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感想購入ってある意味ってキャバクラ的アレでは?

本来無償で価値交換するところを、金銭販売するって意味で、ね?
なお、批判的意図はなくあくまで仕組みの話としてやりたい。使いたい人は使うとよい。

最近見るようになった有料感想

創作界隈で最近ちらりほらりと見るようになった、お金をもらってあなたの作品の感想を書きますよ、という感想屋。添削や講評ではなく、感想である。

なぜこの様な商売が可能になったかというと、理由はSIMPLEだ。
一大創作時代となった結果、読者よりも作品供給量が増えて……作品より感想を書く読者の方が圧倒的に希少になってしまったからだ。受給が逆転したのだ。こうなると価値が希少であるほうが優位になるので、感想書く奴がお金を取れるまでになったのである。わかるか?

もともと感想書いたりファンレター書いたり、ファンアート書く層は非常に希少だった。そこに来てプロ・アマ玉石混交でやたらめったら作品をインターネットに打ち込むのだからそりゃ感想のほうが足りなくなるというものである。

結果、感想は現時点において商売になりえた。それはそれで良い。一つの世の中の流れだ。だが、それらを買いうる側、創作者は感想購入行為が何を意味するのはちゃんと考えなければならない。

チヤホヤをカネで買う意味で感想購入はキャバクラ的何某か

さて、無償交流が有償での価値交換となった場合、そこで行われるベネフィット、便益の交換は元のままではない。

例えば、性風俗。キャバクラとか、お金を払ってチヤホヤをもらいにいくサービスだろう(また別の側面もあると思うが、ここではこの点を取り上げて話す)しかしながら、チヤホヤされるのはお金の範疇でのみ、だ。サービスが終了したらしおらしく帰らないといけない。

一方で、愛嬌がいい、顔がいい、振る舞いが良いとかで魅力があるやつはなんかお金払ったりしなくてもチヤホヤされる訳だ。そういうやつらは多分いちいちキャバクラとかは誘われないといかないのだろう。ま、想像だが。

で、この両者を比較してみると、わかることがある。それは価値の供与者がどちらかということだ。

モテキャラは所有する魅力によって価値の供与者側になっている。
結果チヤホヤされる。おカネを払う必要はない。

で、そうではないヤツはお金を払ってチヤホヤされにいく。
この場合、価値の供与者はキャバクラなどのサービス側で、客は受給者だ。

つまるところ、創作の現場でも同じ事が起こっていると考えられる。
様々な要件を満たして作品が読まれる人間はカネをもらう側、要件を満たせないが感想が欲しい人間はカネを払う側に分かれてしまったのである。格差社会だ、コワイ!

特に、人間には払った労力に見合った自分の納得のいく対価が欲しいとかいう脆弱性があり、その脆弱性がおカネを出してでも感想が欲しいという行動に走らせさえする。キモチは、まあわかるが。

だが、おカネを出す前にやることがある。
自分が本当に望んでいる結果はなにか、改めることだ。

欲しいのは感想か、対価か、楽しみか

先に言っておくと、創作の対価としておカネや感想が欲しくなっているのはあまりいい状態ではない。心理学的実験とかで、そういうのはアンダーマイニング効果とかいう名前がついている。

一回外にモチベーションの理由を求めると、もともと行っていた趣味への熱量が落ちたりするやつだ。うぶちんセンセイもおカネとか感想にこだわるやつはサボテンの裏から出てきたクリーパーに爆殺されてしぬとかいってた。(以下から引用要約)

創作とか趣味とか、本来やってるだけでタノシイ代物のハズだ。それがおカネ目当とか、感想目当になって、挙げ句期待したものが与えられないとなんかこう趣味活に水をさされた気分になってやる気がなくなる。イケナイ!そんなことでは。

でもま、感想が欲しいってのはワカル。というかたいていの人はリアクションとかレスポンスがほしかろう。多分にんげんはそういう風にできてる。

そうなった時、どの様にしてセイシンテキを保つかは個々人によって違うのでどうするのが正解とかはない。おカネ払って感想もらうのも選択肢の一つではあろう。もしくは、読み合い所帯に身を寄せて仲間同士で読み合い感想行為したり、いろいろだ。

だが、文章でおカネをいただきます!という決意でなんかこういい感じに頑張っているヤツはやっぱりホイホイ感想におカネを出す前にやることがある。それは単に作品のくおりちーをあげるだけではない。

感想とは、大体最後まで読まれて初めて出てくる代物だ。そのためには、発見され認知される。面白そうと思ってページを開いてもらう。途中で飽きずに最後まで読んでもらう。読み終わったあとで、読者がなんか言いたい!となってもらう。

せかいには最低でもそういう4つの関門がある。だいたいみんな1つ目の発見されるでつまずいていくえふめいになっていることがおおい。認知されてなければ、存在していないのとイコールだ。中身のくおりちー判断以前の問題が立ちはだかっている。

そして、感想とは読者の感情、情動がもみくちゃのシッチャカメッチャカにされて絞り出されるうめき声だ。人間には自分の脳内に収まり切らない感情を叩き込まれた時、ぎっくり腰の激痛に悶えるがごとき悲鳴めいて感想を吐き出すもんだろう。たぶん。

そこにいたるまでの敷居は、クソ高い。なので、個々人でなんかエンドオブ江戸にならないよういい感じの対策を取るしか無い。がんばれ、俺も適当にがんばる。適当に。

戦場へ

令和にもなって相変わらず持たざるものに厳しい世の中である。
心身の健康あっての人生なので、自分がどうするのがしあわせにやっていけるかは重々きをつけていけ。

今回はここまで、またな。

現在は以下の作品を連載中!

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ロボットが出てきて戦うとか提供しているぞ!

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