見出し画像

健康関連の仕事をしつつ、自己実現も諦めない(ヨシムラさん・30代男性)

私は現在、医療広告や健康食品・化粧品の広告ライターとダンサーをしています。
経歴としては、大学で遺伝子工学を学び、大学院では医学研究科にて2年修士課程で研究を、その後は医薬品開発職として新卒入社、研究補助として転職、医薬品開発職として2度目の転職、ライター・ダンサーとして独立し現在に至るといった具合です。

紆余曲折が多いですが、
「健康・バイオに関わる仕事をしていたい」
「好きなことをしている自分も大切にしたい」
など、自己実現について考える方の参考になれば幸いです。

大学入学から医薬品開発に就くまで

大学入学時点では特に明確な目標を持って入学したわけではありませんでしたが、当時から「健康に役立つ仕事がしたい」「営業よりも研究・開発、欲を言えば研究職が楽しそう」とぼんやり考えていました(ダンスを始めたのも大学1年生から)。

それから一度は製薬企業のMR職を狙って就活をしてみたものの、研究や開発に携わりたいと思い、大学院に進学。修士課程修了後は、運良く外資大手CRO企業の医薬品開発職に就くことができました。

医薬品開発の仕事で感じた疑問

正直なところ研究職を目指していたものの、内定をもらえなかったことから開発職に就きました。といっても後向きの気持ちからではなく、きっとこれも何かの縁だと、開発職では自分にしかできないことがあるんじゃないか、と考えてのことです。

その気持ちを体現できてか「自分が頑張れば病気で困っている人が助かる」と日々思い続け、研修期間も同期のなかで一番に卒業したりもできました。でも、いざ実務についてみると「あれ、この仕事で良いのか…?」と思う日々に突入します。

理由としては、業務に適正がないことが大きな理由でした。
もともとのんびり屋の私にとって、クライアントや上司、複数の施設担当者と連絡を取り、要領よくテキパキこなさないと終わらない業務が合わなかったのです。

これが原因で「開発職は自分にとってずっとできない仕事だけど、健康に役立てる仕事はしたい」と思って、25歳を前に研究補助職の特定派遣の仕事に転職しました。ここも入社してすぐはモチベーションが高く取り組めていたものの、私が派遣された企業は私のバイオ系というバックグラウンドと全く違う分野でした。そして、覚悟していたはずの収入の低さにも耐えられなくなります。

研究補助職のあとはパートナーとの今後も考えて医薬品開発に戻りました。なんでまたダメだった医薬品開発に?ですが、当時の考えは「つらい仕事でも収入には変えられない、2回目ならなにか違うかもしれない」というものでした。迷走している自分を感じつつも他に選択肢が思い浮かばず、やるしかないともがいていた時期です。

2度目の医薬品開発職

結論をいうと、ここでも挫折をします。やはりダメなものはダメでした。勤続年数だけでみればまだ続いた方でしたが、そのうちの半分はプロジェクトに配属されずに研修や先輩の手伝いなど社内ニートのような状態。そもそも医薬品開発をやるなら仕事を受注しやすい大手CROなんだなと身を持って学びました。

無理をいって配属してもらったプロジェクトでも上手く活躍できず、「やっぱり違う…苦しい…」と思う日々。挙句に当時のプロジェクトリーダーからは「本当は何がしたいんだ?」と聞かれ、その言葉にも上手く返せない始末でした。

しかし、へこむばかりではいられず、この頃から健康に対する考えが本格的に変わり始め、社会人として働くうえで企業に属しない方法を考え始めました。

健康に対する考え方については、それまでこのように考えていました。
「病気の人を治すために良い医薬品があれば良いのに」
「もう助からないと思われた人が救われる医薬品があればいいな」

これに対して、自分自身が精神的につらくなった状態で思ったのは「人はいつか死ぬのなら、それまでの人生を健康に楽しく過ごして、後悔なく死ねることのほうが大事なのでは?」という考えでした。

そして、人の役に立つ前に、まずは自分が楽しく働けるようにならないと。そう考えて27歳のとき、医薬品開発はやめて、独立して働くことにしました。

個人事業主(ライター・ダンサー)として独立

なぜライターとダンサーという、医薬品開発とかけ離れた職種が登場するのかというと、これまでの会社員生活をしつつもブログを細々と書いていたから、また大学1年生からずっと途切れることなくダンスを続けていたからです。

ライター業を選んだ理由には、健康への考え方が変わったことも大きく影響しています。健康との関わり方を、無理に医薬品の研究開発に限定しなくて良いんだと気づくことができました。

広い意味では私もWebライターなのですが、一口にいってもさまざまなライターがいます。専門ジャンルで分ければ金融や転職、医療など、技術面から分けるとセールスライティング、コピーライティング、SEOライティングなどに分類することが可能です。

このなかで私がピンときたのは健康食品や化粧品の広告ライティングでした。薬機法や景品表示法という法律の規制を受けるため簡単な分野ではないのですが、この規制をわかりつつ、消費者に買ってもらえる文章を書くことができればライターとしての単価も上がる。
つまり、自分が役立っていきたい方向(=自己実現ができる)で、ちゃんと生活ができそうな道筋が見えた瞬間だったのです。

フリーランスで稼ぐには、量をこなすか専門性を身につけるか、このどちらかだと気付いたときでもあったので薬機法の勉強を最優先にし、その関連で医療広告ガイドラインについても詳しくなりました。

薬機法・医療広告ガイドラインの勉強のための講座参加費は決して安い金額ではありませんでしたが、当時はコロナまっただ中だったのでリモートで参加でき、仕事自体もPCで完結するものだったのでしっかりと勉強に集中できたことを覚えています。

仕事がもらえるようになると、平日の朝〜夕方はライター業、夕方以降はダンサーとしてレッスンをするか受けに行くか、土日はライター業かダンスのイベント参加という生活の両立が可能になりました。

医療広告・健康食品/化粧品広告ライターとしての活動

私はおもに既存の広告の修正をすることが多いです。
薬機法や医療広告の知識を身につけた頃がちょうど薬機法の改正があり、違反には課徴金の支払いが義務付けられる時期だったため、既存の広告で薬機法違反が心配になった人から仕事の相談が多くありました。

実務の話では、化粧品は表現してもよい文言が56種類あるのですが、健康食品はそうではありません。その分、健康食品のほうが難しい場合もありますが個人的には言い換えの発想を考えるのが楽しく、ちょっとした言葉遊びをするような感覚で広告表現を考えることもあります。

なかにはランディングページ制作(LPと呼ばれる)の依頼もあり、売るための構成から薬機法や景品表示を意識した文章制作までを担当させてもらえることがありました。そのときに考えたキャッチコピーが1年経っても消費者からの反応が良く、今でも使われていると聞いたときにやりがいを感じました。

医療広告ガイドラインに関する仕事では、自由診療の広告やWeb上のページがガイドライン違反をしていないかチェックをすることが多いです。
以前は「薬機法対応で相談が…」と依頼を受けたら、実は医療広告ガイドラインのお仕事だった、というくらいには知名度の低い(?)お仕事です。

ネット上の医療広告には、実は違反しているものも少なくないのが実情です。しかし、医療には健康食品や化粧品では解決できない悩みにまで応えることができると私は考えていますので、手にわたるべき人のところへ医療の情報が届くよう、この仕事を続けていきたいと考えています。

何事も両立しやすい時代を肌で感じた

このように活動していくなかで、働き方についてもライター間で勉強になることが多々ありました。私はダンサーとしても活動していますが、出会った人の中には会社員をしながら副業としてライターをしている人もいます。

会社員でいれば安泰という時代ではないから個人でスキルを身につける、会社の外で自己実現をしつつ稼ぎも増やす、このような姿勢からとても良い刺激を受けたのを覚えています。

今はリモートでどこにいてもできる仕事が増えたこともあり、ノウハウ・知識・発想があれば個人として以前よりも活躍しやすい時代といえるでしょう。

また、ダンサーとしての仕事で余談ですが、「しゃべって脳の刺激にもなるし、体も動かせるし良いんじゃないか?」と始めた55歳以上向けの健康ダンスレッスンが思わぬ反響をいただいていたりもします(笑)。
やっぱり、発想と実行ができれば個人でも活躍しやすいと感じたお話です。

私はこれからも変わらず、健康に向き合い続けて、自分らしく生きたいと思います。以上、自己実現のためにお役に立てましたら幸いです。

▽▼エキスパート登録にご興味のある方はコチラ▼▽

▽▼法人の方はコチラ▼▽
https://rdlink.jp/biz

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?