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共感し得ない者同士としての共感

診察室でお話しを聴いていて、
いつも、自分の鏡を見せてもらっているなぁ、
と思う。

しんどい時って、柔軟性がなくなって、
デジタルな思考回路に支配されているように見える。

白か、黒か、全か、無か、

自然界には、存在しない、
数字や言語の世界に、いる感じ。

脳みその中でしか存在しない、
概念の世界。

どうしたら治るのか、
薬を飲んでるのに、治らない、
こんなことしてどうなるのか、
自分が悪い、
相手が完全に悪い、

自然界では、元々ありえない発想。

冷静に考えたら、
痛い時は痛いものだし、
治る時は治るものだし、
すでにベストを尽くしているし、
誰のせいでもないことは、
すぐに分かるのだけど。

こうなったら、
あがけばあがくほど、
人に聞けば聞くほど、
解決しようと思えば思うほど、
もつれた糸がこじれてしまう。
問題の世界を確かなものにしてしまう。

理性的に考える脳みそが、ヒューズがきれて、
ダウンして、ただの考えの世界に暴走してる感じ。


そんな時は、
まず、冷静さがいる。

動かないでいる。
静かにする。
何かすることを止める。

とか、助言をしたりする。


そう思っていたら、
それ、自分のことだなぁ、
と気づいていく。

冷静になれない自分、
何かしてしまう自分、
落ち着きのない自分、

僕も今、あなたに対して、
おんなじこと、思ってる。
なんとかしてあげたいって。

確かに、何かしてしまうよなぁ。
ほんとに、考えてしまうよなぁ。
わかるなぁ、同じだなぁ、
確かに、そうなんだよなぁ、と、
思考に乗っ取られるその人の気持ちが、
やっと、わかる気がする。

その感触にたどり着いた時、
ようやく、迷い込んだ迷路から、
一緒に、別の次元に、
ぱぁっとシフトした不思議な実感がある。

そして次回、患者さんが来た時、
かなり楽になっていることが多い。

精神療法の癒しの仕組みは、
助言や治療法ではなくて、
そんな風に密かに訪れているような気がする。


お互い、自分からしか見えない
自分だけのパラレルワールドの中で、
共感しようのない、分離した個体を体験しながら、

一つの自然界の中に共に生きるものとして、
同じ体験しているという、
ほんとの共感と一体感と繋がりの瞬間、

患者さんだけでなく、
治療者も同時に癒してもらっているのだと思う。





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