わたしの走馬灯・其の参
これは遍く人類に共有したいことなのだが、鬱やその他精神疾患を抱えながら外に出て生きている人に「元気そうだね」と言うのははっきり言って禁句である。元気そうなのではなく、薬をあれこれ飲んで、日内変動を乗り越えて、ようやく人前に出られるレベルに精神を持っていっているのである。あと、(特に病による)休職はサボりでも怠けでもない。まともに働けないほどに病に苦しみ押し潰されそうになっている状態を「毎日休みなんて楽しそう」「働かなくていいなんて楽でいいね」と言うのは侮辱とすら思えてくる。しかしそれくらいよく言われる。正直相手の顔面を殴りたくなるが殴ると普通に傷害罪が適用されてしまうので、病気で苦しんでいることを詳らかに言うことにしている。こういう時『精神疾患を抱えている人は何をしても許される』という高校時代の免罪符が適用されればいいのに、と思う。過換気症候群で適用されるのだから鬱病なんてバリバリその埒内だろう。休職は永遠の夏休みとかふざけて自分で言うこともあるが、他人にそれは易々と言ってはいけないと思うのだ。そもそも余程の事情がないと休職なんて人生のレールから外れるような手段は選ばない。わたしだって普通に働いて、夏と冬にボーナスを貰って、年齢と共に着実にキャリアを積むような人生を歩みたかった。
スルスルと単位を取って、それなりの卒論を書いて、福利厚生のしっかりした会社に内定をもらったわたしは、無事に大学を卒業して社会人になった。会社バレを防ぐために多少のフェイクを入れるが、毎年数百人規模の新入社員が入る全国規模の大企業である、とだけ記述する。わたしが入社したのはコロナ禍の前であったため、泊まり込みでの研修があった。わたしはそれが本当に嫌で、地獄にいるのかと錯覚した。4人一部屋での泊まりなのだが、同部屋の同期が本当に彼氏の話しかしない。脳味噌を彼氏とルーターで共有しているのかというくらい彼氏の話しかしない。前記事を読んでくれた方なら分かると思うがわたしは恋バナの類は大嫌いだったから、とにかく自分の部屋にいないようにした。あまり性別で一括りにしてしまうのはよくないが、どうして女という生き物は恋バナばかりするのだろう。もっと趣味のことや仕事のことなどいろいろ話題はあるだろうに、自分に彼氏がいようといるまいと恋バナしかしないのだ。魔窟かと思った。夕方までの研修が終わると寮にいるしかないので、わたしはなんとしてでもそこから逃げ出したくて、スーツのまま電車に飛び乗り片道1時間ほどかけて都心まで一人で抜け出し、夕飯も抜いて門限ギリギリになるまで時間を潰していた。いくら交通費が嵩もうと、あの地獄から抜け出せるのなら関係なかった。ちなみにテレビは部屋になく、共同ホールのような場所に大きいのが1台あるだけで、チャンネルの奪い合いでたくさんの同期が殺し屋のような目をしていた。今はコロナの影響で泊まりは中止になっており、場所や研修内容こそ同じだが毎日日帰りらしい。本当に羨ましい。人に裸を見せるのが嫌で、浴場は使わず最後までシャワールームを使った。我ながらよく耐えたものだと思う。ちなみに研修期間は約1ヶ月と20日である。本気で死にたかった。土日は家に帰れたが生きた心地がしなかったのを覚えている。心を許せる同期が一人いたのが幸いだった。
まあそんな地獄のような研修を終え、わたしも晴れて職場に配属となった。直属の上司はいい人だが、たくさんある店舗を数日から一週間単位で巡回するのがまあ大変だった。店舗ごとに微妙に違うルールを覚え、覚えたと思ったら違う店舗に移動してまたリセットされる。それの繰り返しだった。余談だが、学生時代にルールの多く客層のいい飲食店でアルバイトをしていた頃「玉井さんは他の人より物覚え悪いよね」と店長に言われて精神を病み胃潰瘍になったことのあるわたしには、この仕事はかなり酷なスケジュールだったことには間違いない。それだけならまだ良いのだが(良くない)、毎年新人のメンタルを潰しまくる核弾頭レベルの逸材お局様が眠っていたり、並以下の新人に異様に当たりが強い風土があったりして、1年目が終わる頃にはわたしの脳内は自殺することでいっぱいになっていた。親にも「そこまでつらいなら辞めていい」と言われたが、辞めたら収入がなくなるから死ぬまで働くと腹を括ってたまに吐きながら仕事をしていた。わたしを追い込んだのはとある先輩(やさしい)との壊滅的な価値観のズレで、わたしが本格的に自殺を考えるレベルのギスギスでネチネチした職場のことを話したら「わたしあの店舗大好きなんです!上司の方もみんな優しいですよね〜!」と笑顔で返ってきた時は本気で異世界に迷い込んだかと思った。考えていること、感じているもの、何もかもが違う。少なくともここはわたしの生きる世界ではないと思った。
わたしは当時、働くことを「月曜から金曜まで水の張った洗面器に顔を押しつけられる」と表現していた。福利厚生はしっかりしているからほぼ毎日が定時退勤だし土日祝は解放されるが、月曜の朝になればまた水責めが待っている。わたしが周囲の勧めでメンタルクリニックを受診し、適応障害と診断を受けたのは入社して1年後のことだった。
しかし悪いことばかりではない。新しい恋人の爆誕である。理知的で頼もしく逞しい彼。満月の夜、華やかな都心でロマンチックな告白を受け、わたしの人生はまだ捨てたもんじゃないと思えたのだった。この時は。
これがきっかけで、適応障害と呼ばれていたものが後に鬱病にレベルアップするとは知らなかったのである。
(某汎用ヒト型決戦兵器アニメの次回予告のBGM)
休職手続きを終え、真綿で首を絞められるような仕事の日々から束の間の安息を得た玉井。傍らには愛する彼の姿。リスタートに向け、全ては快調に進むかと思われた。しかしそこに待ち受ける彼からの人格否定。理詰め。罵詈雑言。ボロ雑巾のように捨てられた後、玉井は彼に受けていたことが『モラル・ハラスメント』に該当すると知るのだった。次回、『わたしの走馬灯・其の肆』。さーて、この次も、サービスサービスぅ!
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