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自分で自分の居心地のよい居場所を選べるのが大人の特権

少し前の話ですが、小中学校の先生が中心になって集まった、
いろんな職種でストレスケアについて勉強しようという会に、参加させてもらえたことがありました。

ただでさえ忙しい業務が終わって、夜中に集まってるくらいだから、すごく熱心な先生ばかり。
キラキラ、背筋がシュッと伸びていて、義務感にあふれている。

その眩しさに、僕なんかは、自分が日陰でひがんでいるゴミクズみたいに思えてきます(笑)

先生たちとお話していて、
お仕事、楽しいんですね、と言うと、

子どもが好きで。
悪いことをしたら全力で叱ります。
でも頑張ったらめちゃくちゃ褒めます。
みんな頑張った、楽しかったって思えるようにしてあげたいです!

って、話されていました。

熱い!
すごい熱い。
松岡修造のように熱い!

僕は、なんか、謎に申し訳ない気がしてくる。

僕は、、同じ先生でも精神科の先生でして。。。
なので、立場が逆ですね…。。
がんばりすぎて身体を壊した人に、もうがんばらなくていいよと言う立場ですから(笑)

いやー、それも大事ですよ、
と、言ってくださるのですが、
なんだか、慰められている気分になります(笑)


頑張らせたほうがいいのでしょうか。
頑張らなくていいのでしょうか。

時々出てくる、この、
頑張るか頑張らないか問題。
ストレスは学びにもなるし、傷つきにもなる。

でも、頑張らないってことは、
ほんとはできなくて、みんな、
無意識的にバランスを取って、
精一杯その時を生きているのだと思う。

多くの子は、熱心な先生の、愛情ある学校教育で、
たくさん学んで、潜在的な可能性を成長させることができるだろう。
脳もブルブル震えて、喜んでいる。

でも多くの子に良いとしても、全部の子ではない。
頑張りを評価する価値基準を作ってしまうと、
少数派の子、ついて行けない子、低い側の子、を生み出すことでもある。
その子にとって、どう頑張っても、みんなのようにはできないこと、となる。

仮に、多数派を90%としたら、
身長順に並べたら、背の低い方の10%、
マラソン大会でみんなで走って、後の10%を走る子、
学力テストで、成績の下から10%の子供、
友達の輪の中で協調できない、外れてしまう10%の子、、

生体による個体差は、あって当たり前なのに、
特定の物差しを当てると、順位ができてしまう。

その物差しが義務、というのは、義務教育とは残酷ですよね。
多数派の大人社会に適応しやすくする、ということだけを考えたら、確かにこの残酷な通過儀礼が必要かもしれないけれど、、。

あなたは、後ろの10%、だけど、頑張ったじゃないか、
みんな頑張った、楽しかった、
と思えるように、、

いや~~、
そんな風には、僕は思えない。
僕だったら、自分の価値を低くつけられるようなところには、できるだけ居たくない。
僕はその「みんな」の世界から、早く逃げ出すほうが、まとものように思ってしまいます。

心療内科に訪れる子どもたちを応援していると、
早く義務教育をやり過ごして、自分で自分の居心地の良い居場所を選べる大人になったらいいなぁと、つくづく思う。
内心そんなこと思ってしまう自分こそ、先生たちの中で居心地わるく、こそこそとしてしまう大人なのでした(^_^;)










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