私にとっての絵は自己完結した自慰行為だった、と10年かかって気づいた
下ネタではないです。
若干載せている絵に女性向け表現(BLっぽいのとか創作BLとか)があります、ご注意をば。
※メモの感覚でがーっと書き綴ったので、文章が破綻があったりしたらすいません。
note初心者なので許してくださいまし。
私についてと絵を幾つか
こんにちは、猫嶋です。
インターネットお絵描きマンをしています。
描いてる人間の絵が事前にわかってたほうがすっと入っていけると思うので、まあまず私の絵からご覧ください。
上が創作BL、下が版権です。ハガレンとかデジモン世代です。
特にデジモンの八神太一はTwitter時代も好んで描きまくっていたので、RTやpixivのまとめ投稿、Pinterestのピンなどで見かけられた方もいらっしゃるかもしれませんね。
もっと絵が見たい方がいらっしゃれば、個人サイトがあるので覗いてみてください。
※がっつり創作BL&エロ扱ってるので注意。
版権は現在下げてます、再掲は未定。
こちらからどうぞ。
メインを話していく
さて、絵を見て「とりあえずキャラはだいたいしっかり描ける人なんだな」と思われたと思います。
でもそれは「中身が無かった分、外側(器)に拘っていた」結果といえます。モチーフへの執着が強かったと言ってもいい。
私はデジ絵デビューして10年間、
「描きたいモチーフこそ強烈にあれ、誰かに何かを伝えたいという強烈な想い」
が欠落していました。
「モチーフの絵を描くこと」が目的になっていて、「絵によって何かを人に伝える」ということがまるで無かった。
長らく絵を描くために、描く内容を無理やり用意して描いていました。だからいつも労力や苦しさが無駄にあった。
それは才能とかってよりも、環境とか私の精神年齢の発達遅れとかが関わってくるんですけど、それはまた後ほど。
逃避としての絵を描くという行為
描きたくて描くことが全く無かったわけじゃないんですよ。
ただ、私は後述のとおりメンタルがすこぶる不安定で、絵に依存していたんですよね。
絵を描く行為って、というか創作する行為って、気持ちいいんですよ。だから自慰行為。作り出す快感というのか。それに溺れていた。
あとは創作をすることで孤独や苦しみをなんとか癒して支えようとした。
性行為と違って自分一人で完結するので、依存に傾きやすいかもしれません。
でも評価依存になると、他者の行動に振り回されるので、地獄だね。
私は何を隠そう、元ひきこもりで。ひきこもりのメンヘラで。
いまはひきこもってないですが、精神的に追い詰められすぎていた期間が長すぎて治る見込みはまだ立たず、いまも療養して生活訓練をしています。
冬季うつもあるので、冬は寝込むし、軽くなっていた鬱もぶり返します。
私の家庭環境はぐっちゃぐちゃで、心が安らげる場がないまま、居場所を感じられない状態がデフォルトでした。
そんな状態で幼少期を過ごしちゃったもんだから、心の土台が不安定なまま自己愛も安定しなくて、常に自殺願望を持っているような子供だったんです。
他人との境界線も薄くて、未だに距離が上手くとれません。だからTwitterは頻繁に荒れてしまって、辞めて暫く経ちます。
ほら、フォロワーさんとの距離がめちゃくちゃ近い場所でしょ?あそこは。
(※現在身内向けでつぶやき始めました)
心のぽっかりを、支えが欠けた自分という建築物を、創作行為で支えなくちゃ、埋めなくちゃいけなかった。
でないと、とてもじゃないけど生きていられなかった。
似た環境で生きて来て、でも私よりも自己愛や精神が安定している歳上の恋人がつい最近できました。
ずっと孤独だったなか、初めてできた相手です。
彼が包み込んでくれるような愛をくれたお陰でだいぶ安定してきました。でも、まだまだ根本から不安定です。
彼も音楽に造詣が深いので、よく創作についてと生きづらさについて聞いてもらっています。
本当に、このアボガド6さんの言葉の通りで。
生きづらくて、毎日死にたいと思うなか、私をどうにか支えて繋ぎ止めてくれていたのは「創作行為」….絵を描くことでした。
苦し紛れにじたばたして、描きまくっていた。
人生に絶望していたので、将来やりたいことどころか明日を生きることも辛くて、縋るものが欲しかった。生きている理由が欲しかった。
心の渇きを癒してくれるものが必要だった。
そんな時、やはり虚構の世界が助けてくれるものなんですね。助けてくれるというか、逃げ場所….ユートピアになる。
それと地続きで、私は紙と鉛筆さえあれば出来る絵に人生を捧げようと決心して。
意味もない空っぽの人生、何も使い道なんてないし。じゃあ絵に一本賭けてみるか、と。
ところがどっこい、そんな重たい動機に私の表現欲求はとても追いついていなかった。
描きたいものなんて無かったんです。
伝えたいものがない
よくある「キャラの絵は描きたいけど、何を描いていいかわからん」ということですね。
ひきこもりだから外の世界は全て恐怖、なら部屋から出ずにできることを生き甲斐に。そういう思考回路だったと思います。
何せ紙と鉛筆さえあれば完結する行為です。お金もかからず外に出ずに済むなんて、なんて都合のよすぎる趣味なんでしょう。
でもそんな都合の良い話ありません。
紙と鉛筆さえあれば出来るということは、逆に言えば「作り手がそれ以外を全て賄う必要がある」ということです。
それを当時はまるでわかっていなかった。
絵柄の特徴を掴むことが得意だったので、その長所を活かせるアニメーターになろうと考えました。
20歳~23歳ぐらいの間、ひきこもりながら毎日毎日模写とクロッキーに明け暮れました。
狂ったように来る日も来る日も描き続けた。
それで、ある日絶望するんですよ。自分自身が空っぽであることに。
伊藤嘉之さんというアニメタの方にそれはもう心酔していたのですが、その方に魂から成りきるつもりで訓練をしていました。
…実は、最初はただ彼の作風を完全に自身のものにするためにコピーしにかかっていただけで、アニメタになりたかったわけではなくて。
「アニメーターの絵はアニメーターの訓練を積まないと描けない」
という理由で突き詰めて突き詰めて訓練をするうちに、アニメタを目指すのが理にかなっているなという結論になったんです。
本当アニメタというか絵描きを舐めているといいますか。ね。
まさに空っぽな私にぴったりだなと。都合が良かった。
でも、結局私は自分自身から目を背け続けて、否定し続けていた。
盲目的に他人を追い続けて、そして最終的に目的地を見失った。
何のために描くか?
…創作は「表現手段」であるはずが、「絵を描くことがゴール」になってしまっていたんですね。
絵は、描き手の感性を写す鏡
描きたいものというのは、描き手その人の人生観と、その人独自の取捨選択から生まれます。
何に興味を持って、何に関心があって何が嫌いで何が好きか。
何に重きを置いていて、どんなことを突き詰めていきたいのか。
田中達之さんという方が、著書のアニマンラストで「しょーもない拘りが、その作家の個性になる」と書かれていたのですが、本当に些細なことでいいんです。
自分の「こっちの方が好きだな」を大切に拾い上げる必要があった。
そういうものをすべて放棄していたので、描きたい絵というものが全く湧いて来ませんでした。
いざ1枚絵を描こうとしてもぜんぜん何も思い浮かばないし、湧いてこない。
そもそもひきこもりなので、日々触れる情報が全く更新されず、感情が動かないので表現衝動というものが枯渇してしまっていました。
真似をしたり、それっぽい絵───いわば口に入れて咀嚼してすぐ吐き出した劣化コピー。
それを量産する行為はある時限界を迎えました。
乏しい感性
さて、かくかくしかじかで鬱になり、ある日布団から起き上がれなくなってしまいました。
その頃は半ば強制的に一人暮らしをしていたのですが、誰の助けも借りることができないまま社会との繋がりが完全に途絶えていきます。
幼少期から他人とまともに関われず家というテリトリーから出ることが出来ず、価値観の枠組みや他人と自分の差異───自意識のようなものが非常に朧げでした。
愛着形成(親離れ)さえ終えておらず、低学年は学校も満足に行けていないため物事を理性で判断するすべも学べぬまま、常に意識は混濁していました。
そこへ、18歳の私はひきこもりからの栄養失調。そしてストレス過多による幼少期からのブレインフォグ(頭が霧がかって思考が働かないこと)がこの時特に酷く、絵へ回す脳の養分も、考える手段さえも無く。
アイデンティティまでたどり着くことも出来ず、思春期のようなぐちゅぐちゅの不安定で湿ったジメジメとした自意識のまま、
片付け方のわからないごみ溜めのような部屋で虫の息で生きていました。
地獄のような日々。
部屋がごみ溜めなのは、ものを取捨選択し手放すことさえ出来なかったためです。愛と温もりに飢えた私は物でそれを埋めようとしていました。
そんな私には苦しみから逃れたいという感情以外に表現したいものなど無く、また自分独自の世界なども無く、他人の創作物をなぞるので精一杯だったのです。
私の当時の絵が粗末だったのは、つまり鉛筆の反対側にいる私の感性が粗末であったから。これにつきます。
絵ミネムさんが「外に出て色んなものに触れろ」と言うのは、「色んな価値観に触れ、心を成長させ、自分なりの考えを持て」ということだといまは思います。
他人の絵は「他人の表現したもの」の結果であって、それをそのまま描くことには創作としての意義はありません。
なんの行程も経ないので、創作の楽しさや醍醐味もなければ得るものもない。
(もちろん真似して描いて満足できるのなら、それはそれで幸せであり充分なのですが)
なぞった他人の絵は、真似した元の絵の作者の伝えたいことであって、私の伝えたいことでは無いんですね。
最近AIが生成する絵が「作品と言えるか」みたいなことで物議をかもしています。
私は「アイデアと構成を考え、上手く伝わるように工夫し、それを作品として作り上げるまでの過程すべて」に価値があり重きを置くべきだと考えます。
だからAIの絵は私は作品とは呼べないと思っているし、同様に模写や寄せ集めだけのものも「描き手の表現した作品」とは捉えられないなと。
絵は、描き手の想いを伝えるための手段だから。私の当時の絵はまさに模写や寄せ集めのそれでしか無かった。判子ですね。
本能的な欲求しか絵に乗せられない
ところで、こちらは幾田さんという方のイラストです。
つい最近アカウントを開設されたらしく初めて絵を拝見しました。絵は遊び心が溢れており、見ていると楽しくなってきます。
視覚的にも賑やかですが、メッセージ性のようなものもあり、しっかり考えて描かれているのがわかりますよね。
この方の絵をみて、改めて思ったんです。
「絵は手段」だったってことに。
ひきこもりで地獄を生きていた私は、5年以上かけて人の力を借りて少しづつ上へと這い上がって来ました。
それでもまだ、自己完結の範疇でしか創作を出来ていなかったのです。創作と呼んで良いかさえ怪しい。
「絵」で何を伝えたいか、わからない。
誰に伝えたいのかも、よくわからない。
伝えて、何を感じて欲しいのかもわからない。
私はスケベなのと、性的刺激に依存してエロ絵を沢山描いていたんですが、エロは単純なんですよ。
キャラを脱がせて、エロい態勢を描いて、頬を染めさせて、自分が興奮できるものを感覚に従ってひたすら描く。
故に精神が幼稚でも、価値観がふやふやでも絵として成立しました。ぶっちゃけ頭ではなくて下半身の燃え滾る衝動のままに描けば良いからです。
本能的なものに従うだけ。
モチーフに固執するのは、基本的には小さい子特有のものですね。
アンパンマンの丸さが小さい子は好き。まだそれほど色数を認識できないので、はっきりした色に反応して、楽しむ。
当時の私はそれと何ら変わりませんでした。
(生物として、男性も「形」に強く反応し興奮するという性質がありますが、これとは少し類が違っています)
自身で最高にシコれる絵を描くことが無意識的に定まっているので、結果的に他の人にもぶっ刺さり、それで興奮して貰える。
エロはみんな大好きなので、フォロワーも勝手に増える。だって性欲は、みんな生物的に持ってる欲求だもの。
でね、伝えたいことというか、表現したいことはあるんですよね。エロなら。
推しとか、そのモチーフの「エロティックな魅力」を表現したい、あるいは形にしたいわけです。
でもそれはあくまで「モチーフ」に焦点を当ててる作風で、私の本当に絵に乗せたい感情はまたちょっと違っていた。
己の死にたさを、誰かにわかって欲しかった。
声にならない号哭を、誰かに気づいて欲しかった。
絵は社会と繋がるツールで、自己の価値の証明だった
もともと絵をネットに上げ始めたのはひきこもり真っただ中の18歳くらいで、
学力の欠如その他諸々で大学を早々に中退しました。
その大学生協で買ったパソコンで、頭が働かない状態でなんとか投稿していました。
今からちょうど10年ぐらいまえですね。
社会と、他人と、繋がりたくて。でも繋がり方がわからなくて。
寂しくて。愛されたくて。心の穴を誰かに埋めて欲しくて仕方なかった。
自分という人間が存在してもいいのだと、ただ受け入れて肯定して欲しかった。自分をどんな形でもいいから必要とされたかった。
でも、それ故にエロという媒体は余計不向きだったのかもしれません。
オカズを消費する行動に「相手への理解」や「作者の苦しみ」など必要としません。ちゃんちゃらおかしくズレていたのです。
性欲をぶつけた絵に己の価値の証明もセットでつけていたため、おかしなことになっていました。
愛されたかった。でもこんな方法では愛してもらえるはずもありません。
傍から見ればすぐわかりそうなものですが、それについて長らく気づけていませんでした。それに気づくのに、10年もかかってしまった。
親は私と同じで心にぽっかり穴が空いていて、愛を与え合うことができる関係じゃありませんでした。
父と同居していましたけど、愛に飢えた悲しげな、諦めた鋭い目をしていました。
私も同じ目をしていたのだろう、そう思います。
価値観の枠組みがないと絵を組み立てられない
私は幼少期から散々でしたが、学生時代も社会から隔絶された環境で育ったので、とんちんかんな人間だったんですよ。
物事の根本の考え方からぐっちゃぐちゃで、それを絵に対して生かすことが出来なかった。
料理で例えると、例えばカレーを作りたいとしますね。
でもそもそもカレールーの買い方が分からないのです。そのレベルです。
野菜の炒め方さえわかりません。油を使うことさえ知りません。スーパーでお金を払う方法や、スーパーまでたどり着く道筋を頭の中で組み立てることが出来ないんです。
凄いでしょ。
で、自分と向き合うことからも避けていたもんだから、苦しい苦しいって喚くことしか出来なくて、
絵を作り上げる工程は他人の作風のコピーアンドペーストちょっと切り貼り、ぐらいが関の山です。
赤ちゃんとか小さい子と、やってることはだいたい同じ。
小さい頃に読み聞かせってありますが、私はそれが無かったために、言語を理解するスキルが全く育っていないことも大きかった。
絵を「前後の物語を想像して描く、見る」ということが全く出来なかった。物事を理論で考えて整理する力もなかった。
頭の中はぐちゃぐちゃで混沌でした。
怒りの感情と伝えるスキルの欠如、そして一時創作へ
私にとっての絵は、いまも昔も「自己表現」の側面は追いやられがちで、「心の苦しみから逃避する行動」に傾いてしまっていたな、と。
客観的に見れているかいまも自信がありません。
少なくとも、心の苦しみから逃れるために、描きたいものなどなくとも絵を描き続ける必要があった。
性格上、絵を描き続ける「もっともらしい大義名分」を掲げて自分を正当化しないと耐えられなかったし、
絵でなまじ「感情(というか性欲)をアウトプットして吐き出す」ことが出来てしまうので、他に代替がきかなかったというのも大きかったんでしょう。
ピカソさんだったかルーミスさんだったかが言っていました。
「絵を描き続けるには、描かないでいる時間も必要」だと。
そりゃ出し続けたらいつかは描くものなんて無くなるに決まってますし、描くものも薄まりますものね。
描かない時間で、自分自身と向き合って整理することも必要でしょう。
……そんな感じで私は、
心を満たすために絵を(何も描きたいものは無いのに)用意する
→労力を使うので、しんどい
→対価に評価を据えることでなんとか完成させる
→対価が得られないので怒りが沸く
こんな段階を踏んで、私はいつも誰かに怒りを抱いていました。
でも、そりゃそうなんです。
切り貼り作品、キャラが愛らしくにこにこしてるだけの絵で苦しみが伝わるわけが無い。
でもそもそも、それを伝える方法がわからなかった。
だから、ここ近年では意識的に好きなものを収集し続け、自分というものを形作っていきました。
アイデンティティも少しづつ形成され、じきに材料が集まり、なんとかオリジナルを描く事ができるようになった。
それを使って、なんとか己の生きる苦しさを伝えようともがきました。
設定を、世界観を構築し、キャラクターの裏設定をコツコツ重ね構築し、脳内に私独自の世界を作り出しました。
そしてそれを絵という形で、1枚の絵をストーリーの断片に見立てて公開していきました。
でも見ている人には「萌え要素」としてしか映らなかったようで、絶望してpixivを消してしまいました。
キャラという形を借りていますが、やっぱり私は己の苦しみを理解されたくて仕方なかったんです。
性欲や器への執着も一緒に表現していたので、中身を伝える力がそれに及ばなかったのでしょう。
或いは、相手にそれを共感するだけの苦しみの前提が無く、娯楽としてライトに消費できてしまったのかもしれません。
キャラクター性頼り、視点の浅さ
試行錯誤はしてきましたが、そのうえで私の描きたいと願う絵は、もっと私が熟さないと描けないのかもしれない、と考えるようになりました。
キャラクターの愛らしさに頼っていなければ、ろくに絵という形で仕上げられない。
視覚をとっぱらってしまったら、中身が無くなってしまうのです。
また、いままで2次元を見て世界をなんとか知ろうとしてきたのが、ここに来てしわ寄せとなりました。根本的に無理があった。
現実を知らなければそれをデフォルメして描くことも出来ないのに。
漫画家の高橋留美子先生は、
「経験なんてなくても漫画は描けるわよ。経験に頼らないと描けないなら才能がない」
みたいに仰っていたそうですが、
少なくとも物事の根本的な考え方捉え方は経験で得ていく必要があります。
でもこの考え方には概ね同意です。井戸から異世界に行く経験は別に無くてもいいからね。
リアリティを出すために井戸の実物は実際に五感で触れといた方がいいと思うけど。
……とにかく、いまの自分じゃどう努力しても手透かしで意味を成さない。
そもそも努力させて貰えるステージに上がれないなと頭打ちを感じています。
それはどういう意味かと言うと、「社会に出て人間的に成長する機会が得られない」ということです。
絵は、創作行為は、頭を使います。
その人の経験や価値観、感覚がダイレクトにものを言う。
触れてきたものが多いほど、絵へと盛り込むことが出来ます。
逆に理解できないものや興味が無いもの、そもそも知らないものは描くことが出来ません。
社会というものを、人というものを、それどころか日常…日々の何気ないありふれた営みさえ私にはあまりに程遠く、それを土台にした考え方や描写なんて出来なかった。
実は、人間としての基本的な価値観の枠組みや思考能力が無いと、創作をする行為もままなりません。
そして作品という形に構成することも出来ない。
絵の技術が重要視されがちなのは、それが一番分かりやすいからですが、
実際は「何を伝えたいか」とともに「伝える枠組みの基本が会得できているか」が不可欠です。
他人と関わったり社会の中でやっていくスキルがある程度構築されていないと、絵を構成するノウハウが感覚的にわからない。構成する要素そのものが見えてこないと言いますか。
少なくとも、大多数の人が理解しやすいものを作るのは恐らく困難です。
だって、一般的にみんなが経験している大前提がわからないのだから。
共有できるものがあって初めて、理解してもらうことが出来る。
絵は共感されてなんぼなので、共感できないものは好感を抱けないんですよね。
理解できないものは使いこなせない
弱虫モンブランやアンハッピーリフレインというVOCALOID曲が確か引きこもり当時流行っており、私も口ずさんでいました。
弱虫モンブランという曲は、「異性との性関係」、
アンハッピーリフレインという曲は「己の進んできた道への不安感」
という、それぞれの前提を経験していないと理解できません。
モンブランは恐らく女性器の暗喩であり、アンハッピーリフレインはwowakaさんのこれまでの創作人生、表現人生を歌っていると、今ようやく理解できるようになってきました。
引きこもりや対人恐怖で恋愛を経験して来れなかった私には、
歌詞の「行間の意味」「置き換えられている意味」を理解することが出来ず、またその考え方を自身にフィードバックすることも出来なかったのです。
そしてまとめ
絵は、コミュニケーションです。
受け取り手に、描き手が伝えたいことを伝えるための手段。
自慰的に、描く行為そのものを楽しむ人もいます。それでその人らしく居られて満たされているならいいんです。
でも私はそうじゃなかったから苦しんでしまった。
私の10年は、こうでした。
苦しみから逃避しそして昇華しようと描いた自慰の残骸を、作品として無理やり公開する。
それを評価してもらうことで、自分の価値を認めてもらおうともがき続けた。
でも、受け取り手は「伝えたいことのない絵」からは何も受け取れない。それにずっと気づけませんでした。
気づいてもらうことを願い続けて、伝えることを放棄し甘んじてきてしまった。
表現することではなく、喚き散らして苦しんで絵を仕上げることばかりが上手くなってしまいました。
創作BLで少しは自分の世界というものが構築出来るように変化して来ましたが、まだまだです。
今回の記事をなぜ書いたかというと、やはり備忘録です。
「己の絵が自慰行為の末にできた残骸だとわかったおかげで、楽になった」のです。
何が描きたいのかわからず、苦しみながら描くものを無理やりこしらえ、
苦しみながら仕上げたのち対価としての評価を得られず苦しむ…。怒りを抱く…。
それが俯瞰して理解出来ただけ、楽になれたのでした。それを忘れてしまったら、また読み返せるように。
拙文でしたが、ここまでお読みくださって本当にありがとうございました。
読んでくださったあなたにも、何かしら得られるものや、面白いなと感じていただけるものがあったとすれば、
時間を割いて読んでいただいたぶんのお返しになるでしょうか。
或いは、苦しむ創作者としての感情に添うことで、この記事の伝えたかったことを手段として、実行できたと思えるかもしれません。
おわり。
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