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Coffy の由来

私には、ミニチュアピンチャーの愛犬が居る。その名もコフィ。

コフィとは、今年で13年連れ添っていて、私の大事なパートナーである。

出会い:13年前、私はアメリカで全てを失った。仕事から愛する人から夢から希望まで人生でどん底にいて、ソーシャルワーカーの人に2週間に一回のペースで会っていた。(日本で言ったら精神科になるのかな) 生きていくのが本当に苦しくて色んな事が本当にどうでもよくなってしまっていて、精神的に本当に不安定だった。ただ救いだった事は、私の先生は薬を私に処方せず呼吸法や瞑想を教えてくれたり、何か大切なモノをまた手に入れてみてはどうかと提案してくれたりして私に何が好きだったかとかを聞いてくれていた。

しばらく何も答えが出せないでいたのだが、昔から実家でも飼っているし犬だ。と思えた。こんなシンプルな事すら思考出来ない程私は陥っていたのだ。そこで先生に犬が好きでしたと言ったら、アニマルシェルターに行っておいでと勧められたので、ある日シェルターに行ってみた。

そこには、信じられないくらいの犬と猫、鳥や爬虫類、ありとあらゆる動物がいた。引き取られない子は、殺処分になってしまうと思ったら、全部持って帰ってあげたくなった。私は、ダメ人間でどうしようもないけれど、この子たちは、死を待っているんだと思ったら急にどうにかしたい衝動にかられた。

しかし、全てを救うなんて事は出来ない。苦しかったけれど、犬のゾーンに進んだ。先ず迎え入れたのは、ピットブル達。強さの象徴で人気があるのは分かるが、ちゃんと調教しないと子供などを襲ったりするほど凶暴になる。そして、シェパードやハスキーの大型犬、雑種も含めて大きな檻にいた。吠えかかってくる子もいて怖いくらいだった。その奥には中型犬がいて、一番ドアから遠いところに小型犬が十匹ほどずつ大きな檻で走り回っていた。

私には、小型犬しか飼える余裕がなかったので、小型犬の檻を一つずつ見て回った。檻の端には一匹ずつの写真と年齢が記載されていて色んな色のシールが貼られてあった。私は、ミルクティー色のチワワ1歳の緑ステッカーの子を選んだ。職員さんは、緑は元気な子で人に対して直ぐなつけるフレンドリーな犬だよ。と言ってくれて檻から出してくれた。

アダプトする飼い主は、里親になる前に庭や敷地の中で犬と遊んだり戯れたりしてフィーリングを確認し合える。私は、ミルクティーと暫く庭で遊んでいて職員さんにこの子にします。と希望を伝えた。すると職員さんはオフィスに戻り必要手続きをするために書類を発行し始めた。

数分して戻って来るや否や、申し訳ないんだけれど、こちらの手違いでこの子は7歳だったの。おおおお。ミルクティーよ。7歳だったのか。私的にはどうしても長く一緒に生きたいのだ。途中でお別れじゃ、また心が折れてしまいそうだ。泣く泣く私は職員さんに他の子も見ていいですか?と聞いたら、もちろんよ。と言ってもらえた。

どの子を見てもミルクティーの愛くるしさには叶わないなと思いながら最後の檻に来た時、角でガクガク震える真っ黒いひ弱な子を発見した。写真を見たらミニチュアピンチャー0歳(8ヶ月)でステッカーの色は黄色だった。職員さんをまた呼んで黄色のステッカーの意味を聞いてみた。すると、虐待やネグレクトで心をなかなか開けない、少し飼うのにケアが必要な子達よ。と言われた。一瞬ひるんだが、私をずっと見ていたので意を決して少し遊んでもいいですか?というと、職員さんはもちろん。と言って檻に入っていった。するとその子は逃げ回って隅から隅へ移動し、本当にビビりまくっていた。ようやく職員さんの胸に抱かれて私のもとへ来ると不審そうに私を見ていた。でも私がしゃがんで腿をポンポンと叩いてココにおいでとやったとたん、その子はぴょこんと私の腿に乗ってきたのだ。ああああ。この気持ちは忘れられない。私に彼女が必要だったように、彼女も私を必要としてくれたのだ。

職員さんは驚いていた。あなたが気に入ったみたいね。と言ってくれた。

ちなみに赤いステッカーは凶暴で飼う事は難しいとの色だった。帰りにチラッと見たらピットブルのステッカーは軒並み赤だった。。。

その後、ロサンゼルス市の登録料だけを支払って私のアダプションは終わった。しかし、連れて帰るのには去勢手術を受ける事が義務付けられていて我が子はそこから病院へ連れていかれる事になった。週末だったので、月曜まではしばしお別れらしい。そして、待ちに待った月曜日にようやく迎えに行く事が出来た。

女の子なのに子宮を摘出なんて1歳で傷つけてしまって、私は責任重大だとこの週末感じていたので、病院からフラフラで出てきた時は泣いてしまった。先生はまだ麻酔が効いているので明日くらいまでは眠りつづけると思うけれど心配いらないからね。起きたら元気になるから。といって私に我が子を抱っこさせた。あああ。母親になった。そして心神喪失だった私だが、すごくエネルギーが湧いてきた。この子を守っていかなければ!

その晩我が子は眠り続けた。私は真横で寝顔を見続けた。いつしか私も寝落ちして、次の日の朝お水を飲んでいる音で私は目覚めた。嬉しかった。元気になっていた。とりあえず、パティオに連れて行ったらおしっこしてくれて。それからは、家の中で私に着いてまわって常に一緒だった。

1か月くらい経って先生の所に行ったら、顔の血色が変わった。と言われた。先生にアダプトの事を伝えたら本当に喜んでくれた。これからは、その子を愛してあげなきゃね。って言ってくれた。無償の愛を捧げる事で私は少しずつ強くなってきている。自分なんか、とか、卑下したりする事を日々の暮らして考えなくなったことは私にとって最大のリハビリになった。そしてその後3か月に1回になり、セッションは無事終了した。

我が子が来てから散歩に出始めた。グリフィスパークという天文台がうちの近くにあるのだが、その山を我が子と一緒にハイキングし始めたら、あっという間に、日焼けで真っ黒になり、体重が落ちていった。我が子は、私にとって、救世主となった。

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ここで、本題の名前の由来の我が子の名前だが、私の大好きだった女優パム・グリアの一番好きな映画Coffy(コフィ)から主人公の名前を取ってコフィと名付けた。強くたくましくなって欲しいのと共に私のボディーガードも兼ての命名だ。


日本では見れるか分かんないですが、英語圏ではフリーで観れると思いますので是非一度見てみて下さい。コフィ、めっちゃカッコいいんです!


そして13年間、私を支えてくれるパートナー:コフィ。本当に本当に感謝しているよ。いつまでも私の隣でワガママいっぱいでいてね。

I love you, Coffy. By, Mama 

我が子の #名前の由来  でした。

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