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田舎暮らしについてのひとまずの報告 ③

自然が仲間であるということ

Yさんは個人農家です。いまでは7反(約7,000㎡)の畑をもち、ダイコンやナス、オクラやスナップエンドウ、なかにはパンツズッキーニなどと呼ばれる変わった野菜を育てています。6年ほど前にこの町に初めてやってきたとき、彼女はまだ二十代半ばで、生きることについての痛切な放浪の季節から抜けきることができずにいました。事実、川根は旅の一通過点に過ぎない予定でした。当時、彼女の中にはむくむくと形を成しはじめていた思いがありました。農業をやりたい、という思いです。そのきっかけ自体は省きます。いずれにせよ、彼女は川根でいくつか農業体験をするうちに、1反の畑を手に入れ、じっさいに農家として生計を立てていくことになります。初めて訪れた町で、若くして、たった一人で、新たに農家になったのです。

僕は仕事として(といっていいのか微妙ですけど、それ以外に言い方もありませんので)町民にインタビューをすることがあります。Yさんもその相手の一人でした。目の前に広がる自らの畑を見遣りながら彼女が語ってくれたのは、野菜と自己との間のリレーションシップ、比喩的にいえば家族関係についてでした。野菜たちは「わが子」であり、子どもを一人前の大人に育てあげることは親の責務であるということです。もちろん関係性はけっして一方向にはなり得ません。責務を通じて、親はかけがえのない還元を受けることになります。Yさんにおいて、野菜たちがもたらしたのは孤独への解毒剤でした。彼女において野菜は存在の基盤となったのです。畑は一軒の家となり、彼女と野菜はひとつの家庭を築いたのです。

余談ですが、このインタビューを通じて―初めて農家の方にしっかりと話を聞く機会でもあったのですが―、現在いろいろなところで取りざたされている生きがいの問題について考えさせられるところがありました。それはつまり、こういうことです。真に生きるということは―つまり単なる生命の慣性運動を超えてということですが―、生きるもの(それは死ぬものでもあります)との関係のなかでこそ可能になるのではないか。何かが生まれるあるいは死ぬ瞬間を知ることで、僕らは僕らが生きていることを知り、そうして初めて生きることを知ることができる。生は生と生の中間にしかない。Yさんにとってそれは自己と野菜との関わりから始まったわけですが、自分という小さな存在が何かしら大いなるものに繋がっているという接続の意識をもつことは、それなりに真剣に、大切なことなのでしょう。

やや話が広がってしまいました。自己と自然の重複する世界認識について例を示したかったのでした。これできっといくらかは分かってもらえたのではないかと思います。さて、こうして考えてくると、技術が養われる背景には、時間や気分における余裕に加えて、もっと根本的な何かがひそんでいるような気がしてならなくなってきました。それはひとまず、自然への信頼と呼ぶことのできる感覚、あるいはもっと積極的に信念のようなものだと思います。その信念をもつものにとって、自然は仲間です。いわば存在の格が同等なのです。むしろ自然とは個々の人間を包含する全体であり、そこに包含されているという存在の形式として、自然の諸要素 ― 畑一面の野菜でも、裏山の立木でも、数学的に重なりあう花びらでも ― と自己は同格なのです。もちろん突き詰めればということですが、すくなくとも、その予感のなかで生きている人は少なくありません。僕たちが僕たちを、どういうわけかこの世界に生まれ、いまなお生きているだけの存在として認識するにつれて、僕たちは生物へと還元されてゆきます。人間だって、つまるところ生物なのです。皮膚で覆われ、口から養分を摂取し、肛門から排泄し、鼻で空気を吸っては吐き、雄と雌が子孫を残すのだから。僕たちは生物としての層においてみな繋がっているのです。実際にどの程度繋がっているかというのは大した問題ではありません。初めから終わりまで、これは認識の問題なのですから。

自然が仲間であればこそ、その力を借りるのに難しいことはありません。自然から何かを引き出す形での技術ということもまた、きっとそこまで大げさな話ではないのです。半年間この町の空気を吸い続けて、僕はそう考えることもできるようになりました。自己と自然のあいだにあった城壁がぽろぽろと崩れ落ちていくのです。僕はひとつの完結した都市国家でした。そもそも、そんなところに壁があったことすらはっきりとは分かっていなかったのですが。思えば世界は壁だらけです。広大無辺な大地と精神に壁を築き始めたころから文明が生まれたのです。有史以来、歴史はその反復です。壁は幾重にも重なり、世界は人間へと、国家へと、個人へと狭まっていきました。僕たちの生活は基本的には壁内に閉じたものになりました。当然信じられるものは壁内のものに限られていきます。いわば人為的なものにです。衣も食も住も、ひいては生きるということそのものについても。勝者総取りのシステマティックな世界において、製作されたものには本流と傍流が生じ、しだいに既製のものが蔓延るようになります。人々はみな既製の生を辿るようになります。別に誰も彼も同じと言いたいわけではありません。でも結局のところ見出すことのできる差異は、アパレルブランドによるシーズンごとのささやかなモデルチェンジみたいなものですよね。似通ってくるのが悪というわけでもないでしょう。そもそもこれは構造の問題ですから。壁に囲まれていたら、その存在を忘れ、内側のものしか信じられなくなるのは、物事の成り行きとして仕方ないことだと僕は思います。でも壁の中心では小さな暴動が散発するようになっており、これは別に最近に始まったことでもないわけです。自由が幸福を担保するとは限らないとすれば、壁内に留まるというのは自らの在り方についてのひとつの答えだと思います。でも―唯一僕がそれなりに大きな声で主張したいことがあるとすればこういうことになると思うのですが―壁があることは認識すべきです。そのうえで、自分の立ち位置を、壁の内と外ではなく、壁の右か左かという基準で、選択できるといいなと思います。もちろん自然と文明の関係において、認識はどうあれ、物理的に同心円状に配置されています。だから僕たちが内側にいることは逃れられない宿命ではあります。でも内にいながらも、外へと越境することのできる人たちがいるわけです。人間でありながら、自然へと接続する経路をもっている人たちがいるわけです。接続というよりは変身とでもいうべきでしょうか。深い深い存在の層において、いわば生成変化できる人たちのことです。壁の内と外に仲間がいて、そのどちらにも信頼を置くことができるようになれば、僕たちはあえて既製のものに縋る必要はなくなります。市販の家でなくても、市販の人生でなくてもいいわけです。究極の話としては、そこにあるものそのままで良いということになるかもしれませんが、実用と、そして輝かしき余分としての意匠を考慮すれば、往々にしてそうはいきません。でも技術があれば。自然の力を引き出して、求めているものを創ることができるわけです。越境し、創作すること。「つくっちまえばいいさ」、というのはお隣のおじさんの口癖です。たいてい続けてこう言います。「生きている意味なんてそれっぽっちなんだから」

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前回の話です。



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