言葉は生き物

我が家に第2子であるきぷく(娘・7ヶ月)が産まれてから、たびたび周りから聞かれることがある。

「まころちゃん(息子・2歳9ヶ月)赤ちゃん返りしてない?」

その度、少し返事に困る。

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そもそもあかちゃん返りの定義はどこにあるのだろうか?
適当なサイトを開いて見てみると

“スキンシップを求める、できることをやらない、わがままや要求の主張が増える、機嫌が悪くなる、スムーズに寝られなくなる”とある。

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きぷくは33週で出生の早産児なので、出生後1ヶ月は病院で過ごしていた。

その間、窓越し面会なのとインフルエンザの流行期で病院が面会を最小限にするよう求めていたこともあり、まころがきぷくに会いに病院に行ったのは1回だけ。

退院後、私ときぷくは自宅から徒歩3分程のところにある実家に戻り過ごした。
まころは保育所から帰宅すると実家で遊び、夕飯を食べ、お風呂に入り、仕事を終えたしけちゃ(夫)と自宅に帰って眠り、また翌日登所するという日々だった。
まころは初めこそ馴染みのないきぷくに近づきたがらなかったが、徐々にその存在を認めて距離を詰め、頭を撫でたりするまでになっていた。
言動の端々にきっと我慢してるんやろうな、とは感じつつも案外するりと馴染んでくれたとホッともしていた。

そして実家で約1ヶ月過ごし、自宅に帰った日のこと。

まころは泣いた。
夜の一連の儀式(お風呂、歯磨き、絵本)を終えて電気を切った後、私にしがみついてわんわん泣いた。
それが3日間続いた。

そしてまころは、きぷくが自宅にいることも受け入れてくれるようになった。

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「おっぱい飲むの!」と言ってくわえてはみるものの飲まず「きぷくにあげるの」と引き下がってみたり
きぷくの機嫌が悪く、抱っこが必要な夜ご飯時に限って「おかあちゃんのお膝で食べるの!」と主張してみたり
親の気を引きたいがためなのか、きぷくを泣かせるようないたずらをしてみたり。
きぷくが笑っているのを見て祖父母が「笑ってるね、可愛いね〜」と言っていると作り笑いで近づいて「まころも笑ってるの」と言ってみたり
これまでおまるでうんちが出来ていたのに、座ることすら拒否したり
「抱っこ〜」と求めることも増えた。

客観的に見れば、まころは少し前まで充分赤ちゃん返りの領域にいた。

でもその反対に
お膝に座って絵本を読んでいる時にきぷくが泣き出すと「おっぱいあげていいの!」とすくっと立ち上がって譲ってくれたり
「きぷくのおむつ取ってくれる?」と頼むと張り切って手伝ってくれたり
きぷくの様子を観察しては、知らせてくれたりもしていた。

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私はまだきぷくを授かる前に、多くの子どもに関わっていらっしゃる専門家の方からこんな話を聞く機会があった。

「上の子にとったら、突然知らない小さな人が家にやって来て、親はその子にかかりきりになったりするし、自分の居場所が脅かされるのだから、それを守ろうとする反応が出て当たり前」

正確な言葉ではないが、このような主旨のものだ。

だから私は、赤ちゃん返りの定義にあるような反応は出るのが当たり前やと思っていたし、その反応は兄弟が存在し続ける限り事あるごとに出てきてもおかしくないと思っている。

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そんな認識を持っていたことと、まころが懸命に我慢してお兄ちゃんになろうと葛藤している部分が見えていたからだろうか。
私はまころのその反応を【赤ちゃん返り】という一括の言葉で表現する気にはなれなかったのだと思う。

他愛もない、よくある会話なのだけれど。
言葉というのは人の心次第で、同じようには捉えないこともあるのだなと、秋の夜長につらつらと考えていた。

ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。