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「ヨムキプール戦争全史」

アブラハム・ラビノビッチ著 滝川義人訳 2008年12月 並木書房刊
 
10月6日は第四次中東戦争の開戦からちょうど50周年にあたります。
前回の「第三次中東戦争全史」の続きとして今回は第四次中東戦争について。
 
ヨム・キプール戦争(書名や本文中に中黒「・」はありませんが、中黒は入れるべきと考えます)は第四次中東戦争のイスラエル側の呼称で、著者はイスラエルのジャーナリスト、2004年刊行の本書は第四次中東戦争についての最も新しく詳細かつ包括的な書籍かと思います。
 
http://www.amazon.co.jp/dp/4890632379
 残念ながら現在入手困難となっています。
 
本文500ページ強、上下2段のレイアウトで先の「六日戦争全史」と文章量ではほぼ同じ大著ですが、訳者が同じなので(“ウェストバンク”といった訳者特有の表記や、やや口語的な言い回しなど、少々クセがあるが)連続して読むには都合が良いところ。
また「六日戦争全史」は起きた出来事を簡潔に記述するスタイルなのに対し、こちらは出来事の描写や登場人物の心理描写が具体的でドラマチックであり、まず読み物として大変魅力的に書かれています。
アラブ側の内部資料はエジプト・ヨルダンを除くと今でもオフィシャルな資料は充分とはいえない状態のようですが、2004年時点でイスラエル側には解禁になった資料など、戦争の概要を知る上で重要な情報の入手が可能になったとのこと。
関係国の政治家や軍人の指導者から一般の兵士に至るまで、登場人部はバラエティに富み、パウル・カレル、コーネリアス・ライアンやジョン・トーランド、ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズといった往年の戦記物の先人たちのスタイルを踏襲した多面的なノンフィクションノベルとして王道を行く面白さに溢れています。
戦争の推移と原因といった学術的興味を叶えるという目的以前に、大書の割に飽きずに読めることのメリットは非常に大きいと思いました。
 
第三次中東戦争と同様、戦争の発端となるメインプレイヤーはエジプト。
第三次中東戦争から6年、ナセルの急死を受けて大統領となったエジプトのサダトは対イスラエル政策を大きく転換するには第三次中東戦争の敗北をリセットし、イスラエルと対等な立場で向き合うためにも、もう一度戦争を行って勝利を収める必要があるとの考えから、周到に戦争準備を進めていました。
イスラエルの方は六日戦争の地滑り的勝利からアラブ諸国はイスラエルと戦争する能力も国力もないとタカをくくった状態となっていました。
開戦前のイスラエルの情報分析はアマンと呼ばれるイスラエル参謀本部情報局が行っており、その局長であるゼイラ少将が責任者を務め、エジプト側の有力な情報源「ザ・ソース」などの情報をもとに開戦の可能性は非常に低いと判断したとのこと。
「ザ・ソース」の身元は明らかにされていませんが、「経済基盤のしっかりしたエジプトのある人物」で、軍あるいは政府のかなり高位な情報にアクセスできる人物であったらしい。
ゼイラ少将はこれによりエジプトというより“サダトの戦略思想の核心”を読みとることができた、という。
そこで得られた結論として
・エジプトはシナイ半島の奪回に向けて開戦準備を進めている、が
・欲している戦略爆撃機やミサイルのソ連からの供与は未だ行われていない
=エジプトは開戦に踏み切る段階に至っていない。
この“コンセプト”と呼ばれる大原則が変わらない限りエジプトは戦争をせず、遙かに弱体なシリアはエジプトと一緒でなければ戦争をしない、との結論に至る。
 
「ザ・ソース」の信憑性という要因があるとしても、いま考えても当時のイスラエルの情報分析は合理的で、そう結論するのもむべなるかな、という気がします。
ところが、1972年10月にサダトはこの“コンセプト”から脱却し、爆撃機とミサイルの配備をこれ以上待たず、開戦に踏み切るように方針を転換。
シナイ奪還のためには予定よりも足りない手段でも達成できるとの判断による、とのこと。
それはスエズ運河のイスラエル側の土塁を効率的に破壊し、東岸から内陸に進出する戦術の確保、対空戦闘能力の向上、イスラエルの機甲戦力に対しサガーやRPG-7などの携帯対戦車兵器などで効率的に対抗できる戦術の確立など、実際に緒戦で勝利を収めた戦術の考案がサダトの自信を深めたことによるのだと思われます。
 
イスラエル側の防衛線であるバーレブ・ラインが前述の“コンセプト”の反映などから徐々に縮小され、拠点が間引きされていく様子や第三次中東戦争の結果、前線がイスラエルの主要部から数百キロに拡大し、敵が開戦を準備すれば確実に事前に察知できる、という安心感が油断に繋がっていく様子が興味深いところ。
こうした開戦前のイスラエルの事情についてはさすがに最新の書籍だけあって、詳細で驚くような事実が紹介されており、その油断の原因と緒戦の大敗北の実際について詳しく知ることができます。
 
とはいえ、開戦前にはさまざまな前兆がイスラエル側にもたらされており
・ヨルダンのフセイン国王からエジプトとシリアが戦争準備をしている旨の警告があった
・エジプトからソ連民間人が一斉に帰国をはじめた
・ゴラン高原などのシリア国境沿いにシリア軍が大量に終結中との情報
・エジプト軍のスエズ運河西岸での大規模演習
といった後から見れば明らかな開戦準備の徴候がありました。
それぞれが否定的な判断により、開戦準備とは理解されなかった理由が詳しく述べられているわけですが、やはり根底にはイスラエル側にはアラブ側が短期間のうちに開戦に踏み切れる状況に到っていないとする“コンセプト”に対する絶対的な思い込みがあったと考えざるを得ない。
イスラエル側としてはそうした背景もあったうえ、年間を通してもっとも重要な祭日であるヨム・キプールに際し、迂闊に動員をかけることへの躊躇から結果的に緒戦での電撃的奇襲を許し、緒戦で大敗を喫することになったのです。
 
緒戦の大敗から反転攻勢に出るまでの回復力の素早さはイスラエルの底力の反映ともいえるわけですが、ヨム・キプールだからこそ幸いした要素があることが驚き。
多くの予備役兵力が実家に居て連絡がつきやすく素早い召集に応じることが出来たこと、ヨム・キプール中のクルマの運転はタブーということで主要道路の渋滞が少なかったなど、特有の事情が有利に働いたとのこと。
シナイ半島にエジプト軍の主力が侵入しているうちからイスラエルが逆渡河を行い、前線の崩壊を恐れるサダトが急に停戦に積極的になったことなど、戦闘の推移は興味深い出来事の連続。
また、逆渡河が成功し、西岸に橋頭保ができた段階でもエジプト側は限定的な攻撃としか認知しておらず、渡河点への攻撃もなかったとか、逆渡河で橋頭保を確保したという事実が公なったのはゴルダ・メイアー首相自身がクネセト(国会)で議員に報告したからだ、との記述には驚きました。
どのような戦争でもそうですが、明確な勝利がない戦争では停戦に到る条件整備が非常に大切で、停戦に到る過程でキッシンジャー国務長官が果たした役割は非常に大きなものがあったとのこと。ニクソンはウォーターゲート事件に絡み司法長官の解任騒動など最早死に体で、キッシンジャーが主導権を握る必然性があったこと、サダトがその過程でソ連を見限ったプロセスの詳細は大変興味深いものがありました。
 
結果的に、イスラエルは軍事的には緒戦の大敗北を跳ね返し、停戦時には開戦前より占領地を拡大して軍事的により有利な立場となる一方、エジプトはシナイ半島への進出地を確保したことで、一応の面目を取り戻し、サダトの意図どおりイスラエルとの新しい関係の基礎をつくることに成功したことなど、双方にそれなりのメリットのある結果に終わったことが興味深いのです。
80年代のレバノン侵攻に伴いシリアと直接戦闘に至ったことを除くと、イスラエルとアラブ諸国の全面戦争の時代に終止符を打った、という点で、第四次中東戦争はやはり歴史的にも一つのエポックな出来事であったといえるでしょう。

第四次中東戦争はアラブ側の石油戦略の発動など、1974年初頭にかけて世界を混乱に陥れることになるわけですが、戦術面において第二次大戦後の戦争のなかでも特にミサイルを効率的に運用することで対戦車戦闘や防空システムに多大な影響を与えることとなります。
第二次大戦後の機甲戦術は戦車の運用に関してドイツの電撃戦を下敷きに、戦後の技術的発展を踏まえ、長射程と機動力を重視するあまり、戦車集団の単独運用に傾斜するドクトリンが主流となっていましたが、第四次中東戦争で歩兵の携行するサガーなどの小型ミサイルやRPG-7が緒戦においてイスラエルの戦車を大量に撃破するに及んで、その運用法を根底から変更する必要が生じた劇的な転換点となりました。
ロシアのウクライナ侵攻に際し、特に緒戦でロシア側の戦車が大量に撃破されたことで、再び戦車不要論的な論調を目にする機会がありましたが、この戦争の教訓はイスラエルの戦車運用がマズかった、というよりイスラエルを含む西側の機甲戦術のドクトリンにサガーが止めを刺した、ということに尽きます。
結果的に戦車の単独運用はやはりタブーとなり、他兵科との連携は大前提であること、歩兵が戦車と一緒に移動する手段としての歩兵戦闘車の開発にも繋がった。
歩兵をはじめとする他兵科の支援が可能になることで戦車ははじめてその戦闘力を遺憾なく発揮できるものであり、正しく運用される限りにおいては、戦車は陸上における移動戦闘プラットフォームとして依然として他に替わるもののない、最強の存在であり続けている、といえます。
 
この50年の間、イスラエルを巡る中東情勢はパレスチナに不完全ながら独立国家が成立したことを除くと、この地域の問題はなんら解決の目途も立たず、イスラエルは周辺のアラブ諸国と僅かずつとはいえ外交関係を樹立しつつ、占領地の入植や分離壁などで占領を恒久的な自国領土化する動きをやめようとせず、恒久的平和はむしろ遠のく状況にあります。
この原因を突き詰めていくと、国連の機能不全や関係国の地政学的思惑はもちろん大きな要因ではありますが、イスラエルの政界が右傾化を強め、国際社会が希求する占領地の返還とアラブとの和平という解決策とは逆行する政策をとり続けていることにある、と言わざるを得ません。
少数政党の乱立するイスラエではクネセト(国会)で単独で政権を担当できる大きな政党が事実上存在せず、少数政党を取り込むことでようやく政権を担当することが出来る状況を数十年にわたって繰り返してきた、という事情によるのですが、この問題は根が深い上にイスラエルのみならず21世紀に入って世界じゅうに蔓延るポピュリズムと自国第一主義と根を同じくする問題であり、本書の感想で取り扱うには少々スジ違いでもあるのでこのくらいにしておきます。
 
本書を読んで改めて思うのは、国のイデオロギーや文化的違いによる総力戦に国際関係が絡む戦争というのは、いかにも20世紀的で、今日の国際紛争の主要な要因とは大きく異なり、具体的解決策はともかくとして、戦争の原因や問題が非常に明確で、論理的に説明可能な時代だった、と実感するのです。
これは良い意味でも悪い意味でも何か相当に古臭い“古き良き時代”の出来後のように感じます。
今や戦争の実態は国家対国家ではなくてテロや非正規軍相手の“非対称戦”の時代であり、闘う相手は誰で、何を提示すれば解決するのか、といった20世紀的説明が難しい時代に入ってきたと感じます。
(ロシアのウクライナ侵攻はそう考えると非常に古典的で、原因も主体も明確に定義でき、しかもこれほど正邪の区別が明確な戦争は近年類例がないという意味で、やはり特異といえます。)
国家対国家の古典的というか、伝統的な戦争の難しい時代に入ってきたとはいえ、戦争に突入する危機はイデオロギーが主な原因であった20世紀と比べても、むしろ高まっているのではないか、と感じます。
本書を読んで戦争当事者たちの戦争回避や停戦への苦慮を読むと、当時は知り得なかった起きたことへの具体的対処と結果を知っている、という大きなプラス要因があるとはいえ、昔は賢者と呼べる人が実に多かったと感じるのですが、果たして現代の指導者たちの顔ぶれを見るに、この人たちにこのような深謀遠慮があるのだろうか?という思いを禁じ得ないのでした。

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