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「分かって欲しい」の図々しさ

久しぶりに一気に読んでしまった小説、感想を残しておきたい小説があります。

「希望の国のエクソダス」 

村上龍さんの作品です。

あらすじは、

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」
作中台詞

そう考える中学生グループが、インターネットを使ったビジネスや投資で財を築き、北海道の一部土地を買い取る。
独自でインフラを整え、独自のルールをつくり、雇用を生み、さらには独自の通貨を発行し、その土地で生きていく。

いわば日本の中にありながら日本に支配されない「一国」をつくってしまう物語です。

2022年の現在であれば、この先そんな未来もあり得るかも…と妙にリアルに感じてしまう話なのですが、凄いのはこの小説なんと2000年に発売されていること。22年も前なのです。

ファンタジーでありながらリアリティを持って読める、これからの生き方を考えさせられるとても面白い作品でした。

さて、タイトル「分かって欲しい」の図々しさ。
個人的にこの物語の中で一番私の心に残った、考えさせられる場面があります。

物語のメインは上述した通り中学生。
当然周りには大人が居て、ただの子どもだと思っていた中学生が土地を買えるほどの財を築き上げたのだから国中が大騒ぎです。

ある登場人物が、中学生と交わしたコミュニケーションについて語る場面があります。

「私は驚いたんです。
彼らの使う言葉の豊かさと
大変慎重に言葉を選んで話すことに。

これまで出会った子どもは、
だっせー、とか、うざってー、とか、
表現能力がなくボキャブラリーが極度に貧困でした。若者言葉がどうこうではない。

それは大人も同じで、
居酒屋で群れているサラリーマンは
彼らにしかわからない貧弱な言葉で、
群れの中で笑い、群れの中で叫んでいる。

しかしそれらは考えてみれば当然のことです。
彼らはサバイバルする必要がなく、
同じ言葉を喋ることで自分がどこに属しているか簡単に確認することができる。
アイデンティティの危機にさらされることはないのです。

だからコミュニケーションが
努力なしで成立すると思い込む
。」


(※抜粋し書き換えていますが、ニュアンスは同じだと思います)


「そこの子ども達はまず孤独です。

大変な状況の中で
自分を確認しなくてはいけないので
自然と言葉を獲得しようとする。

他人の話をよく聞き、
必死で理解しようとします。

自分の生き方を他人に説明したり、
他人の意見を理解するということは
彼らにとって死活問題だから。

言葉の行き違いにも敏感で
ひょっとしたら自分はこの人の言ったことの
ニュアンスを取り違えているのかも知れない、
という危機感もある。

彼らは、分かり合えることより
分かり合えないことのほうが
はるかに多いということを知っているのです。」

いかがでしょう?

私はこの場面、しばらく先に進めず、何度も読み返しました。

「分かり合えることより
分かり合えないことのほうが
はるかに多い」

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少し話は逸れますが、
私は以前海外で暮らしていたことがあります。

母国語が通じないその国で、家を借りなければいけない、仕事も見つけなくてはいけない。

それこそ「わかり合えないことの方が多い」外国でのコミュニケーションの行き違いは死活問題です。

必死に言葉を覚え、時には身振り手振りを使って、どうにか伝える。
自分が言いたいことが伝わっているか?
相手が言っていることを理解できているか?
何度も確認します。

そして今現在、日本で暮らす自分はどうか?
家族と、友人と、本当の意味でコミュニケーションがとれているか?
あの時と同じ配慮ができているか???

振り返ったとき、私の答えはノーでした。

伝わって当たり前だと思っている自分、
伝わらないことは相手のせいにしている自分に気がつきました。

無自覚に「分かって欲しい」と思っていた。
どれほど自分本位で、図々しい考えでしょう。


物語に戻ります。
中学生の周りの大人は、所詮子どもがやっていること。反抗期の延長、と舐めてかかります。

計画を潰す意図のもと、諭して”あげる”くらいの気持ちで対話を申し入れるのですが、見事なまでの返り討ち。

中学生の理路整然とした態度と、ぐうの音も出ない論理的な物言いにスカッとすると同時に、現実の大人としての自分に焦りを感じる場面です。

ここで、

「分かって欲しい」の図々しさ、
そしてそれ以上の
「分かってあげられる」の傲慢さを知りました。


同僚、友人、たとえ血の繋がった家族でも、
別の人間。他人です。

私はこの小説を読んで、

「分かって欲しい」がいかに図々しく、
「分かってあげられる」がどれほど傲慢で、
「分かり合えるはず」なんて幻想なんだな。

そんなことを思いました。

しかし、だからこそ、どんな関係性でも、どんな相手にも、ひとに対して丁寧に接していきたいな、とも思ったのです。


「分かり合えることより
分かり合えないことのほうが
はるかに多い」

何度でも繰り返し思い出したいです。


以上、この感想は本筋とは少しズレるのですが、何はともあれ様々な要素のおもしろさがある小説です。


ぜひご一読あれ!


ここまで読んでくださった方ありがとうございました!

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