独立系ベンチャーの設立から5年間まとめ Part2 - 拡大とコロナ禍
メンバーの増員
1期目を好業績での着地が見えていたrayoutは、インターンの女の子とリファラルで4人のメンバーを迎えて9人体制になります。
この頃はあまりキャッシュフローなどの感覚もあまりなくバンバン採用をしておりましたが、今考えるとかなり攻めたなと思います。
また、この頃にコンテンツ東京という展示会に出展し、たくさんのリードを獲得できました。
これまで電話でアポイントを取って案件を獲得していた身からすると、展示会は破壊的なイノベーションでした。
「〇〇社の人と名刺交換できた!」「あの人絶対熱いよな!」そんな風に展示会の時間を楽しんでいました。
コロナ禍
そうして2期目を迎えようとしていた頃に、海外でインフルエンザみたいなものが流行ってるらしいというニュースをチラホラ聞くようになり、2期目がスタートする直前の2020年3月半ばに、コロナ禍による緊急事態宣言が発令しました。
いろんな憶測やニュースが飛び交い、世の中の当たり前が一瞬で崩壊しました。
展示会経由で撮影や動画制作など多くの引き合いを受けて喜んでいた矢先、多くの企業が一斉に販管費の支出をストップしました。
弊社でも多くの案件(撮影が絡む案件が多かった)がペンディングになり、増員したばかりの会社は一瞬のうちに経営危機に。
経営者として未熟な当時の自分からすると、かなり悩みました。寝る時もずっと頭のどこかで不安があり、その反面、会社のみんなにはポジティブな変なテンションで接していたと思います。
そんな中で、みんなで今の状況や、最悪の状況などを整理するコロナ対策会議なるものを行いました。
会議自体は、撮影が介在しない商材の強化や、これからの社会の推察など、割とありきたりな内容だったと思いますが、最悪のケースでもみんなでウーバーイーツをして繋ごうという冗談を、真っ直ぐに「最悪そうするかー」と受け入れてくれた空気に、本当に救われました。
みんなで話す中で、自分が一番怖かったことは、個人保証の融資のことでも、社会的な信用を失うことでもなく、この組織や文化やメンバーが無くなってしまうことだと再認識すると同時に、メンバーの会社へのオーナーシップの強さを感じることができたことが、本当に嬉しかったのだと思います。
※ 今でもその時期の会社を守ってきてくれたメンバーには、頭があがらない(上げてますが)感情を持ち続けていますし、私個人を否定されることは全然気にしないのですが、みんなで繋げてきたこの会社への安直な否定や、視座の低い批評などには、ついついイラッとしてしまうようです。
筋肉質な会社と野心
そこからのrayoutは、かなり筋肉質な組織になったと思います。一件一件の商談に対しての熱量や、日々の行動に生活や会社の存続を賭けて動けたことが大きかったです。
※ 「なんでもやります!」「なんかください!」みたいな商談を繰り返していました。
その頃にご接点をいただき、実績もユニークさもない弊社に案件をお任せ頂いた会社さんへは、またしても頭があがらない想いです。
そうして、頭があがらない出会いや経験を繰り返していた2期目ですが、一方で会社としてのミッションや野心も同時に持ち続けることができました。
関とタケの2名のエンジニアの下で会社として初の自社サービス『脳Sell』をリリースしました。(当初、開発外注した方に支払い後に飛ばれたりと色々と脇の甘いエピソードなど紆余曲折ありましたがなんとか。)
ビジネスモデルとしては、企業は自社の課題をコンペ形式で公募し、プラットフォーム内のユーザーは企業のブランド課題にアイデアを投稿するだけでLINEpayに交換可能なポイントが付与され、企業側は熱量の高いファンを獲得できるというモデルのサービスでした。
その人らしさを価値にできる社会を実現するという会社のミッションをストレートに表現できたサービスです。
文章と画像でライトに参加できるコンペサービスだったので、ユーザーも順当に増えていき、一時は大型コンペの開催時にはTwitterのトレンドにも乗りました。
泥臭い営業活動と自社プロダクトを引っ提げ、冬を迎える前には9万円のマンションオフィスから池ノ上の19万円のオフィスに移転しました。
クライアントに講師としてご協力いただきながら一人一人のスキルを向上させるための企画研修を行ったりと、少しずつ社会と戦っていく為の成長機会も生まれていきました。
こうして波乱の2期目は、来期に向けた確かな成長への手応えと、ミッションを胸に走り抜けることができました。
Part3に続く