわりと沁みた。……よかった、これで元通りだ。俺は敦子の隣に並び、その手を握った。

#クリエイターフェス

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