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日本メーカーから外資企業を経てR&Dコンサルタントに(ハマモトさん・50代・男性)

3年前から専門誌への連載執筆やセミナー講師等で、副業していましたが、今年4月に個人事業主としてコンサルタント業を始め、顧客の製品開発や製造安定化を支援しています。新卒で大手フィルムメーカーに就職し20年勤務した後、外資含めて計5社に勤めた上での起業です。紆余曲折して複業で起業した経緯を紹介します。


化学メーカーで過ごした多忙な日々

バブルの最中、初めに就職した日本のフィルムメーカーでは、写真感光材料部門で開発~現場の技術者として10年勤務し、塗工工程を中心に専門性を培いました。やがてデジタル化の波が押し寄せアナログ写真がシュリンクする一方、当時の新規事業で勢いづいていた光学フィルム事業分野では、塗工技術者、特にリーダー層が不足していたため、社内FAのような形で光学フィルムの事業部に異動しました。

この事業部にも10年勤務し、技術チームを率いる管理職として、品質や生産性の向上や新工場の立ち上げ業務に従事しました。新工場の立ち上げでは、数台のフィルム製造機を半年毎に立ち上げるタイトな計画で、予定通りの遂行も大変でしたが、製造機が立ち上がる度にメンバーは、次の製造機の立ち上げに移行するので、出来立てホヤホヤの不安定な製造機におけるトラブルや顧客クレームには、私が対応する羽目になり、多忙な日々でした。

韓国の大手電機メーカーに

最後の製造機を立ち上げていた2012年夏に、韓国の大手電機メーカーからヘッドハンティングのオファーがありました。その時は辞退したものの、半年後に会社で早期退職制度と役職定年制度が発表されたのを機に改めて強いアタックを受けました。

この企業では、折り畳みスマホを開発し始め、素材系の技術者不足を補うためにグローバルに人材を探していたようです。当時45歳でしたが、所属していた会社の事業は需要の右肩上がりが鈍化し始めていました。最後の製造機を立ち上げ後、目覚ましく出世しない限り50代半ばで役職定年と考えると、将来への期待も薄れ、気持ちは韓国メーカーに傾きました。海外勤務に一抹の不安を覚えたものの、当時も関東から九州へ単身赴任していたので、国内が近隣の海外になるだけと、思い切って20年勤務した会社から転職しました。

韓国内で転職

韓国企業では中央研究所の素材開発部門所属で、新素材のスケールアップを担当しましたが、素材開発が遅々として進まず、スケールアップの局面は遥か彼方でした。多くの日本人も同様の境遇で嫌気がさし2~3年で退社したので、6年経つと私は最後には最古参になりました。仕事がなく暇を持て余し、時間の浪費以外の何物でもありませんでした。

たまたま、サンプル作成で関わった韓国内の中堅財閥系の塗工メーカーが電子素材のフィルム事業に力を入れ始めており、塗工の専門家を探していたので掛け合ったところ、面接のような食事会が設けられ転職が決まりました。社内の若手技術者十数名を集めたCEO直属の工程開発チームが発足され、チーム長に就任しました。国内で再就職できたのは珍しいケースです。

コロナ渦で帰国、米国ベンチャー企業の日本サイトに

工程開発チームでは自らの専門性やマネジメントのスキルを活かし充実していましたが、2020年にコロナ禍になり、一年間、日本に帰国できなくなりました。それまでは毎月帰国していたのに全く帰国できないのはストレスでした。足掛け8年の韓国生活に潮時を感じ、53歳にして転職活動を決意しました。幸い、米国ベンチャー企業の日本サイト勤務のスカウトがあり、晴れて帰国に成功しました。

株価暴落で日本撤退、初の失業を経験

この米国企業はバイオ由来の折り畳みスマホ用フィルムを開発していました。眩いキャリアの研究者達が名を連ねていたものの、フィルム塗工以前にモノづくりの専門家は皆無で、初歩的な部分が全くできてなく開発は迷走しました。

そうこうするうちに、ベンチャー故の経営不安定により株価が50→8ドルに急落、最後は1ドル台まで暴落してしまいました。会社はレイオフ断行の方針となり、900人中200人が一気に解雇されましたが、日本サイトは撤退する方針で在籍者は全て解雇、結果的に、僅か1年足らずの在籍でした。

またしても転職活動する羽目になりましたが、失業は初めてでした。それまでは必ず、次の仕事を決めてから辞めましたが、準備なしの急な失職となると中々決まりません。初めて、ハローワークに出向き失業手当を頂き、手当は有難いものの、失業の事実を改めて突きつけられて、気が沈みました。

日本企業の商品開発部ジェネラルマネージャーに転職

幸い三か月後に中規模のオーナー会社でR&D部門のジェネラルマネージャーになりました。商社のように買い付け商品を販売するのが主な事業の会社で、自社ブランドのゴム製品を開発し海外のOEM企業に製造を委託していましたが、商品開発部門長が高齢で後継者を探しているというオファーでした。ただ後継者の不在にはやはり裏事情が色々あり、残念ながらその後退職を決意することとなりました。

個人事業主として開業

実は韓国の塗工メーカーにいた時から執筆活動を副業としていました。とある専門月刊誌が主催する技術セミナーに、チームメンバーを受講させるために、雑誌編集者とメールで連絡を取り合っていたところ「塗工分野に精通しているようなので、韓国の塗工事情にまつわるネタを執筆しないか」と依頼されたのです。当初数回の予定でしたが3年続き現在も継続中です。連載を観たセミナー会社から塗工関連のオンライン講師も依頼され始め、最近は毎月セミナーを開催しています。単発のコンサルをして欲しいというオファーも度々あり、企業に属さなくとも生業になりそうと考え、個人事業主として開業しました。併せてRD LINKにも登録しました。

個人事業主か会社設立か?

株式会社を設立してコンサル業を立ち上げる方も多いですが、私は始めたばかりである上に、会社を設立しても一人社長ならば実質、個人事業主と変わりないと思いました。

会社を設立しないと信用を得にくいのが難点です。大手企業が継続して契約してくれない、銀行がお金を貸してくれない、と聞きますが、前者には遭遇した事なく、後者は自宅で仕事する分には不要なので、現時点で私には会社設立の必要性がありません。

ウェブサイトを自作

何をしている人か判るよう、ウェブサイトを作成し名刺にQRコードを貼りました。業者に依頼すると数十万円もかかるので、無料サイトで作りました。素人っぽさは否めませんが、結構、閲覧され、知古からチャットで連絡もあるので、まずは行動してみるのが大事と思いました。

個人事業主のメリットと難点

個人事業主は「自由」が最大のメリットです。会社に属していると嫌な事も仕事ですが、個人事業主の場合は仕事を自分で選べるし、嫌ならば断われます。さらに人間関係で神経を擦り減らす事もありません。相手は同僚・部下・上司ではなく顧客なのでビジネスライクに付き合えます。そういう点で気楽です。

難点は保証がない事です。企業に勤めていれば月給が貰えますが、個人事業主ならば働いた分しか収入になりません。不安定なので、この仕事を始める場合は安定した顧客を見込めるか、十分に吟味した上で始めるか、現業を維持しつつ複業として始める、という形が無難でしょう。

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55歳になった今、役職定年も雇用延長も関係なく、多少不安定でも、自分がしたい事をアレコレ考え行動する事に幸せを感じています。元々60歳になったら始めるであろう業態と考えていたので、私にしてみれば5年早まっただけともいえます。

安定して継続できる事業にするために、「犬も歩けば棒に当たる」と信じ、展示会や各種研究会や学会など、兎に角、人の居るところへ顔を出しています。継続しているうちに、私に興味を持って仕事を依頼する人が増えてくれるだろう、と期待しています。

AndanTEC 浜本伸夫


ジャズレコード収集が趣味。ジャズ喫茶で好みのジャズメン特集でプレゼンした時の写真です。

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