【完全解説】『聲の形』がわからないならこれを読め【懇切丁寧】

大今義時氏作『聲の形』。ちゃんと読むとすべてがきっちりかみ合って、すとんと腑に落ちるよくできた漫画なのに、途中で放棄する人の多いこと。そこで各人がいちいちすべての要素・エピソードを拾わずとも理解できるように、親切な解説記事を書くことにしました。

タイトル通り、『聲の形』でわからないことがあったら、この記事を是非読んでください

『聲の形』とは

2011年に「週刊少年マガジン」に読み切りが掲載されるや否や、主にネットを騒然とさせた話題作聴覚障がいを持つヒロイン、西宮硝子(にしみや しょうこ)が転校してきたことによる、主人公・石田将也(いしだ しょうや)をはじめとしたクラスメイトたちの変化と問題、そしてその顛末が描かれています。

2013年からは同誌にて連載版が開始。更に大きな反響を呼び、2014年に全6巻で完結。

特にいじめの描写とそれにまつわるキャラクターたちの立ち回りなどがリアルで、そのリアルさに多くの読者が自分の経験を重ねたことが、おそらく話題作となった最大の原因です。しかしこの作品においては障がいもいじめも単なる題材であり、本当のテーマは「伝えあい理解しあうことの難しさ」だと考えられます。

『聲の形』は、時に表情や演出が極めて叙情的でありながらモノローグは最低限に留められ、説明的な台詞もほぼありません。そのせいで読者は深く物語に感情移入しつつも、キャラクターのすべての感情を理解するのは困難でした。

よって好意的な意見と同じかそれ以上の、憶測による批判・否定的意見が寄せられたという経緯があります。『聲の形』は、連載を追う形で理解するのは難しい作品です。

『聲の形』は石田将也の贖罪の物語ではない

石田将也の行ったいじめはひどいものでした。退屈つぶしなどという自分勝手且つ些細な理由によって、思いつく限りの悪辣ないたずらを硝子に仕掛けます。クラスメイトの同調を受けて、それはどんどんエスカレートしました。

その行為自体もひどいのですが、根本のスタンスとして、将也は硝子を人間扱いしていません。そりゃそうです。将也にとって耳が聞こえない西宮硝子は、西宮星から来た宇宙人なのですから。

人間としての尊厳を無視する。そして毎日毎日、面白半分で手を変え品を変え、心身ともに傷つけ続ける。それは社会通念上、倫理的に許されることではありません。そしてあるきっかけから、将也はいじめる側からいじめられる側に転落します。

ここで多くの人は期待したことでしょう。因果応報を。将也が自分の犯した罪と同等以上の苦しみを味わい、読者の留飲を下げてくれることを。

しかしそうはなりませんでした。将也は確かにいじめられはしますが、それを経ての反省や後悔の描写は多くなく、何と硝子に殴りかかったことで許されてしまうのです。

こと読み切り版でいえば、ここが読者にとって最大の不満のだったのではないでしょうか。この2人にそんな番長同士のケンカのような清々しさはありえない、将也は血反吐を吐いて硝子に償うべきなんじゃないのか、と。

確かに将也はそこまでのことをしでかしました。しかしもう一度言いますが、この物語のテーマはいじめでも贖罪でも因果応報でもないのです。

大事なのは、「伝えることと理解することの難しさ」。それは将也に関して言えば、「なぜいじめに至ったのか、本当にすべきことは何だったのか」です。彼が考えるべきはその2つなのです。

しかし将也はまだそれに気づいていません。自分のすべきことは贖罪だと信じています。そしてそのせいで、硝子とは何度もすれ違いを繰り返すのです。

そんなすれ違いを経て、硝子のことだけでなく自分についても理解して、しっかり向き合う。『聲の形』はその時までを描いた物語だといえます。

西宮結絃は本当に姉想いのいい妹か?

硝子の妹・結絃(ゆづる)。彼女は耳が不自由で自己主張できない姉を守るように、時に過剰な攻撃性を見せてまで危険分子を取り除こうとします。そんな彼女を健気だと、姉想いだという人は多いようですが、果たして本当にそうでしょうか?

結絃の行動は、もちろん姉を思う気持ちも根本にあるのでしょう。しかしおそらくそれだけではありません。結絃にとって姉第一で行動することは、ある種の逃避とSOSだと考えられます。

物語が進むうちに見えてきますが、結絃は結絃でたくさんの大きな問題を抱えています。母との確執、自身の不登校。これらは決して放っておいていい問題ではありませんし、彼女は姉のことよりまずは自分のことにけじめをつけるべきなのです。

しかしそういったことから目をそらすために、大好きな姉と一緒にいるために、2人きり(あるいは祖母と3人)の安全地帯を脅かす奴らを退ける。結絃がやっているのはそれです。硝子はまだボランティアの人たちと交流する様子が見られますが、結弦にはそれすらないのも、その証左ではないでしょうか。

本当に自分のことや姉のことを思うなら、彼女は他人と協調するなり生きるための強さを身につけるなりしなくてはいけないのです。だってずっと2人きりで生きていけるわけがないのですから。

しかし自分の問題から、姉のためという大義名分で目を逸らし続ける結絃。障がいのある硝子のことで手いっぱいで、結絃とは折り合いの悪さを改善できない母。結絃の避難場所としてただただ優しく彼女を肯定する祖母。その固定された関係の中で、彼女は出口を見つけられません。

結絃が自分に向き合えるようになったのは、自分に向き合ってくれる2人の他人のおかげでした。まっすぐ言葉で、時には体を張って手を差し伸べてくれる友達に出会えて、彼女は自分が誰のことも理解しようとせず殻にこもっていたことを知ります。実際、人に向き合いちゃんと理解することは、とても怖いことです。

登場人物中、最も他人と理解を拒絶していたといえる結絃。彼女が姉や新しい仲間に助けられながら一歩を踏み出したことは、人は伝えあい理解しあわなくては道を切り開けないことを示しているのではないでしょうか。

担任・竹内先生はどうすべきだったか?そしてそれは可能だったか?

教師という責任のある立場でありながら、いじめを半ば黙認し、最後にすべてを将也に負わせたとして、6年2組担任の竹内先生ヘイトを集めたキャラです。

竹内先生の事なかれ主義、そのくせ大人の力で子供を圧殺する手口はとてもリアルです。多くの読者が自分の子ども時代を思い出して、はらわたの煮えくり返るような気持ちになったことでしょう。確かに、彼の行動は担任として褒められたものではありませんでした。

しかし考えてみてください。じゃあ、彼は一体どうすべきだったのでしょうか? いじめを止める? ――止めていました。将也の問題行動を見つけては職員室に呼び出し、釘を刺していました。「気になるなら西宮に直接聞くように」「世の中に仕方のないことはあるし障がいはそのひとつだ」と、説明もしました。もちろん硝子の障がいにも通り一遍は配慮していました。

それでもクラスの児童たちは、将也を中心に暴走し、結果やりすぎた。それを果たして担任1人の力で止められるものでしょうか?

1クラス約40人の行動を完全に制約することはいくら大人でもほぼ不可能です。授業は進めなくてはならないし、大きな問題を起こしてはならないし、障がいを持つ児童には適切な配慮をしなくてはならない。そんなとき、問題児に説教してあとは波風を立てないようにする以上に、できることなどあったでしょうか?

竹内先生はいじめを最善の方法で解決するには能力が足りなかった。しかしできる限りのことはしたといえると思います。それに何より、本当に悪いのはいじめをした将也と仲間たちです。

また竹内先生が、6年2組での失敗を反省して一定の努力をしたことは、のちに分かります。彼は高校生の将也と硝子に再会した際、手話がわかるようになっていました。

つまり竹内先生は、将也と同様の「なぜ失敗したのか、そして本当はどうすべきだったのか」という問いにちゃんと向き合ったのです。1度は失敗したけれど、次は、あるいはその次は。もし過去を生かす方法があるとすれば、それしかありませんから。

硝子の母と植野直花を通して川井みきを理解する

この3人は、「他人を理解するには相手と同じ視点に立つしかない」ことを読者に伝えるためのキャラクターだったと思います。

まず硝子の母ですが、おそらくほとんどの読者が彼女のことを、娘の意思を無視して自分の世間体だけを守ろうとしている自分勝手な母親だと思ったことでしょう。硝子に対しても、結絃に対してもそうです。

しかし彼女なりに娘のことを考えた結果であることが、硝子たちの祖母の死後、回想シーン(第32話)でわかります。その厳しすぎる言動は、理不尽な理屈で夫に捨てられた彼女の、2人の子供と強く生きていくという決意の表れだったということが。この回想シーンは、硝子たちの母のイメージを覆すのに充分すぎるものでした。

しかしそんなこと、考えてみれば当たり前の事情です。片親で、2人の娘を抱えて、しかも1人は重い障がいを持っています。働いて世話をして、ゆくゆくは子供たちも1人で生きていけるようにするためには、男の子にも負けないくらい強く育てるしかないというのも1つの自然な答えです。

にもかかわらず、多くの読者は実際に見るまで気づきませんでした。人間の他人に対する理解なんて、せいぜいその程度のものなのです。考えたらわかるのに考えもしないし、なのにわからないおかしいと陰口をたたいたりする。そんな覚えはありませんか? 『聲の形』はそういったリアルな「他者の理解の難しさ」と、「結局本当のところは本人の視点からでないとわからない」ということを見事に描きました。

私はここ、「萩尾望都かよ! 『メッシュ』かよ!」と思ったんですけど。本当にそれくらい鮮やかな手腕でした。(興味あったら『メッシュ』も読んでね)

植野直花(うえの なおか)も同様です。小学生時代から彼女が将也に思いを寄せていることは、誰もが気づいたと思います。おそらくそれもあって彼女は将也のいじめに加担しました。しかし、いじめられっ子に転落した将也に彼女が手を差し伸べることはありませんでした。この一連の流れにおける植野の感情は不可解です。

それが明かされたのは、将也の入院中の植野の独白的回想回(第50話)です。植野が硝子に殊更きつく当たるのは、将也への好意に基づいたどす黒い感情のせいでした。いや、それは最初から分かっていましたが、いじめられてもいい子の振る舞いをする硝子への吐き気を催すほどの拒否感。これが描かれたことによって、遊園地回(第26・27話)での彼女の言い分が一気に鮮明になります。

植野にとって硝子は完全な異物。後から来たくせに耳が悪いからって筆談しろだの、授業が遅れるのを許せだの、そんな要求を呑んでまで受け入れるべき相手ではなかったのです。

「あいつさえ来なければ、いなければ」

そんな思いから、硝子がいなかった6年2組をやり直そうとしているのが植野なのです。

さて最後に川井みきですが、彼女のモノローグ回(第48話)はあるものの、あまり核心に触れた内容ではありません。主に彼女の自意識についてのみ叙述され、6年2組でのいじめに関してどう思っていたかはほとんど描かれていないのです。

そんな彼女が仕切りなおして次に登場する文化祭回(第56話)では、何と泣きながら、謝りながら将也に出来損ないの千羽鶴を渡します。あれだけ自分だけは悪くないと確信すら抱いているようだった川井に、何があったのでしょうか。

私、これは、ここまでを踏まえた練習問題だと思うんですね。

他人の考えていることなんか、同じ視点に立たなくては本当には理解できない。だからモノローグ回を頼りに、その視点に立って河合に何があったのか考えてみなさい、と。他の2例と同じように辿れば見つかるから、と。

そうすると、1つだけのシンプルな答えが見つかるはずです。これは是非自分で試してみてください。

西宮硝子はなぜ石田将也に恋したのか?

第22話で、硝子が将也に恋していることがはっきりしました。それまでもひどいいじめの首謀者を殴り合いの末に許し、あまつさえ笑みを浮かべたこともあり、この将也に甘い恋愛展開には非難囂々だったと記憶しています。

それもひとえに、硝子の考えが全く明かされていなかったからです。ヒロインでありながらモノローグはなく、彼女の行動は往々にして不可解極まりないものでした。

それが読者に明かされる――硝子視点で物語が叙述されたのが、第51話です。この回はすべての台詞が左半分(未満?)だけで書かれ、ほとんど何を言っているのかわかりません。断片的な音として聞こえてはいるが意味は理解できていないのであろう、“硝子の感知する世界”が、これ以上ないほどわかりやすく描かれました。

それに続いて描かれたのが、“硝子の望んだ世界”です。そこではみんなが彼女に分かる言葉で喋り、意思疎通に何の弊害もありません。理解しあえる仲間同士の楽しい学校生活。しかしそれは同時に現実世界のクラスメイトたちには理解できない言葉であるというのが悲しいですが…。これは結局、彼女の望む世界は存在しえないことを表現しているのかもしれません。

しかしこれを読んでも、意思疎通が極めて困難なことはわかるが、だからといってなぜ将也を好きになれるのかという疑問が払拭できない方も多いことでしょう。

では想像してみてください。あなたはたった1人、全くわからない言語が飛び交う国にいます。そこで現地の人に話しかけられたとして、まともに聞き取って理解して返事をしようと思いますか? 何となくわかったことにして、調子を合わせて済ませてしまいませんか?

しかも、自分だけが一生その言語を理解できないとしたらどうでしょう。周りだってまともに取り合ってくれないでしょうし、そのことを馬鹿にしてくるかもしれません。そんな中で、批判であろうとまっすぐ向き合って伝えようとしてくれる相手のどんなに貴重なことか

硝子には、自分が周りになじめないと妹にも迷惑をかけるという負い目があったのですから、いい子になるしかなかったのも納得です。そうして自分にいつもブレーキをかけていました。最初から意思疎通が困難なうえに、自分の気持ちを発散し伝える術を封印していたのです。

それを解放してくれたのが将也でした。その関係は繰り返される転校で断たれたけれど、数年を経て、今度は手話を覚えて会いに来てくれた。年頃の少女にとって、その展開に感動するなという方が無理じゃないでしょうか。

硝子は自分を抑制する癖がついているだけで、普通の女子高生です。感動の再会は相手の男の子を特別中の特別に見せますし、その後の関わり合いの中で、恋心が生まれるのも何ら不思議はありません。

普通の1人の少女として、友達と仲良くなって好きな人に思いを募らせる硝子。本人は、聴覚障がいがあるだけで他は何も同年代の普通の子たちと変わらないつもりでしょうし、実際そうなのです。

それに対し、贖罪の念をぬぐい切れないために硝子の気持ちを理解できない将也。そんな2人によるすれ違い続きのボーイ・ミーツ・ガール。それが『聲の形』です。

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