自分サルベージ②~休職の理由探し・後編~

 こんな自己満足な内容を人様に見せるためにnoteやらfacebookやらに投稿している時点で、自分の自己顕示欲や承認欲求ってのは相当なものだということがわかる。でも誰かに向けて書いている体裁をとった方が、書きやすいのでそうする。

 さて前回、表面的な休職の理由の内、3つについて考えてみた。そして、3つ目の「③受け持った子どもたちのしんどさ」の部分で、結構自分のやらかしてしまった感を赤裸々にしてしまった。
 書いていて、ずーーーんってなった。表面的な理由はすべて引き金であって、根本原因ではないのだが、大きな引き金の一つだ。つまり体罰。あの時の無能感は酷かったなぁ。
 では、続きを整理しようかな。

④学級崩壊の後遺症
 実は数年前、6年生を担任しているときに学級崩壊を経験している。このことも書き残しておきたいけど、前回みたいに文字だらけで長文になるので割愛。その時病院に行って、適応障害と診断されている。その年は何とかかんとか、卒業までこぎつけたが、その症状はその後も真綿で首を締めるように続いていた。
 子どもたちの前に立つのが怖い。子どもが自分に反抗してくるのではないかと不安。朝学校に行くことがしんどくてしんどくてたまらない。次の年の5年生も結局それを引きずり、僕は支援学級の担任になった。でも、それはずっと続いていた。去年も今年も、結局子どもたちに対している自分にひどく自信を持てず、あぁなったらどうしよう、こうなったらどうしようと精神をすり減らすように仕事に行っていた。これは、前回の学級崩壊の後遺症なのだろうと思う。
 そして、その辛さを経験しているが故に、今回は「しんどくなったら休もう!」とすぐに思えた。それも休職の理由の一つだ。

⑤「学校」に対する違和感
 学級崩壊以来、僕は自分への自信も極端になくしたけれど、それと同じくらい「学校」に対して不信感を募らせてしまった。ここでいう「学校」というのは、勤務校のことではなく、学校というシステムそのもののことだ。
 元々、前例踏襲や旧態依然という言葉が好きではなかったので、新しいことをしてみようとするタイプではあったが、その経験と前任校の風土、支援担任をする中で学んだことが重なるにつれ、僕は今の「学校」は変わるべきだと強く思うようになった。
 その考え方でもって勤務校に赴任したものだから、余計に不満や違和感が噴出してしまった。でもそれは仕方のないこと。結局は自分の独りよがりなのもわかっているので、しばらくは我慢…と思っていた。自分の思いを諦めた。2クラスということもあり、自分が暴走するわけにもいかなかった(これが偽善的…)。
 ここで「先生」としての自分がムクムクと出てきた。「学校」に対して違和感を感じていた自分の考えはあれど、今まで「先生」として働いていた経験が僕をがんじがらめにしており、それは大空小学校元校長の木村泰子さんの言う「上半身と下半身がねじれた」状態だった。学校という魔物に僕の精神は喰われてしまっていて、不満・諦め・無能感・恐れ…という感情から体裁を取り繕って子どもの前に立っているだけになった。
 ねじれた体がねじ切れそうで、自分は学校に息苦しさしか感じなくなった。学校は刑務所と紙一重という話も聞いたことがあるが、本当にそれ。周囲に話すこともできず、僕は眠れなくなった。そんな時に③の体罰を起こしてしまったのだ。(えっ…長…。)

⑥社会の閉塞感
 結局長文という…。最後はこれ。僕は常に疑問に思っていることがあるが、その内の一つがこれ。世の中の出来事などに閉塞感を感じて、それを絶望的にとらえてしまう瞬間があるのだが、それって、他の人もそんなことあるんかな…?ある人は教えてほしい。自分だけじゃないって思うから。
 何のことかというと、社会の排除構造や差別的な動きが生み出す出来事に触れることがとてもしんどい。まぁ、そういうことをSNSやドキュメンタリーや本や新聞で知りたいという欲求があるのが原因やけど。恐らくこの時は、いろんな柵が僕の周囲のいろんな柵と結びついて、窮屈さを倍増させていたのかな…と思う。
 今でもコロナのこと、教育のこと、政治のこと、アメリカや中国のこと、環境のこと…などなど考えれば不安になるが、それは自分の興味とも結びついているので、やめられないなぁ。

 とまぁ、こんな感じで、僕の休職の引き金となった理由6選をまとめてきた。書いていると、そこから派生してくることも書いてみたい!と思うのが不思議。ホンマ誰が得すんねんっていう内容やけど、僕がやりたいから続けよう。次からは僕のもっと深いところをサルベージ!

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