ニヒルの憂鬱
父の死
2021年の12月初旬、父親が自殺した。
あまりにも衝撃すぎて、悲しみを悲しみのまま受け取れないほど、それから数カ月の間は精神が浮遊したような気持ちの悪い変な感覚のまま、同じように遺された家族と生きた。
その事実を、そのどうしょうもなさを、少しでも考えた途端めまいがしてまともで居られないほどだった。(悲しみは、時間をかけてゆっくりと、わたしの中から滲出した)
彼の人生は一体何だったのだろう、と、思わざるを得なかった。
生きるとは、死ぬとは、一体……。
本当に色々なことを考えた。
答えなど出るはずもなかったが、とにかく、このどうしようもない事実を、それに対するやり場のない自分の感情や認識を、何とか肯定的に前向きに持っていく必要があった。
そこからわたしの死生観は、生きることへの姿勢は、少しずつ変わってゆくことになる。
※※昨年の5月と、1周忌の頃にYouTubeにアップロードした動画を貼っておきます。めちゃめちゃ顔出ししてますので、お気になさらない方の中で観たい方がおられましたらご覧になってみてください。
編集はもちろんしてますが、基本動画撮るときは台本なしでダラダラ思いついたままに話すので聞きづらいと思いますが。。ご参考まで※※
父親が自らの手で自らの生涯に終止符を打った、という事実を目の当たりにして、こんなに強烈に悲しくてどうしようもないことってない、死ぬなら楽しく生きて何もかもやり尽くして死にたい、と強く思った。
人間というのは、失望したり、深い悲しみを知ったり、心底嫌だと思うことが起きてはじめて、本当に望んでいるものの正体を知るのだと思う。
反対側にいる「希望」や「願望」が見えたとき、それをちゃんと捉えられたとき、ようやく自分の足で前に進んでいける。そういう明暗の、上がり下がりの、コントラストがあるからきっと人生は面白い。
希望を見出せたから、失望がある。
ニワトリが先か卵が先か、などどちらでもいいがとにかく、そのコントラストを行ったり来たりする中で少しずつわたしたちはきっと、望ましい方向へ進んでいけるようにはなっているはずだろう、と思う。そう、信じていたい。
わたしの中に棲みつく「虚無くん」
わたしの中には、ただ茫然と立ちすくんでいる「ニヒル」な自分がいる。「虚無くん」だ。
なにをやるにしろ、誰と対するにしろ、「虚無くん」は確実にいつもそこにいて、悲哀の表情をするでも、怒気の顔を向けるでもなく、ただなんの感情も持たずに少し離れたところから ジッ、、 とこちらを見ていて、時折顔を出してくる。
・一体、それに何の意味があるわけ?
・どうせ意味ないのに熱くなってバカみたいだな。
・やるだけ無駄無駄。
・人と同じことして何がおもろいんや、しょーもな。
・頑張ったところで何だってんだ。
・所詮、誰も彼も自分ばっかだよな。
・くだらない。アホらし。やる意味。
「虚無くん」は、そういう投げやりでやる気のない言葉をいつも言ってくる。耳元でささやくとかそういうのではなく、印象としてそういう言葉を言っているような気がする、ということなのだが。
とにかく前向きに生きていきたい、楽しみたい、という楽天的な自分が、父の死後からより強く存在するようになった反対側で、「結局何やったってどうしょうもないじゃん」という虚無感を常に抱いている自分。
想像力が豊か過ぎて、思考が強すぎて、結果が見え透いてしまうことに対して端から諦めてしまうような感覚とでも言おうか。(これらは妄想に近いものがある、という事実も否めない)
それで、大抵のことは見え透いたはじめのとおりになったりすることが多い。経験則からわかることやそのパターンというのはやはり、歳を重ねれば重ねるほど増えていく。
明るく希望を抱いた誰かや何かに、もう失望したくない。完璧な関係性も、完璧な事象も何ひとつ存在しないに決まっているのに。理想が高すぎるのかもしれないね。
なんだか、物凄いエゴの話をしているようだけれど、エゴが人を人たらしめている。悪いことではない。
それに、主観でしかものを語れないのは、どれだけ俯瞰してメタ的な視点を持ってみたところで他者になり変わることはできず、限界はあるし、仕方のないところでもある。
人やものとの出会いによって、これをやろう、こうなりたい、前向きに楽しんで取り組みたい、と、ワクワクとした心持ちではじめたはいいが、ある一定の場所に来ると、どんなことでもどうしたって見えてきてしまう「ニヒル」。
誰がどう見ても考えすぎているだけだ、ということはわかる。
妄想的になっているところが多いことも。
森羅万象、生きている中でこの世界で起こるすべてのものの中にある「ニヒル」のことなど、見る必要はない。ただ物悲しく虚しいだけで、「ニヒル」を敢えて見ることは、なんの生産性も持たない。まったく建設的ではない。(生きるからには何かしら、よりよくしたいという欲求が人にはあるはずだと思う)
何が「ニヒル」なのか?ということも、勝手に自分で定義しているものに過ぎない。それを考えて認識するから存在し得るだけであって。なにについてもそうだけど。
だったら「ニヒル」よりもっと健康的かつ建設的なものを、意識の上に持ってくるようにはできないのだろうか。どこまでも課題である。
きっと、「虚無くん」が消滅することはない。
でも、「虚無くん」との付き合い方を考えなければ、物事への捉え方を変えていかなければ、虚しさはどこにいてもつきまとって、「虚無くん」の声は大きなままずっとそこに在るだろう。
父の死を無駄にしないためにも、わたしの中に巣食っている「ニヒル」はもっと前向きなものに変換していかなければならない。
「ニヒル」が人生から潤いを奪い、愛することを放棄させ、死の傍に自分自身を追いやってゆくのだから。
(父が生きてきた人生が無駄だとは言わない。しかし自死の事実に対する肯定的で前向きな意味づけをしたいと願っているのだ)
「ニヒル」の憂鬱、”死なない”わたし
わたしは、自死した父親と血の繋がった、彼の娘である。
そして父方の叔父も、もう何年も前に寛解に至ってはいるが、統合失調症の遍歴があり、自殺未遂の過去がある。
そこに縛られることは決してない、と言い切れる。
なぜなら、彼らとわたしは別の人間だからだ。
それに、そう言い切らなければ、わたしも父親と同じように誰かを深い深い悲しみの淵に追いやってしまうことが起きるかもしれない、という考えがよぎったことが過去にある(ここ数年、心身ともに幾分穏やかになってきてからはなくなった)。
それは絶対に、決してしてはならないと、自分が悲しみの淵に立ったときに確信した。自分で自分を殺すなんてことをしてはならないのだ、と。もうこんな悲しみを二度と、周りに生きている人たちに、大切な家族や友達たちに、覚えさせることはいけない、と。
そんなことを思っている時点ですでに縛られているのだろうし、彼らと同じような要素を多分に含んでいるのだとは思う。だが、だからこそ「わたしは遺伝や血には縛られない。わたしはわたしである」と、呪文のようにして唱え続けなければいけないと思う。
なぜそんなことを思うのかと言えば、自分の中には「世界に対する諦観」(許したり手放したりして楽になる感じではなく、失望して嘆かわしくなった上でのそれ)のようなものがずっと昔からあるからだ。それが、「ニヒル」をどこまでも居座らせ続けている。
そう、わたしは父の自死、という悲しい事件が起きるずっと以前から「ニヒル」を抱えて生きてきた。
いつからかわたしの中に棲みついたその「ニヒル」が、憂鬱を生み出し、前向きであることを放棄させ、暗くて深い海底の、冷たく淀んだ場所にとどめようとする。
父や叔父の中にもきっと、この深くて冷たい海底のような、どこまでも広くて物悲しく寂しい暗渠のような、憂鬱が、「ニヒル」がいたに違いない。
わたしは、「ニヒル」がいつか自分を自分の手で殺してしまうかもしれないという予感じみたものを、これまでの人生の中で何度か感じることがあった。
自殺するだろう、などという分かりやすく明確なものではない。死にたい、などと考えたことも一切ない。
ただ、この虚無をこのままのさばらせておいたまま生き続けたら、自分はきっといつかその虚無の手によって死んでしまうだろう、という、落胆や悲しみのようなものを、ふとした瞬間に感じることがあったのだ。
頑張らないというモットーの裏腹
わたしは、この人生を楽しく笑って前向きに生きるという「義務」がある、と思っている。
頑張りすぎてしまった結果死んだ父に対して、わたしはそんな風にはならない、そんな風に死ぬわけにはいかない、だから頑張らないぞ、などと思った。
しかし今、結果「義務」、ねばならないというような無理を自分に強いているのかもしれないな、と思う。「頑張っている」のは、父の死に対して、そのどうしょうもなさに対して、ずっと抗っているからかもしれない。
父の死が、ずっと昔からそこにあったものがいつか自分自身を蝕んでゆくかもしれないことへの恐れを、明確に炙り出したのだ。自分の中にも父の中にあったろう虚無や憂鬱が確かに存在していることは、全力で否定したい気持ちの反面、よくよく分かっている。
それは、他者との関わりの中で深く傷ついた過去を持ってから、他者との関わりを避けて生きてきてしまったこと。世間一般的な「当たり前」を生きられなかったこと。(それなりに学友がいて、順当に学校を卒業して、就職し、恋愛し、結婚し子どもを持つ、という「当たり前」のことである)
使命としての仕事を持たないこと。。
そういう自分の生き方や生きる姿勢みたいなものが、他者から容認あるいは評価されづらいものであったことに対する強い強い劣等感が、自分の中に確かに存在する「父」が、
これまでの生き方のままではもうまずいぞ!と、叫んだのだと思う。
わたしは父の死後、人との出会いを積極的に設けるようになった。
何かしよう、どこか行こう、と思えば、昔からフットワークはわりと軽い方だと思うが、もっと意識的にそれをやるようになった。他者との関わりの中で学ぶべきことはたくさんある。これは、今後も続けていこうと思う。
しかしやはり慣れないことを急激に進めたせいで、悲しいことも、傷付くこともあった。今後続けるためには、やり方は考えたいと思う。
それから、もっと若い頃に諦めた音楽をまたやりはじめた。自分で曲を作り、約10年ぶりのライブにも出るようになった。
そこにも「虚無くん」は表れた。傍へ寄ってきて、音楽をやっていくことに対する”違和感”を当てつけてくる。今現在、それが苦しくなっている。
「ねぇ、それ、本当にやる意味あるの?それやってなんになんの?誰も求めてないよね。他の奴ら見てみなよ、自己顕示欲を満たしたいだけだ、気持ちが悪い。滑稽だね、しょうもないね」そう言いたげな顔をして。
「虚無くん」は嘘つきなのではない。
間違ってはいないのだ。見方の問題。
ただ、「虚無くん」がいることで、わたしは悲観的なニヒリストになってしまう。人生を楽しもう、前向きで在ろう、と思ったら、そこに肯定的な意味を見出していかなくては。
わたしはニーチェを読むべきかもしれない。。(積極的ニヒリズム)
人生をより良い方向へ導いていくのは自分の責任だ。
「虚無くん」はわたしと共にこれからも生き続けるだろう。ニヒルは必ず存在する。だけれども、一緒により良いところへいけないだろうか。
それを「虚無くん」へ提案し続けたい。
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