「スイカに塩をかける」原理を知って考えたこと
梅雨空が続いていますが、雨も悪くないだろう(ぺこぱ風)と思いながら過ごしています。
昨日読み終わった本で、気になるところがありました。
それは最後の解説の部分で、
スイカに塩をかけるのと同じように「生」の在り方を問うために「死」を持ってくる。対極にある「死」を隣に持ってくることで、つかみどころのない「生」の姿が少しは明確になっているのではないか。(『終末のフール』伊坂幸太郎、2009年、集英社)
というものでした。
スイカに塩をかけることで甘さが引き立つらしく(やったことない、、、笑)、これは料理における隠し味の原理でもあるみたいです。
主役である描きたいものの隣に、その対象にあるものを持ってくることで、主役が引き立つ。なるほど、確かに、と感心してしまいました。
そこでさらに思ったのは、自分自身の事でした。
私はいま大学3年生で、そろそろ将来のことを考え始めないと、という時期です。当然、私の周りも同じように思っていて、それぞれ考えていることと思います。
他人と自分を比較することがあると思います。特に私は、他人に影響を受けやすい体質で、誰かがやっていることは何でもよさそうに見えてしまうのです。だから、自分の軸をしっかり持って、他人に流されないようにしよう、と思いながら自己分析のワークをやっていました。
自分は自分、他人は他人、とは思っているものの、正直腑に落ちないところがあったというか、少し強がっている自分を感じることもありました。
そんな中、先ほど挙げた文を読んで、肩の荷が下りました。
完全に自分は自分、という風に自閉的になる必要な無い。自分の周りにいる人を参考にしながら視野を広げて、自分の隠し味として利用していこう。という風に思えました。
幸い、私の周りには素晴らしい人がたくさんいます。先輩も、後輩も、地元・高校・大学の仲間たちも、面白くて尊敬できる人がたくさんいます。そんな人たちを隠し味にしながら、そして私自身もその人たちの隠し味になれたらいいなぁ、なんて思いました。