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Fela Kuti ~アフロビートの父~

数日前にいつも楽しく読ませてもらってるえいきらさんの所で、Transglobal Underground "Sky Giant" を聴いて何気にふと思い出したのが、フェラクッティFela Kutti(日本語では、クティと書かれているが、私はナイジェリアン達がクッティと呼んでいたのであえてクッティと書いている。発音をカタカナにするのがめちゃくちゃ難しい)。ナイジェリアの北島三郎くらい有名な大アーティスト。でも世界的に知られてるから、スティービーワンダーとかの方がしっくりくるのかな?レゲエでのボブマーリーが良い表現かな。とにかく偉大なミュージシャンで、自伝や舞台、ドキュメントなど様々な形式で語られているアフリカの音楽界の偉人です。

そこでフェラとの出会いを遡ってみることにした今回。遡れば遡るほどなんか虚しくなる私。なんせ、元カレ達との思い出は、暗黒と言うより漆黒メモリーズなので私の過去史は、悪夢を蘇らせられるものも多く今まで一切封印していたんだけれど、あの記事に出会ってフェラクッティをもう一回聴いてみるかと言う気持ちになった。まさに過去療法。。。


フェラクッティに関しては、先ずナイジェリア出身の彼が聴いていたのが出会いのきっかけ。めちゃくちゃ面白いビートと言葉で、訳も分からないのに私はよく口ずさんでいた。渡米当初に私が出会ってきた男性陣は、まぁナイジェリアルーツの人が多かった。もう20年も前の話だけどLAのクラブ界隈で遊びまくっていた私がなぜか本当に仲良くなるのがいつもナイジェリアンだったのだ。コンゴ人も居たけど、あの頃は本当にナイジェリア人多かった。(笑)で、腹立つ話、彼らには、浮気をされまくっていた。

でも、よくよく考えると、あれは当たり前な事だったというのが今思うとよく分かる。何せ彼らの父親には、第一夫人から多いヤツには第十夫人までいたのだ。しかもアメリカに移民出来るとなると経済的に豊かな坊ちゃん達だったと思うし。だから、父親と同じ事をやっているくらいの感覚なんだろうね。当時はアメリカに来たばかりで私もまだナイーブだったから、めっちゃ彼らを諭したし、私の彼だった奴を浮気発覚時に掴み上げたりもしたりした。(笑) 正義感からか、とにかく浮気は良くない。と当時の私は言っていたんだけれど、彼らにとっては、浮気と言う概念ではきっと無かったんだよね。これぞ暖簾に腕押し。その後ナイジェリアンの男とは、一切関わらなくなったのは、こういう所が深く関係していると思う。思想というのかな、根本の土台が全く違う故、私とは合わないと後に悟った。

ここで、誤解しないで欲しいのだが、男性として付き合わなくなったと言うだけで、悟った今でも、知り合いにも友人にもナイジェリアンはいるし、別に彼らを差別している訳じゃない。嫌いとかでもないから、どうかご理解頂きたいと思う。ただただ、私の中では、パートナーとしては選ばないと言うだけの話。異文化、異人種の人と付き合うという事は、相手の文化や風習を半分必ず受け入れる必要があると思う。日本はこうだからこうしてって言うのは揉める原因になるよね。半分受け入れる心の広さと相手のバックグラウンドをちゃんと理解するのもリスペクトされる大事な要因の一つだと思う。たとえ日本で出会って一緒になっても、ここが出来るともっと関係がうまくいくと思うな。私みたいな失敗をどうかみなさんしないでくださいね。


大きく話題からずれてしまったんだけれど、先ずはフェラクッティを少し紹介しようと思う。

フェラ・クティ(Fela Anikulapo Kuti, 1938年10月15日 - 1997年8月2日)はナイジェリア出身のミュージシャン、黒人解放運動家。サックス、ピアノ、ヴォーカルと多彩な技術を誇るマルチミュージシャンで、アフロビートの創始者。「Black President(黒い大統領)」と呼ばれる場合もある。Wiki参照

フェラクッティは、アパルトヘイトなど、まだ黒人は奴隷として差別を受けていた時代に産まれながらも、イギリスに留学する事が出来たので、彼は経済的には恵まれていたと私は思う。牧師の父と活動家の母だからこそ、人々の平等と音楽への愛が深まった背景があると思う。人種差別をイギリスで受けて以降、本国、そしてコンゴ、アメリカでの経験など、彼の悲惨な体験が音楽に反映されているからこそ彼の音楽は人々の心の琴線に触れることが出来たのだとも思う。やはり、音楽はどの時代も心の叫びであるよね。また、ナイジェリアには、様々な部族があり、部族間の抗争もあった当時に芸術を歓迎する富裕層が居なかったことが、国内での活動を困難にしたと言う点はとても当時を表しているなとも思った。ナイジェリアのとても悲しい過去だ。富裕層が彼を優遇してサポートしていたら今のナイジェリアとはちがった豊かな国になっていたかもしれない。

フェラクッティの音楽で私が好きなところは、やっぱりジャズがベースのところと、イギリス留学時代にトランペットを習得してから、アフリカの楽器と融合させて、アフロビートの原型を作ったところの二つ。やっぱり、歴史に残るものを作るって凄まじいパワーだと思う。様々な、軋轢の中でもがいて磨き上げていく過程が、オリジナリティーを生み出すと思うし、周りを巻き込んできっと凄いエナジーフローだったと思う。


時代をつくるような凄いエナジーは、HIPHOPが80年代に登場した時も同じだったはずだ。RunDMC、PublicEnemyに始まるオールドスクール時代に、ギャングスタラップを始めたIce-T、そこからNWAとギャングスタブーム、P.Diddy、Jay-Z、Snoop Dogg,そして、Biggy, Tupacの抗争時代、他、HIPHOPも激動の時代を作っていまがある。変わりゆく時代にうねりを起こせるのが偉大なアーティストだし、語り継がれていく人になるのだろう。


そんなフェラクッティをブロードウェイで披露したのが、Jay-ZとWill Smith & Jada Pinkett Smith(ウィルスミス夫妻)だ。Fela!のNYCでの公演は大成功を収めて、以降全米ツアーを開始して、ロサンゼルス公演は、2013年の5月だった。Fela!の舞台でサックス奏者を務めたAlex.Jay氏に是非観に来るように言われて、鑑賞に行ったんだけれど、めちゃくちゃ楽しく素晴らしかった。舞台終了後に挨拶に行ったら、フェラクッティの彼女そしてシンガー、ブラックパンサーとして数々の事をフェラクッティに教えたサンドラ・イシドール(Sandra Isidore)にも会えて、フェラクッティの話を少ししてもらえた。彼女に「舞台はどうだった?貴方のようなアジアの女性にまで舞台を観に来てもらう事が出来てとても光栄だわ。」と言ってもらえた。笑える話、Fela!のLA公演では、ナイジェリアンが8割くらいで、それぞれが独自のコスチュームを身にまといファッションショーのようでもあった。それ以外は、白人ばかりで、アジア人を全く見なかったのだ。舞台鑑賞中も、みんな歌ったり、声をあげたり、めちゃくちゃ面白い体験だった。ああやって、楽しんで観る経験は初めてだったから、すごくいい経験になった。日本じゃぁ、無いだろうね。「しーーーーーーっ!」とかされるんだろうな。(笑) 

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なんせ昔の写真過ぎてお恥ずかしいのでお顔は失礼します。


アフリカンとジャズが好きな方は、必見、必読、チェケラでございます。


Headder picture is from Afro Emannuel  which described and drew incredible article about the artist Fela Kutti. When I was looking for perfect image of Fela I came across this web luckily. Take a look as well everyone! I will recommended.




最後まで一読ありがとうございました。