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Cahier 2020.05.26-2

ときどき、猫の夢を見ることがある。

夢の中で、わたしは小さな子猫と遊んでいる。

わたしは猫アレルギーで生まれてこの方、猫と間近に接したこともなければ遊んだこともない。でも夢の中では、子猫の薄ピンク色の腹を覆う柔らかな和毛がわたしの吐息でふわふわと揺れるところまで、仔細に感じられる。

夢中になって遊んでいると、突然、猫がぬいぐるみになってしまう。

現実にいつも遊んでいた猫のぬいぐるみだった。わたしはそのぬいぐるみを愛していたけれど、さっきまで一緒に遊んでいた生きた猫がぬいぐるみに姿を変えるのを見るや否や、自分の愛情もその対象もどちらもニセモノ、つくりものだったんだ、と覚る。

そこで、夢が終わる。

何せ猫アレルギーなので、猫を可愛いとは思ってはいるものの、飼いたいと思ったことは今まで一度もなかった。でも、生きた猫がぬいぐるみに変わる瞬間の、一瞬息が止まったような感覚、そしてその後に来るさめざめとしたあの感じは一体何だろう。

二回目に猫の夢を見たとき、最初のときよりも猫は長生きした。猫と戯れる感覚も前回よりリアルで、いつまでも遊んでいたいような、あたたかく満ち足りた気分だった。

でも夢の最後にチラッと、充電式の猫の置物が出てきてしまった。

ぬいぐるみに比べてずいぶんスタイリッシュなオブジェになっていたが、やはり置物は置物だ。

わたしが生まれる前、父方の実家では一匹の白猫を飼っていたらしい。名前はココちゃんという。祖父母や父はココちゃんを可愛がっていたそうだが、ある日、臨月の母を前にした祖父が「赤ん坊を引っ掻くといけないから、猫をどっかに捨ててこい」と言い放ったという。でもココちゃんは捨てられなかった。祖父の言葉を聞いて、捨てられる前に自ら姿を消したのだという。

何せわたしは猫アレルギーなので、猫を可愛いと思ってはいるものの、飼いたいと思ったことは一度もない。

だから、わたしが夢で会うあの猫は、ココちゃんだったのかもしれない。

先日、村上春樹さんの『猫を棄てる』を読んだ。

あまり大した感想はないけれど、猫を棄てる話を「いつか書かなくては、と長いこと思っていた」という部分が、どことなくしっくりと感じられた。

捨てられる前に消えたココちゃん、指一本触れたことのないその白猫のことを、わたしは未だに夢に見ている。


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手のひらサイズの「カイエ」です。 無言獨上西樓 月如鈎 寂寞梧桐深院 鎖淸秋 ――李煜「烏夜啼」

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