創作論と実作品はバランス良く摂る
読み手のウチは当然作品だけ読むし、書き手に転向すると創作論に偏重しがちなのではなかろうか。バランス良く摂りたい。
物事への解像度は知が物を言う
例えば、同じ風景を観ているにしても対象を分解する知識があるとないとでは摂取できる情報量が1と10ほど変わる。
ヘッダにお借りした紫陽花を例にとって考えると、
・何らかの花
・あじさい
・ブルーのガクアジサイ、花のように見える外周は花ではない
という風に、持っている知識量で得られる情報は変わる。
これは1ジャンルだけ追求しようとすると、返って知識量不足で効率が悪く伸び悩むことになりがちなアレだ。
これは創作物と創作論でも同じ事が言えるんじゃないかと思う。
ただ面白いと思って作品を読むのと、別のレイヤーの視点を持つ。作品内の各要素がどう作用して結実するのか、それはいうなればパソコンなどの表層的グラフィカルユーザーインターフェースと、内部のプログラムを読み込めるかの違いのようなものだ。
物語とか文章も情報の構造と羅列で出来ており、プログラム的な側面を持っている。これは実は漫画とかでも、そう。絵の凄さは描かれる事象の面白さを担保し得ないしにくい為、内容が面白くないことには漫画は始まらない。なので漫画家ってやつはどえりゃースゲー生き物だと思う。
話を元に戻そう。
要するに、表層的内容にとどまらず創作物を読み込むとき、創作論の知見が役に立つっては話だ。
プロの眼をお借りする。
noteでもダイハードテイルズの方々が逆噴射小説ワークショップ形式で投稿作の添削をしてくださっているし、書籍としても講評がまとまった本はある。
これらの、作品の構造を解体しどこに面白さがあるのかないのか解剖し、解説する講評を読むと実際に最前線で活躍されている方の事象に対する解像度は途方もなく深いし細かい。執筆時の迷いやら投げやりになったとことかまでバシッと言及されるので、ひややせものだ。
で、講評とか創作論はぜったい正解とか遵守すべきってわけではない。が、やっぱりつまらないものはつまらないなりのちゃんとした弱点、ウィークポイントがあることも拾えてくる。
この、視点としての作品構造の解剖学とも言える実演会を一回体験するだけでも、他の作品に対する分解能が劇的に向上し、えられる栄養素が格段に多くなる。
一度摂取効率をあげると作品から得られる栄養素効率は2.5乗を越えるため、今流行りの2倍速でなんか映画を見た気分になるとかより効率がよくなる。まあ娯楽は効率が云々で見るもんでもないが……
両方食べよう
一方、創作論だけ読んでもふわふわとした理屈だけ理解してしまった感じになりどうにも良くない。論理は実践が伴って初めて実感として立ち上がってくる。
であれば、創作論だけ読んでも片手落ち、実際の作品を読んで、なおかつ自分の執筆に活かしてはじめて意義が出てくるんではないだろうか。
というわけで、書く気になれないときでもなんか読んだり考えたりすると時間は無駄にならない、と思う。
ただし、心身が弱っているときに講評物とか読むと自分事としてうっかり受け取ってしまいエンドオブメキシコォしてしまったりするから気をつけろ。健康第一だ。
戦場へ
プロの創作論は思いの外栄養素が多いし、自作品への講評とかでなくてもエルモのはちょーおおい。有料コンテンツなため言及にトドメたが、note内にある逆噴射小説ワークショップもめっちゃ内容が濃いため、小説を頑張りたい人は一読する価値があるぞ。
今回はここまでだ、またな。
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