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受け入れられないこころは、自然界プログラムのバグ

受け入れられない気持ち。

自分のこころの中に、
思い浮かべることすら、

あり得なさ過ぎて、
自分に許可できない想い。

イヤすぎてイヤすぎて、
頭の中にいることさえ、
許せない気持ち。
そんな気持ち、ありますよ。

許容できるものはなんとか受け入れて、
受け入れられないものは、距離を取って、それとして置いておく。

拒否された想いは、自分の意識外の出来事に投影して嫌い、
意固地なまでに、受け入れられない姿勢を保とうとしている。

変えられるものを変えて、
変えられないものは受け入れるしかないはずだけど、
絶対嫌だと拒否したい。

自然界は、森羅万象、
雨も水も太陽も月も地球も、流れて巡り、
地震も津波も雷も起こる。

動物界は、弱肉強食、
食うもの食われるもの、
栄養を取って、有機体を形つくり、
排泄し、土になってまた次の生命になる。

自然は自然のまま、ただそこにあるだけ。
なんらかの摂理みたいなものがあるのかは知れないが、
生態系の循環が、ただ巡っている。


そんな自然現象を、
どーーーしても、
受け入れたくないと、
ものすごく抵抗している駄々っ子がいる。

抵抗できる訳もないのに、
頑なに抵抗している唯一の存在。

人の脳みそ。

人の脳みそだけが、
「受け入れられない」
と、突然、言い出した。

自然界の中に起こった、
自然界のプログラムに起きたバグ、
自然界のメカニズムに発生したエラー、
自然界のシステムの中の誤作動、

現実世界では、公害、自然破壊、戦争を引き起こし、
脳内世界では、自己否定、惨劇、被害妄想を起こしている。

「受け入れられないこころ」のほうが、
そもそも、不自然だったのだ。

自然界の異分子みたいな存在として、
私たちは隅っこの方にいる。

でも、だからこそ、
自然に返る物語にあこがれ、
自然に返る物語を生きている。

例えば、「奇跡のリンゴ」の物語。
農薬や栽培技術で管理されないと育たなくなった、現代の弱いりんごを、
何十年もかけて自然栽培し、自然の力をたっぷり吸い込める、本来の強さを持った野生のりんごに返すことに成功した、木村さんの物語。


こころの病気は、治すものではなくて治るもの。
治す、というのは、
脳薬や自然改造技術を発達させることと似てる。
治る、というのは、
自然にゆだねて任せて、ただ野生に返ることと似てる。

「受け入れられないこころ」を手放せば手放すほど、
もっともっと力強い生命力が、
ちゃんと存在していたことに気がつける。

木村さんが体験したように、
それは、簡単な道のりではないけども。

そんな僕の中にあったビジョンを、
何年か前、「風景構成法」みたいに描いてみた。
お気に入りの絵なんです、これ。

生態系




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