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ネガティブ心理学からポジティブ心理学へ

ポジティブ心理学の創始者、マーティン・セリグマン。
動物実験で、強制収容所状態からうつ状態を起こさせ、
「学習性無力感」という、うつ状態の理論的説明を実証した。

いくらあがいても逃れられない環境に晒されると、
逃れることすら望まなくなって、
その環境から解放されても、動かなくなると言う。

それが、うつ状態の一つの形。
これは、恐ろしいことですね。

子どもの頃に鎖に繋がれたサーカスの象が、大人になって、
とっくに鎖を根こそぎ突破する力を持っているのに、
もはや自ら縛られた環境の中から出る意思を持たなくなってしまう、
という、たとえ話もよく聴きます。

これは、まさに、
私たちが大人になって、
自由を奪われてしまう心理を言い得ているよう。

うつ状態とは、逃れるという選択を忘れている状態。

これをRの新定義にしよう。

さて、そんな超ネガティブな実験で、古典的な心理学用語に名前を残したセリグマンですが、後に、楽観的でどちらかというと「軽い」「キワモノ」の心理学に転向していったということが、すごく不思議に思っていました。
同一人物というのが、なんか信じられない。

それでちょと、ウィキペディアに行って、情報収集。

娘の事故を機にネガティブさよりもポジティブさに関心を向けることが幸福のカギだとみなすようになり、ポジティブ心理学の創設者の一人とされるようになる。

そうだったのか。
セリグマンにしてもフランクルにしても、人は、とことんどん底を体験してしまうと、後はポジティブな志向になるようですね。

ある時セリグマンは、それまでの心理学が、病気を治すための努力はしてきたが、「どうすればもっと幸福になれるか」については、あまり研究してこなかったことに気がついた。1998年に、「心理学は人間の弱みばかりでなく、人間の良いところや人徳(virtue)を研究する学問でもあり、すでに主要な心理学的理論はそのような補強を行う方向に変貌しつつある」と指摘。

伝統的な臨床心理学や、精神医学って、こういっちゃなんですが、、なんか、ネガティブなんですよね(笑)

そもそも、「臨床」ということ自体、底に足が着くまでの、行き着きたくない思い、怖い、痛い道中に寄り添うのものなので、ネガティブなのも必然なのかもしれないですが。。

それにしても、なんで、そんなにネガティブじゃないといけないのかなぁ、と、さらに不思議に思っていると、、、

もしかして、ポジティブにしていると、ネガティブな状況の人から、怒られるからじゃないかなぁ、という気がしてきました。
単純な話、怒られたくないもん(笑)

で、なんで、ネガティブな状態の人が、攻撃的になるのかというと、それは、ほとんど嫉妬なのではないのか?
「自分と同じ苦労をさせよう」という悪癖ではないか?

自分が他人に怒りたくなる時って、自分が制限していることを他人が自由にしているのを見て、秩序化、社会化したくなる時だもの。

だとしたら、ポジティブであること自体が「悪いこと」で、怒られているわけではなくて、怒られるのは怒る方の規範の問題。
むしろ、怒られるということは、嫉妬されるくらい、本来の自由さや制限のなさを発揮したということ(笑)

そう思ったら、もっと、ポジティブでもいいかな、
と、自分に許可を出せるような気がしてきたのです。


ポジティブに、楽観的に、自由に、夢を描くことが、
誰かの都合で怒られてきた。

そのうちに、ポジティブでいると怒られる、と、大人になるにつれて、望むこととか、ポジティブ思考とか、人は本来の自由さを奪われてしまった。
これも、学習性無力感。


でも、動物実験と人間は違う。
大人の象は、学習性無力感で、自由を縛られてしまうけれど、
大人の人間だったら、それに気がつくことができる。

そして、意思をどちらに向けるか、選択できる。

底付き体験で、無力感を存分に味わったセリグマンは、
そう思ったのかもしれない。


…しらんけど(笑)


セリグマンは、学習性無力感の研究を通して、1975年にはうつ病の無力感のモデルの理論的な基礎を形成し、その後1990年代には楽観主義に関する著述が増えた。セリグマンは学習性無力感と楽観主義は表裏一体の概念であり、新しい概念ではないとしている。





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