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たかが着るもので運命が変わることがあるとしたら。

私は服が好きで、着物が好きで、衣裳の仕事もしている。

着るものの力というものを、信じている人間だ。

でも、子どもの頃は、服が嫌いだった。祖母の代からの洋服屋に生まれたくせに。

そんな私が、ファッションが好きになるまでと、ファッションで得たものにより人生が変わった話をしたい。

好きなものを選べない子ども

幼少期は内気で、よく泣く、自分の意見を言うのが苦手な子どもだった。「好き」「嫌い」「YES」「NO」も言えない子だ。

ある程度の年齢になれば出てくる洋服の好みも、特になかった。

小学校6年の頃、担任が何かのタイミングで「服を自分で用意して着てくる人ー?」と挙手を求めた時、手を挙げていないのが自分と男子一人だったのを覚えている。
その頃まだ、母が出してきた服をそのまんま着ていた。
「周りと違う」ということが人一倍怖い私は、周囲を窺い、ワンテンポ遅れて手をあげたんじゃないかと思う。

「自分で好きなものを選ぶ」ということが出来ない子だった。
多分、自己肯定感が低かったのだと思う。

「選んだのものを周囲がどう思うか」が怖くて、無難なものしか選べない。

服に限らず、図書館で本を借りるのも、家族と行ったファミレスでも、駄菓子屋でお菓子を買うのも、そんな調子だった。


ファッションて、どうしてこんなにつまらないんだろう

中学高校は制服があった。
休日に着るものはさすがに自分で選んでいたが、「この服、変じゃないかな?」と思いながら着ていた。

服は近所のショッピングモールで買うけれど、田舎はあまり選択肢がない。そして洗練されていない(これは今だから思う)。

家の洋服屋は、親やおばあちゃん世代の服を売っていたので、落ち着いたものばかり。
「ファッションて、どうしてこんなにつまらないんだろう」と思っていた。

当時はブランドの服の美しさもわからない。
ただ高いだけで、流行が変われば着れなくなるという。
「不経済だな」と思っていた。

校則違反スレスレの可愛い靴下も、髪型も、軽犯罪みたいに見えた。

ファッションは享楽でしかなく、軽薄なものだと思っていた。

ただそれにしては、世界的なデザイナーの言葉が哲学的だったり、光野桃さんのファッションのエッセイがあまりに素敵で何度も読んだりして、
自分が日々見ている服の世界と捻じれているような、なにか違う服の世界が、この世のどこかに存在している気がしていた。


好きなものを好きと言っても大丈夫

高校生の頃、なにかのキッカケで原宿に行き、当時流行っていた古着屋のハンジローに入った。
今の服にはない色や、個性的な柄が、見ているだけで楽しかった。
アンティークな店内の装飾も、田舎にはなかった。

そこでリメイクのベストに出会う。
自分が着たかったのはこれだ、と思った。

個性的なものが好きなのに、人の目が気になって着られずにいたけれど、これなら着れそう。

ようやく、好きなものを着ることが楽しいと思い始めた。

着るものは人の印象を大きく変える。可愛くも、大人っぽくも。
中身は相変わらず気弱で生真面目な人間なのに、面白いなと思った。

そして、気持ちが、着ているものに影響されることも知った。
お気に入りのワンピースを着て楽しくなる。
多分、大多数の女の子が、幼稚園くらいで経験しているであろうことを、ようやく知った。

服を通して「好き」を選ぶことが出来た私は、人と違う意見も言っていいんだ、と、自分で受け止められるようになる。

ファッションは、人を変えることが出来る。


正解を決めるのは自分

アパレル販売のアルバイトを経て、ファッションの専門学校で、デザイン、パターン(型紙)、縫製を学ぶ。

服は、衿の形が1cm違うだけで、全体の雰囲気が大きく変わってしまう。

朝、服を着て鏡を見て、「トップスに対してスカートのバランスが悪い」と思えば、ウエストを折り返して安全ピンで留め、良いと思うバランスを日々追及していた。

2way、3wayの服も面白くて好きだった。スカートにもなるシャツとか。

そのうち、それ用に作られていない普通の服を、工夫して着るようになる。
ブラウスを逆さまに着てボレロ風とか、
長さの違うスカートを重ねて色の取り合わせやボリュームを楽しむとか、
授業で使った布の残りを巻き付けてみたりとか。

「服」=「布」=「自分で形をデザインして着るもの」という感覚。

これは着物を着る時の感覚に近いな、と思う。裾の長さや衿の開きを自分で決めるのが着物だ。

あれだけ他人の目を気にしていたのに、常識外の着方も怖くなくなった。

「そんな変な服」とか言われることもなくて、同級生からは褒めてもらえることが多かったのも、自信に繋がったと思う。

学校の課題はハードで、通学も片道2時間かかったので、ほとんど寝ない生活だったけど、
好きな服を好きな形で着ることが自分を励ましたし、自分を肯定出来た。

他人の正解は関係ない。自分にとっての正解は、自分で見つけることができるんだ。


着物を着始めたら世界が広がった

この頃、無料の着付け教室で着付けを習った。
無料なので大したことはやらなかったが、家でひたすら復習して、なんとか着れるようになった。

その頃からブーツや帽子と着物を合わせていた。
今となってはSNSで結構見るけど、当時はまだ少なかったので、「街中で注意されないかな」と恐る恐る着ていた。

ある時、着物友達が欲しくて、カジュアル着物のコンテストに出たら、なんとグランプリをいただいてしまう。
「このコーディネートでも大丈夫なんだ!」と一気に自信がついた。

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そこから月1で着るようにしたら、
徐々に、友人が「着たい」と言ってくれたり、
着物を着てお出掛けするイベントを企画するようになった。

数年後、貸衣装・写真館で働くことになった。
甥の七五三の家族写真に、母と妹に着付け、自分も着て行ったのを見て、オーナーが誘ってくれたのがキッカケだ。

そこに腕の良い先生がたくさんいて、仕事にできる着付けや着物の知識、またオーナーからは営業のやりかたを教わった。

着物つながりで仲良くなった人たちから衣裳の仕事をもらい、今、舞台やMVなど、作ったり、スタイリングしたり、着付けたり、いろいろやらせてもらっている。

平行して、着物のお出掛けイベントや、着付け教室を主催している。

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着物も、私にはファッションの一部だ。洋服も着物も、同じ「好きなファッション」。

私は、好きなものを着ることで、自分を肯定出来るようになった。
自分の正解を、見付ける取っ掛かりになった。

人とは違っても好きなものを着ることで、大事な人たちに出会った。
幼い頃の内気な女の子には考えられないような経験を、たくさんしている。


私みたいな例は稀かもしれないけれど、着ているものが心に及ぼす影響を考えたら、「着ていてストレスになる服」よりは「着ていて楽しい服」を選んだ方がいい。

誰かが幸せを運んできてくれるのを待つよりも、自分で自分を幸せにしてやる方が簡単だ。

服に限らず、何でもいい。
美味しい珈琲を飲むことでも、部屋を好きなインテリアにすることでも。
自分が幸せを感じることを、真剣に追求することが、幸せへの近道なんじゃないかなと思う。


着物とリメイクで、世の中を楽しくしたいと思ってます。サポートいただいた分は、活動資金に充てさせていただきます。共感、応援いただけたら嬉しいです。