私を愛する~エーリッヒ・フロム「愛するということ」より
石川県金沢市。石川県庁と金沢港の間のあたりにあるコミュニティハウス・シェアマインド金沢で、月に一度開催されているセルフケアセミナー「ゆらっく」。2018年4月開催のセミナーへ参加したときの話です。
このときのテーマは「私を愛する」。
最高の私を愛する
あるいは、愛することができるほどの私に出会う
はたまた、私を愛する意識に出会う
いずれにしても、自分を大切にすることには違いない。マインドフルネスの実践を標榜するゆらっくとしてはこれまたストレートなテーマと言えるでしょう。自分を大切にする意識をどのような観点で知ることができるだろうか?そういう好奇心をもって参加してみました。
セミナーの流れ
セミナーのイントロ。「チェックイン」改め「ウォーミングアップ」。
話題のお題になるカードを1枚引いて、そのカードに書かれている問いに対する「今、このとき」の自分の答えや感じたことを、自己紹介も兼ねて自由に話して、全員で共有するコーナー。
ここでは講師の福多唯さんも参加者と同じ立ち位置でカードを引いて話すのですが、唯さんが話された「感謝されないことによる気楽さ、快適さ」の話が耳に残りました。
とかく感謝することの大切さが叫ばれる昨今、相手との関係性や状況によっては「敢えて感謝しない、されない」ことのほうが却ってお互いが快適に、気楽になることもあるという。決して悪い意味ではなく。
そういうことも、大切な気遣いのカタチとして成り立つという捉えかた。自分の経験に置き換えて理解することはすぐにはできないものの、興味深く感じました。
<スローペースの呼吸を>
「マインドフルネス」のコーナーへ。
今回は「スローペースの呼吸をする」取り組み。
呼吸のペースを通常よりも遅らせることによって心拍変動が上昇し、セルフコントロールが効く状態になるほどのストレス軽減につながるということです。
心拍変動が上昇するというのは、リラックスしたり緊張したりといったような気持ちの波の変化を自分で受け止められるだけのスペースが充分にある(たくさんの変化を受け止める余裕がある)と捉えるとよいようです。
ストレスを多く感じれば感じるほど心拍変動は低下して、気持ちの波を受け入れるスペースが狭くなる(その分、変化を受け止める余裕がなくなる)。それが、冷静さを欠く判断や行動に現れる。そういうイメージですかね。
心拍変動の大きさは、心拍数に現れて測れます。人間はその心拍数を自分で直接コントロールすることはできませんが、呼吸をコントロールすることで心拍数をコントロールする作用がもたらされます。
呼吸を整えよう、深呼吸をしよう、というのは、そういう効果があるからということなのでしょう。
<「愛するということ」の輪読>
今回のワークは、いつもとは違った趣向。
エーリッヒ・フロム著「愛するということ」からピックアップされたいくつもの文章を、全員で輪読していきながらじっくりと味わい、「私を愛する」ためには今の自分には何が必要か、何からはじめるかを考えてみるというワーク。
もう、なんというか、ほぼすべての文章が鋭く深く響いて突き刺さるような感じでしたが、このときに一際インパクトを強く感じたのはこの部分。
(P131)
現代資本主義はどんな人間を必要としているだろうか。大人数で円滑に協力しあう人間、飽くことなく消費したがる人間、好みが標準化されていて、ほかからの影響を受けやすく、その行動を予測しやすい人間である。
また自分は自由で独立していると信じ、いかなる権威・主義・良心にも服従せず、それでいて命令には進んで従い、期待に沿うよう行動し、摩擦を起こすことなく社会という機械に自分をはめこむような人間である。
(P131-132)
その結果、現代人は自分自身からも、仲間からも、自然からも阻害されている。考えも感情も行動も周囲と違わないようにしようと努める。
それにもかかわらず誰もが孤独で、孤独を克服できないときにかならずやってくる不安定感・不安感・罪悪感におびえている。
(P196)
現在のようなシステムのもとで人を愛することのできる人は、当然例外的な存在である。
多くの職業が、人を愛することを許容しないからではなく、むしろ、生産を重視し、貪欲に消費しようとする精神が社会を支配しているために、非同調者だけがそれにたいしてうまく身を守ることができるからである。
愛がきわめて個人的で抹消的な現象ではなく、社会的な現象になるには、現在の社会構造を根本から変えなくてはならない。
<「主義」「社会」に動かされているのではなく…>
自分を大切にしようとしていながら、実のところはできていない。
それは一見「現代資本主義」という「社会」がそのように人間を動かしているからだというふうにも感じられるけども、ほんとうは、ひとりひとりの言動や行動、つまるところは「常日頃感じていること」が、いまこのときの社会をそう動かしているということ。
「社会」あるいは「世間」でもいいだろう。そういうシステムのようなものになんとなく自分を大切にしてもらえることを期待するだとか、自分を愛する方法の答えを与えてもらえるということではなくて…
まずは自分が、ひとりひとりが、自分の感じること、自分の気持ちを、自ら大切にしていくことからはじまるものであって、そのことが、他者を、ひいては社会を大切にすることに、自ずとつながっていく。その逆はない。
ひとまず理屈の上ではわかった。
ひとの気持ちに耳を傾けてよく聴いて、受け止めて支えること。自分自身を大切にする手伝いをできるような人間にこれからなっていこうとするのであれば、まず自分が自分自身を大切にすることを確実に実践していかないといけない。
それにはまず「自分が」と考えるクセをつけることだろうか。
(P189)
信念と勇気の手練は、日常生活のごく些細なことから始まる。
第一歩は自分がいつどんなところで信念を失うか、どんなときにずるく立ち回るかを調べ、それをどんな口実によって正当化しているかをくわしく調べることだ。
<手にする愛は、自ら生み出す愛と同じ…>
このワークをやっている最中、頭の中に、ビートルズの曲「The End」の一節、歌詞の内容と、音の響きの記憶が飛び交って離れませんでした。
And in the end
The love you take
Is equal to the love you make
結局のところ
キミが手にする愛は
キミが生み出す愛と同じなのさ
「愛するということ」からピックアップされた文章のすべてに、そういうことが通底しているように感じられたのでした。
今回参加されていたもうひとかた、知人のSさんも、ご自身の心に残っていて事あるごとに励まされるという歌をワーク中に連想していたそうです。
Sさんも、輪読していった文章のかずかずをとても深く噛み締めておられたご様子で、ご自身が取り組んでいる活動と、その活動に対する思いを自分で認めることがこのときにあらためてできたようで、その姿がとても印象深く記憶に残ったのでした。
「ゆらっく」セミナーについて
ゆらっく とは…
ゆらっく:『あなた(You)』が、『楽に』なれる場所
「自分としっかり共にいる」
「自分の声に耳を傾ける」
「自分とゆっくり対話する」
講師は福多唯(ふくだゆい)さん。
女性護身術「Wen-Do(ウェンドー)」の、日本人初、かつ唯一のマスターインストラクターとして、女性専用のセルフディフェンスの普及活動に取り組んでおられます。企業や教育機関などでの教育・講演も多くの実績を残されています。
セルフディフェンスから派生した「いろんなパワー(外圧)に対する心的防御」として、日頃の自分の心持ちを整理する、また、自分の内なる声に耳を向けて、自分の思いや感覚を大切にすることが、日頃のセルフケアとしてスムーズに取り入れられるようになるためのセミナーでもある、とわたしは捉えています。
日常のこころのセルフケアのヒントをやさしく知って体験することができる。それにはうってつけの場であると思います。
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