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note毎日連続投稿1000日達成したけどもうちょっと読まれたい

おれはえらい。

note毎日連続投稿1000日達成しました

 2021年7月29日でnote毎日連続投稿1000日を達成したのだ。
ここ半年くらいは文章を書く元気が途絶えがちで、つぶやきでしのぐ日もボチボチあったのだがそれでもやり遂げたことはやり遂げたので胸をはる。

 継続するコツとか書こうと思ったけどありきたりにすぎる話なのでそこを主題にするのはまあやめた。端的に言って以下の要素である。

・ちゃんと寝ろ
・ご飯はバランス良く食え
・運動すろ
・たのしく書け
・Twitterは窓から投げ捨てろ
・書くときはインターネットの回線切れ
・Twitterは地獄の炎にぶちこんで焼け
・インプット増やせ
・Twitterはこの世から抹消されるべき
・書くときはスマホを手放して手の届かないとこにおけ
・Twitterを開発したやつだけが落ちる地獄が開発されるべき

 つまりインターネットとかSNSとかやる時間を減らせばインプットとかアウトプット、ついでにアウトプットのための思考時間も増やせるのでとにかくインターネットはほどほどにすとけ。

 あとキーボードを叩くことが快感になるように自分を躾けることが大事。書いている間に思考が挟まったり、次の展開になやんだりすると書くことか苦痛になりパソコンに向かうのがイヤになってしぬ。

 キーボード叩く前に今日一日に書くことは頭の中で転がして熟成させておいた方が良いし、そのためにはインターネットとかやってる場合ではなく本とか映画とか体験してあとなんも弄らないぼーっと思考だけを回す時間をとったほうがいいぞ。

 つまるところ、スマホとかは必要な時に触るような生活習慣にしたほうが人生は豊かになる。スマッホんは人を釘付けにするものばかりのアプリばっか開発されたので、じんるいが人生をちゃんとやるためには邪魔になりつつある。便利なのも考えものだ。

 特にここんところはたまにSNSを見ても毎回おなじ話題をあきもせずループしているやつが沢山おり、なんか人生を無駄にしているやつがちょーおおい。おまえの人生は、他人が怒っているのを見てなんか自分も怒らないといけないような気分になり……それに同調して怒っていたら寝る時間を迎えるとか……そういうことに費やしていいものではないはずだ。人のいのちは有限であるぞ。

 じゃあインターネットに何か書いて放流すれば有意義かっつーと当然そんなことはない。なにが有意義かは個々人の価値観によるので、当然なにをやると満たされるかも個々人によって違う。が、スマホのアプリの操り人形になっているのはおおむね違うだろう。何故断言出来るかっつーとそこに自我とか自分の意思が欠けているからで、気をつけるが良い。

 当然、noteに延々投稿することがぜったい有意義であるとも限らない。

まだまだ創作の荒野noteと受ける文章

 1000日も投稿して、この程度のフォロワー数とかスキ数なの……?とかおもったこれ読んでるそこのお前。おまえの印象はだいたい合ってる。

 おれがインターネットでバズとか大人気にならないのは、はっきりいって俺自身に世の中に寄り添う気がまったくないからである。実のところ、もっと本気で世の中をハックする文章を書く気があるなら、1000日と言わず100日程度でも、相応の成果は出せたかもしれない。

 まあ流石に毎日書いて鳴かず飛ばずでは少々骨折り損なので、今後はちょっとだけ世の中とかいうやつにこびてやってもいい。いややっぱやりたくない。

 単なる好みの話だが、こうすれば読まれますよ、スキが来ますよ、フォローされますよとかいう方法論の大部分は単に人間の脆弱性弱点を突いているだけで、それは面白いからかは実は別問題だ。

 しかしながら、面白いつまらない以前の問題として人間の仕様の脆弱性ばっか悪用していると、それは果たして人間を人間として扱っているだろうかという気分になりオレ個人としては不快なのであんまやりたくない。

 人間をこういう風にイジればこういう反応しますよみたいなことばかりをやっていたら、有機物で出来たコンピューターにコマンドプロンプトを打ち込んでいる気持ちになりますます人間性を失ってしまい良くない。ただでさえひとのこころがわからない生き物なのに、コレ以上人間性を失っては社会生活に支障をきたしてしまう。

 一方で、いい文章とかいう奴の本質は読んでいる人間にハッキングをかけられる文章だ。ココが悩ましいアレ。文豪とか名作家とかいうやつらがしばしばひとのこころがないとか言われるのは創作を突き詰めた結果、読者のこころを上げ下げするために、文章によるハッキングを突き詰めた結果ではないかと考えている。

 つまり、ひとのこころは人一倍理解しているが、それを上げ下げするためなら社会的良識を攻撃しない範囲かつ、作品の中でならなんでもするわけである。アマチュアとかはその辺無敵のひとなので社会的良識を無視した結果、社会的にしんだりする。たまにプロもやらかしてしぬ。

 ひとのこころがないは創作者にとって褒め言葉みたいなもん、て話だがそれを真に受けてサイコパス呼ばわりしたらダメだぞ。いいな?

 話をおれに戻すと、読まれるバズるうんちゃらはなんか人間の脆弱性いじってるみたいであんま気分良くないなーっつー一方で、それって良い小説、良い文章となにが違うの?ってなる。これはかなり特殊なジレンマだろう。

 人間はかなりバグとか脆弱性がおおい生き物で、ファッキンブルシット悪党はそういう脆弱性を突くことにためらいがない。むしろアドバンテージとか思っており、コンクリ壁に擦りつけてもみじおろしにしてやりたい。

 ついでに無知で無邪気に「こうすれば成功できる!」とかいうかんじで人間の脆弱性をつきまくっているやつもけっこうおり、そういうのを見てるとたまに虚無くなる。noteにはとくにたくさんいる。止めはしないのだが。

 他人事みたいに書いてるが、おれ自身過去には読まれるタビにアレコレ試行錯誤していて、その中には上記の話に該当するやつもあった。しかしながら、むなしくなったので今はやめたのだった。

 読まれるためにはこういう文章に……!みたいなのも、おれはむなしい。独自性が損なわれ、陳腐化するしナニヨリ書いていて楽しくないのが致命的。知識として仕入れはするが、結局使わないまま好き勝手に書いている。今はそれでいい。

 とはいえ、これはかなりひねた考えだ。ほんとうに幅広く読まれたいなら一般的に読まれる文章に寄せたほうが良いし、それが出来るのがプロ、って考え方もある。

 話をnoteに戻そう。

 noteはここ数年で知のプラットフォームとしてちゃんと拡大してきた一方(陰謀論とか情報商材とかのじゃあく暗黒存在はクソ目立つが統計上のわりあいはきわめて少ないと考えている)で、ユーザーの偏食傾向は特に一切変わっていない。

 それは以下の5つ。

・パッと読み切れる
・想像するのが楽
・感情が揺さぶられる
・知的好奇心が満たされる
・共感できる

 まあnoteだから、というより今のじんるいの需要がこの5つな気がせんでもない。なんでかっつーと忙しすぎるし、読書に時間を避けない、さらにはパッと感情揺さぶられてパッと切り替えれるインスタント的コンテンツが好まれる、気がするぞ。

 いまのじんるいは読書を延々続ける時間的余裕と、そこから得たクソデカ情緒を味わうこころのゆとりが損なわれており、何かとインスタントな短時間娯楽が最近はもてはやされているわけだ。

 だから数年前と相変わらず長編連載小説ってジャンルは、チョー不利だ。ちょっと上手いくらいだと中々読んでもらえない。それどころか世紀の傑作!みたいなのも、普通に埋もれたまま眠っておりもったいないことになっている。社会情勢的なサムシングなので仕方ないが、歯がゆい。

 だからといって短編ばっかバカスカ投げていても、内容によっては陳腐化が著しかったりして累積資産として機能しなかったりする、が。読まれたいだけならせいぜい一万文字程度でスパッと終わったほうが良いだろう。

 ちなみに、あからさまなお日記は流石にみんな避ける。全人類の日常の99.9%まではだいたい共通なうえ、それに平易な文体をかけるとまあおもしろ要素が残ることはまあない。ついでにみんなかけるからみんな書くせいで果てしない供給があり、過多となっているのもある。

 結論として、よほどコンテンツとして強度のあるものを毎日投げ続けられるのでない限り毎日投稿しても鳴かず飛ばずである。おつらいげんじつ。

それでも毎日書き続けるためには?

 ここまで、ながながと読まれを期待してnote使うとしぬ、という話をした。それはなんかnoteに限ったことではなく、人類大創作時代となった昨今では実は消費よりあらゆるコンテンツの供給が増えすぎてしまい、どこのプラットフォームでもたいした差はないと考えられる。

 なのでほぼ100%のじんるいは読まれず脱落していく。それでも書き続けられる存在は数字にするのがむずかしいほどに少ない。でも書き続けられる側のやつになりたいやつも少なくないはずだ。

 ここまで読み上げたおまえにこっそり秘訣を教えてやろう。それは……

たのしく書け

 である。

 世の中のじんるいは成功したい……!とか金がほしい……!とかチヤホヤされたい……!とか読まれたい……!とか、だいたいそういうクソデカ下心を持って何某かを書くが、いきなりバカデカバズで人生が変わるってことはまあそうはない。noteでめちゃくちゃ成功した人はいなくもないが、そういう人はもともと文章に10年近い下積みを積んでたとかそういう感じである。

 んで、そういう人は期待した成果が得られないとなんか虚しくなり書くことをやめてしまう。じんるい種はそういう仕様なので、やめてしまう事が敗北であるとかそういうことではない。なにより、書くより読むのが有意義な人は読むのにリソースを割いたほうが幸せにもなれるだろう。金がほしいなら本業のキャリアを伸ばしたり、転職したほうがいいケースもある。

 なので、書き続けるなら書くこと自体を快感にし、病みつきになる行為に、いかに自分の中で調整していくかがだいじだ。これはけっこー大変である。上で書いたとおり、じんるいとかいう生き物はリターンを欲しがるのが標準仕様だからだ。

 さらには快感Switchは個体によって全然違い、おれみたいに読まれる文章より書きたい文章をバンバカ書くのがたのしいみたいなタイプはまあ読まれは期待しにくい。読まれる方に寄せられなくもないが。

 なので、どういう風に書くとたのしいかは一概には言えず、したがって教えることもできない。

 ひとつ言えることは、人生において自分の意思で書こう決断した経験がある以上、書くことはおまえにとって本来はたのしい行為のはずだ。

 そこに欲とか下心を持ち込みすぎると……ガッカリ感が執筆の楽しさを上回り、筆を折らせてしまう。これは残念なことだ。

 他にも、社会生活がいそがしいとか、ちゃんと寝れず疲れているとか、なんかSNSをだらだら見てしまうとかで時間をついやしたりもする。

 なので、いかに自分にとって書くことが楽しいか、どう書くとたのしいのかを観察し、それを維持し続けるのが書き続けるコツのひとつだ。

 ぶっちゃけ受ける文章など後からの推敲と、編集の方がウェイトがデカイ。ちゃんと書き出して、書き上げるほうが経験値としてはだいじだ。世の中に受ける文章を書きたいなら、ちゃんと一本書き上げてから、バズっている文章と比較して何が悪いのか推敲したほうがはやいぞ。

 なお、たのしい感情は非常に繊細で、めちゃくちゃストレスが溜まったり栄養摂取が偏ったり、生活が不摂生だったり、運動不足だったり、お金がなかったりすると出てこない。

 だからじつはしっかり書き続けるためには時間、お金、とかにゆとりの作れる職場にいくのもだいじだとこっそり教えておこう。間違っても実績がない状態でほいほい無職になるのは、返って駄文が増えるぞ、マジでな。

まとめ

・書き続けるにはたのしく書くこと
・たのしく書くには健康でいること
・インプットアウトプットの時間的ゆとりもだいじ
・会社員の方が有利なこともたくさんある

戦場へ

 noteに投稿することがかならずしも人生において有意義ではない。

 それでも、投稿し続ける、創作し続けたい人はどうぞご参考まで。

今回はここまで、またな。

現在は以下の作品を連載中!

弊アカウントゥーの投稿は毎日夜21時更新!
ロボットが出てきて戦うとか提供しているぞ!

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