わたしの走馬灯・其の肆 〜桜の季節はモラハラの季節〜
先日、街中で元彼と鉢合わせた記念に。
前回のあらすじ
仕事で精神を病んだ結果休職までこぎつけた玉井。そこに光明が差し込むようなラブロマンスの到来。そのタイミングでできた彼氏が玉井を適応障害から鬱病にステップアップさせてくる逸材だとは、この頃の玉井は知る由もなかった。
登場人物
玉井(わたし)
某大企業に勤めている。クソ真面目で融通が利かず自分を追い込みやすい性質がある。プライバシーもへったくれもない地獄のような泊まり込み研修を受けて働くも、仕事のスタイルが合わず1年後に適応障害の診断を受けて休職へ。労働は悪で死は救済だと思っている。無視を中心として基本いじめられていたため高校時代はいい思い出が少ない。大学時代は恋愛に溺れる友人に絶望し一人行動を増やした。こっそり恋愛もした。精神疾患を持っているだけで全ての行為の免罪符になるのかを実証中。
元彼
メンタルヘルスに理解がありそうでなさそうでやっぱりない彼くん。別の某大企業に勤めている。玉井と同い年。現場のクソ上司をいなしつつキャリアを上り詰め、肉体労働の少ない都心近郊のオフィスに異動した。人生でメンタルを病んだ人間とは無縁だったが、身内の死は何度も看取ってきた。高校時代は恋愛こそ縁がなかったが多数の友人に恵まれ、生徒会役員も務め学業成績も良くなかなか充実していた。大学時代は主にゼミの仲間とつるんでいたが、周りが殆ど恋人持ちだったため彼女はできなかった。
かくしてわたしは休職と相成り、側には理解のある彼くんができた。黒髪眼鏡で中肉中背の王子様はメンヘラ女のエッセイ漫画で唐突に出てくる「理解のある彼くん」のステレオタイプのような容姿であったことは否めないが理知的で、無知なわたしにいろいろな処世術を授けてくれた。その中の一部は未だに役に立っている。23歳、遅いのか早いのかは分からないがわたしもとうとうメンヘラデビューして、どこまでが甘えでどこからが症状なのか分からないまま過ごし、その曖昧さが彼のイライラを加速させていった。以下はメンヘラ初心者と理解のありそうでなさそうでやっぱりない彼くんとの軌跡を記していきたい。
①価値観の擦り合わせが基本的にできない
カップルに関わらず、他人同士というのは価値観の違う環境で生まれ育ち、共に過ごすとなればそのズレを埋め合わせながら生きていくものだろう。当時のわたしもそう思っていたが現実はそんなに甘くなかった。彼は基本「俺に合わせろ」というスタイルだった。それは二人の過ごし方に関してであり、一緒に出かける場所はわたしに決めさせることが多かった。それは大して面白くもない場所に無理に連れていっても疲れさせるだけだろうという彼の配慮なのかもしれない。彼は交際前、遊ぶとなれば高田馬場のカードショップで見知らぬ人とカードバトルをしたり、価値の高いカードの相場を見つつ売却して高めの金銭を得たりしていた。ちなみに遊戯王でもポケモンでもなくMTGである。カードに興味のないわたしはそれを見ても何とも思わないだろうからいいのだが、出かけた後のプランニングはお任せ、悪く言えば丸投げであった。それで彼の意に沿わないことをわたしが言ったりやったりすれば機嫌を損ね、呆れて無視を貫いたと思えば「俺の満足のいくようにやってみろ」という態度を取った。
「これ以上お前に合わせるの疲れたんだけど。ていうか、俺の好きなもの知ってるの?次のデートプラン、俺の好きなものに合わせて今から考えて言ってみて」
「スポーツ観戦好きって言ってたでしょ?そういう場所に行ってみる?」
「それはこの間俺が話したから知ってるんでしょ。ゼミの仲間は言わずとも好きなものを分かってくれた。お前は俺に対する理解や配慮が圧倒的に足りないんだよ」
「……」
ゼミの仲間は神様か何かなのだろうか。好きでも嫌いでも、感情は言葉にしないと伝わらないと思うのだが……そういったテレパシーめいたものは凡人のわたしには理解できない次元であった。心当たりのある彼の母校・R大学のゼミのOB・OGの皆さん、見ていたらこの記事にコメントをください。言葉を介さずとも他人の好きなものを理解できる方法を未だに模索しております。
それはそれとして、「無理」「限界」という言葉が彼の口癖であり、それを枕詞にして自分が歩み寄るということをあまりする人ではなかったように思う。(実際わたしのせいだったのかもしれないが)物事の全責任を他人に押し付けるのが得意で、極め付けは「俺をこんなに苛立たせたのはお前が人生で初めてだ」という言葉であり、その影響でうまぴょい伝説の「こんなーおもいーはーはーじめて」という歌詞を聞くたびに元彼の顔が頭をよぎるためこの曲を笑って聞くことができない。
②困った時は無視・連絡断絶
先述の「無理」に繋がるものがあるが、その我慢がピークに達すると無視をしてくるタイプであった。口上は「もうこれ以上は付き合いきれないから、後でお前の成長を確かめる。その間は連絡を一切取らない。人に甘えずに自分の力で精神を鍛えろ。期間は2ヶ月(その時々によってばらつきがある)ほど与えるから、その後俺がジャッジする」というような感じだった。我が子を谷に突き落とす獅子のような恋愛観であった。関係があるかどうか分からないが、彼はフィジカル・メンタル共に強く逞しい女性が好きで、わたしはどちらもクソザコだったため、その理想に少しでも近づけたかったのかもしれない。わたしは血反吐を吐きながら、時に向精神薬の副作用でのたうち回りながらその試練を乗り越えた。その先に彼に認められるのは究極のご褒美だったが、1ヶ月もしないうちに次の試練がやってくる。その繰り返しだった。あの頃は自炊もままならず、マックのダブルチーズバーガーばかり食っていたが、体重は気付けば7㎏落ちていた。
③話題は基本他人のDisと学生時代の自慢
そんなハッピーな蜜月を育んできたわたしたちだが、どちらかというと彼は喋りたがりで、わたしはそれをうんうんと聞いていることが多かった。話題の1/3は学生時代の栄光のエピソードであり、生徒会でこんな活躍をしたとか、部活で好成績を収めたとか、テストでめちゃくちゃ点が良かったとか、ゼミでみんなに頼られていたとか、そんなエピソードが多かった。前に同じ話聞いたな、ということも何度かあった。次の1/3は上司をはじめとした他人のDisで、主に現場時代のクソ上司の人間性をコテンパンにしていた。残りの1/3はわたしの趣味を揶揄ったり馬鹿にしてきたりおちょくってきたりである。例えばわたしに好きな歌手がいて、その人のこの曲が好きだと言っても、その歌手が過去に薬物で逮捕された前科があったりすると、曲は放っぽって薬物のことばかり取り上げて笑ってくるのだ。確かに薬は許されることではないが、その人が作った曲に罪はないのに……とずっと思っていた。平時というか明るい時も、他人sageと自分ageに余念がない人物だった、といえるかもしれない。他人の価値を下げるようなことを言うと、相対的に自分の価値が上がるのだ。彼と過ごす時間でそれが痛いほど分かった。もちろん全てが苦痛だったわけではない。彼の友人の面白エピソードに腹を抱えて笑うこともニコニコしながら話を聞くこともあったが、思い出せるのはこういう話ばかりなのだ。申し訳ない。
④自分の言う通りに改造したいが「自分の意志を持て」とも言う
意味が分からない?分かれよ。殺すぞ(元彼金言)。彼好みに変わると言うことは自分の意思を押し殺すことに等しかった。それくらい彼の理想とわたしの現実は乖離していたのである。デレマスをやっている人なら分かるネタだが、白菊ほたるに木場真奈美のようになれと言われても無理だということに近い。タンポポにひまわりになれと言われてもなれないだろう。自分の意思を持つということは、タンポポをひまわりに変えずタンポポのまま綺麗に咲かせるということである。矛盾しているのだ。この二つを両立させるのはどう足掻いても厳しい。そして「自分の意思を持つための修行期間」が数週間設けられる。この矛盾に気づくまでにわたしは別れてからの1年を要した。
ここで、わたしが彼に見放され、自己研鑽という名の修行に明け暮れていた間、血反吐を吐きつつ聴いていた素敵なプレイリストを紹介する。
①幸せになりたい(内田有紀)
喧嘩中の恋人同士の関係性を歌った曲。2番Bメロの「私から変わらなくちゃ明日は永遠に来ない」というフレーズが胸にブッ刺さった。その通りだと思って「変わる」ことに専念した。この頃はちょうど夏で、サインバルタの副作用で深夜3時に空っぽの胃から何かを吐き出そうとゲーゲーしていた。この時は本当に、悔しくて情けなくて世界一惨めなわたしだった。
②才悩人応援歌(BUMP OF CHICKEN)
彼の期待に応えられず彼の意のままに変われないわたしは正真正銘の産廃でゴミカスだと思っていた。別れないうちに死にたかったが自殺は絶対に許されなかった(自殺について考えることも許さないと脅迫されていた)から、毎日がひたすら生き地獄だった。
③五月雨が過ぎた頃に(Kalafina)
元彼お気に入りの曲。わたしも好き。聴くたびに元彼の視線を感じる珠玉の一曲。調子に乗ってダレてきたまったく変わらない自分の気を引き締めたい時によく聴いていた。
そんな日々を過ごしていたが、別れは突然にやってくる。2020年のハロウィンだった。全然変わらないゴミクズのわたしに彼が痺れを切らしたのだ。「セフレとしてなら今後も会ってやってもいい」「お前にはセックスできることしか魅力がない」という金言は今もわたしの魂に刻み込まれているし別れてから1年半経っていようが事実その通りだと思っている。最後に聞いた彼の言葉は「殺すぞ」で、わたしもその後定期的にいろいろな場面で使うようになっている。殺すぞ、いい言葉ですよね。わたしもそう思います。殺すぞと告げて連絡を絶った後、彼は湯島のコンカフェに行ったらしい。コンカフェは好きだが湯島は苦手だ。あらゆる所で元彼の息遣いを感じるから。
そんなこんなであれよあれよと捨てられて独りになったわたしだが、彼の望み通りに変わろうとした結果が「自分の意思を持て」だったのはちょっとよく分からなくて、分からないことを包み隠さず主治医や知り合いにそれとなく話してみた。ここで大事なのは個人的な感情を織り交ぜないことで、ただ言われたことやされたことを淡々と語るに留めた。その結果、わたしがされていたのはモラル・ハラスメントという精神的暴力の一種だということで、それは本人の気質の問題だから絶対に治らない、ということだった。最初はふーんという感じでどこか遠い世界のように聞いていたが、別れた直後のわたしは本当にボロボロだったようで、体重は交際前より12㎏落ちていたし、全身が痛かったしすぐ疲れていた。この頃にはわたしの病名はもう適応障害なんてものではなく立派な鬱病に進化していたのである。休職して半年。彼に捨てられたゴミクズのわたしに残されたのは鬱病というパートナーだったのだ。デパス大好き。
最後に、元彼に幸あれ。結婚したら報告よろしく。未来の奥さんが木場真奈美似なのか知りたい。
現在に追いついたから走馬灯はこれで終了するが、日記としてnoteの更新はこれからも続けたい。書きたいことはたくさんあるのだ。物好きな方、何卒お付き合いお願いします。
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