性別の表現

性別の表現

”僕は両性なんだけどベースが基本的に中性か無性。
ただし不定性なので特定の条件を満たしたときに今この性別だなって感じることがある。”

Xという性別が理解されづらいとされる理由の一つ、表現する性別について書いていくよ。

まず、アピアランスについて。

これぼく。

これもぼく。

これも僕だし、

これも僕。

このように男性、女性、中性、またはその他の見た目をその時の性自認に合わせて変えることがある。不定性や両性であればその時々の自認する性別に合わせてアピアランスが変わるので比較的理解しやすい。

注意が必要なのは、自認する性別と表現する性別が同じとは限らない場合。
性自認は男性だけど、女性の服を自分の表現として選ぶ人もいるし、
見た目から女性らしさを排除するために、男性物を着る人もいる。

ここを理解していると、うっかり傷つけることが減る。

ポイント
・不定性や両性はその時々によってアピアランスが変わる。
・自認する性別と表現する性別が同じとは限らない。


次に、言葉遣いや行動について。

言葉遣いの中で一番わかりやすいのが一人称。
僕、私、俺、わし、わい、おいらなどなど・・・いろんな一人称の中で、
ほとんどのXが自分にしっくりくるものを選んでいる、というもの。
裏を返せば性別に合わせて言葉遣いを選んでいるとは限らないということ。

行動に関しては、まずボディーランゲージ。
例えばがに股、内股など「男性的」「女性的」とされるような部分が、
混合されていたり、状況やタイミングによって変わるというもの。

あと、アウトドアスポーツを好んだり、料理や裁縫を好むなどの趣味に関係するものもある。
「男性が好む趣味」「女性が好む趣味」というのはXにとっては存在しないし、性別というバイアスよりも純粋に好きだからやっているという気持ちが大きい。「○性だもんね~」は通用しない。

ポイント
・性別に合わせて言葉遣いを選ぶとは限らない。
・性別に合わせてボディーランゲージが決まるわけではない。


まとめ

表現する性別が必ずしも見られたい性別と一致するとは限らないということが一番のポイント。
僕らが性別をベースに表現しているのではなくて、受け手が無意識に性別にあてはめていることが矛盾の発生源となっているような気がする。

まだまだ世の中には性別というフィルターがあふれていて、あらゆるものに「男性」の代名詞や「女性」の代名詞が存在しているってことだよね。

れいれい

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?