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障害がある人はなぜ差別されるのか

私が普段仕事で接している精神障害者や
知的、身体障害者の方々に対して

偏見を持ったり
差別をする人っていますよね。

相模原障害者施設殺傷事件でも
加害者の障害者に対する
偏った思考によって
事件が起きました。

どれだけ障害に対して
偏見を持たないようにしようと
学校教育で習ったとしても
完全に無くなってはいない。

未だに
いじめの対象となってしまうこともある。

そして
精神障害者に対して
精神科病院で働く職員が
みんな偏見を持ってないかと言われると
たぶんそうでは無いし
私も胸を張って
今まで偏見を持ってなかったと言えるか?

と言われると
「う〜ん」
と考える自分がいます。

ですが
今はある考え方によって
そういった考えは
ほぼ消えています。


そもそも何故偏見を持たれるのか

障害を持たれている人が
何故偏見を持たれたり
差別されてしまうのか。

いくつか原因はあるかもしれませんが
1つは
その集団の平均から乖離していること。

もう1つは
出来ることで評価をする傾向にあること。

つまり
障害を抱えている人が集団の半数いれば
いじめられる可能性は低くなるのです。

そして人はどうしても
できることで評価をしてしまうからだと思います。

1つ特殊な力を持っていても

話を聞くことができない
勉強ができない
じっとしておくことができない

などできないことが多いと
その人をに見てしまう。

何ができるかできないかで
人の価値が決まるわけでは無いけれど
それでも他人よりできることが多い人は
一目置かれるわけです。


障害者には
一般の人ができないような
特殊な能力を持っていることもあれど
障害によってできないことがあるから
下に見られて
偏見を持たれたり
差別されてしまうのではないかと
考えます。


偏見を持たないために

こういう仕事をしていて
精神障害者に偏見を持ったり
差別をしてしまうと
どうしても仕事は楽しく無いだろうし
仕事の生産性も落ちるし
もちろん患者さんにも迷惑だと思います。

そこで私が
日頃どういう考え方をして
偏見や差別をしないようにしているのか
という話をします。


少しスピリチュアルな話をしますので
論理的かどうかはともかく
腑に落ちるかどうかで
このあとの話を読んでもらえればと
思います。


元看護師で
今は占いなどの仕事をしている
知り合いの知り合いがいるのですが

その方曰く

「障害を持って生まれてくる人は
 とても徳の高い魂で
 普通の人では耐えられないような
 課題や宿命を果たそうとして
 産まれてくる」

のだそうです。

天から二物も三物も与えられたような人ではなく
障害やいじめられるような
要因をもって産まれてくる人ほど
前世で徳を積んだ方々だからこそ
その分ハンディを持って産まれてくる
らしいのです。


そういったスピリチュアルな話は
確かめようも無いので
聞く人の捉え方次第なんですが

私はこの考え方を持って
精神障害者の方と接していると
偏見や差別など
感じなくなったんですよね。


人によっては

「徳を積んでるのなら
 偏見されても耐えるべきだろ!」

というような捉え方をする人も
いるかもしれませんし

「とても徳の高い人に思えない」
「そもそもそんな非論理的な考え方は
 受け付けない」

という人もいるでしょう。


私は正しいかどうかは
こういう時は割とどうでもよくて
その仮説によって

何が得られるか?
幸せに近づけるか?


という点で考えると
私は信じた方が幸せの総量は
増えると思うんですよね。

障害を抱えている人からすれば
病院スタッフが
自分たちに対して
偏見を持ち、差別をしているとすれば
居心地は当然悪いでしょうからね。

もし自分の心の中に
偏見や差別をする心が
少しでもあったとすれば

前世で徳を積んだ方なんだという
仮説を信じてみると思うことで
もしかしたら視点が変わるかもしれません😉

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