自分サルベージ③~自分じゃない~

 脳内哲学をしているとき、6つの休職をした理由について考えていて、ふと何か大きなものが欠けている感覚があった。6つの理由が全くなくなったからといって、きっとその「何か」を解決しないかぎり、僕はまたしんどくなってしまうんちゃうか…。そこから始まった自分サルベージ。

 カウンセリングに通ったり、本を読んだり、学習会に参加したりして、何となくはっきりしてきた。というか、きっと初めから分かっていたことやけど、僕が見ないようにしていたんやと思う。

 僕は甘ちゃんなので、うじうじ考えるだけのことが多い。この整理作業は休職中最後のうじうじ…にしたいなぁ。

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 僕は、ずっと何かフワフワ生きているような感覚をずっと持っていた。自分が自分じゃないような、地に足がついていないような。
 友だちといるときも、先生をしているときも、学習会に参加しているときも、家族といるときも。自分が偽物のような感覚を持って人や物事と接しているような感覚が常にある。

 これはずっと僕の悩みだった。サルベージ作業の中で、一つずつ玉ねぎの皮をむくように考えていくと、一つのイメージにたどり着いた。 

外は鎧や仮面や武器を持っているけれど、中身は空っぽ。

 かきわり?はりぼて?という感じ。魂の抜けた人形が動いているような…。うーん、どれもピンとこないけれど、要は中身のない人間。外は状況によって変化させることができる。

 だから僕は、「人がいないと寂しいのに一人が好きで、陰キャぶるのに八方美人で、リベラルな考えと思いつつ、行動は保守、積極的に参加するくせに自分からは行動せず、いろいろ興味は示すけど、何も残らない、人に理解を示しているようで、自分のことばかり…」という人格支離滅裂人間になっている。

 これ、でも人に言うと、人は多面的やねんから、誰でもそう…と言われてしまうし、実際そうやと思うけど、誰しもこんな感覚で、自分を感じずに生きているんやろか…。
 いや、これは多面的なのではなく、「自分というものがないけれども、自分のことしか考えていない」ということなのだと分析する。
 どういうことか鬼滅の刃風に言うと、僕の無意識領域は「僕だらけやけど、どれも本当の僕じゃない」という世界ということ。(はぁ?)

 結局自分が人にどう見られる(評価される)のかのみが自分を構成しているのではないか…ということに至った。
 特別突き抜けることはなく、かといって、自分の承認欲求は満たそうとふるまう。

 人の輪にいても、自分は蚊帳の外。これが僕の能力やった。
 問題の渦中には、僕がいることはない。
 だから、人に本当に頼られることもない。
 上っ面だけの人間だときっと分かるんじゃないかな。

 誰と一緒にいても、自分らしくいることはなかった。その人たちの輪に合うように、興味を変え、キャラを変え、時には真面目な人に、時には変な奴に。ある意味コピーロボット。
 人から「普通じゃないよー。」と言われるのも、「めっちゃ考えてる」と言われるのも、結局はそう言われるため。
 本当に心の底から興味があって、取り組んでいることなんて…ないんじゃないかな。

だから、感じる。自分を生きていない感覚。

今も、自分らしく生きることはできていない。
自分を解放したくてしたくて仕方がないけど、できない。
少しずつ、変わろうと決めて、少しずつ、変わる。

変わりたい。

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