"計画"とか"所有"とか"将来”とか”富の蓄積”からの解放〜「ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと」感想
「ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと」
読み終わった。予想通り超おもろい本だった。
・ 文字も暦も持たない。
・数字は1から10までしかない上にほとんどの人はうまく数えられられないので「10まで数えられるかチャレンジ」が宴会の余興になってる。
・ 腕時計は要らないが、時計が読めることはステータスなので、皆時計をしたがる。時計の入れ墨を入れる人もいる。
この辺は、以前文化人類学や言語学の本を割と読む私にとっては「狩猟採集民あるある」ではあるのだが、
さらにムラブリ語にはムラブリ語特有の言語的特徴がガンガンあり。
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たとえば。
認知言語学的には一般に上が「良いこと」、下が「悪いこと」に結びつくことが多いが、ムラブリは「心が下がる」で良い感情を示すそうだ。
確かに日本語も、「アガる」はアッパーな幸せを意味するが、「ハア〜落ち着く〜」はチルい幸せを意味するし。
「腹が立つ」や「怒る(起きると同語源?)」は、ネガティヴなイメージなので、ムラブリの言語感覚はわからなくもない。
ムラブリは確かに、アッパーなハッピーより、チルい幸せが似合う民族だ。
怒ること(というか感情がモロ出しになること)を避ける。
言い争いになりそうな時も「怒ってないよ、本当だよ」と何度も言いながら、ささやくような音量で交渉をする。
家族との感動の再会(欧米人なら、いや日本人でも抱きつきが発生するようなシーン)でも、シレッとして目も合わせないそうだ。
「心が下がる」ことを良いこととする民族らしいふるまいである。
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これら言語的特徴や遺伝的特徴から、
「ムラブリは農耕をやめて狩猟採集民になった、比較的新しい部族なのでは?」
という仮説があるそうだ。
農耕をやめるって…人間の”進歩”からの逆行よ。超クールすぎないか。
"富の蓄積"とか"計画"とか"所有"とか"将来”とか、現代社会人が悩まされる概念全てからの解放を、意図的に選んだのだろうか。
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森の奥で狩猟採集生活を続ける民族だというと、「古い」「伝統的な」イメージがつきまとうと思うが、しかしムラブリは、上記の仮説が示すように、古くて新しい、不思議なイメージがつきまとう。
人間関係のスタンスも、日本よりむしろ進歩的な感じがする。
ムラブリは、個々人の生きる力を尊重し、なるべくをそれを削がない。
たとえば
「老人の介護が当然とされていない」
「弱者も助けを呼ばない限り助けない」
「重婚や不倫など、タブーとされていることを行う他人に対しても『その人次第だ』と言って干渉しない」
など。
「助け合い」「察し」が美徳で、それが得てしてお節介や過剰な丁寧さにつながる日本人よりも、よほどクールで新しい気がする。
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さて、この本はムラブリの本であるとともに、「ムラブリを15年間研究するうちに、どんどんムラブリぽくなり、日本人じゃなくなっていく著者」の半自伝的な本でもある。
毎日同じ時間に家を出て出勤簿にハンコを押すのが苦痛すぎて、大学研究者をやめちゃう。
どんどん持ち物が少なくなって、車中泊や他人の家に泊まったり、気軽に作れるドーム状の家を開発する。
「現在の自分のあり方が最大の研究成果」「現代日本でムラブリ的に在れる方法を模索してる」という著者もまたクールなのだった。
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「ムラブリ」が面白かった人には、こっちもめちゃくちゃおすすめ。
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