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無意識と意識の境目

先日、2人の友人と会う機会があった。とある講座で2日間同席していたことがきっかけで、繋がりの出来た人達だ。
その際、同じ講座に参加していた人たちの話題が出たのだが、自分の中で衝撃の事実が発覚したのだ。

私には最近SNS上で友人になった人物(仮にAちゃんとする)がいた。共通の知り合い経由で、Aちゃんが作ったSNS上のグループに参加させてもらうことになった。そのグループの中でのやり取りがあり、友人として繋がるに至ったのだ。
そのAちゃんを、私は全く知らない人物だと思っていた、と言うか思い込んでいたの方が正確だろうか。
Aちゃんはなんと同じ講座に参加していた人物だったのだ。それも2日間も。

その話を夫にすると、こんな実験の話を聞かせてくれた。

まずその人の所持している時計を、何も見ずに記憶だけを頼りに書いてもらう。
その後、何秒かだけ実物の時計を見てもらう。
時計を見た後「何時だったか」を問うと多くの人は答えられない、というのだ。

見たはずの時計だが、要は「時間」にはフォーカスして見ていなかったということなのだろう。そのようにすっぽり抜け落ちてしまう現象のことをスコトーマ(盲点)と言うのだそうだ。

例えば、我が家の2歳息子。彼はよく「きゅうきゅうしゃだねえ」と遠くの方で鳴っている救急車のサイレンを聞き分けている。更に言えば6ヶ月の娘。彼女はカーテンをシャっと引いた時のような異質な音を聞くと、必ず体をびくっさせるのだ。
これは要するに、私達がいつの間にか学習し【特に意識しなくていいもの】と無意識下で脳が判断するようになっているからこそ、気づかないしびっくりもしないものなのだ。そういう意味ではこれらの音は私や夫にとってはすでにスコトーマになっている、と言えるのであろう。

脳は情報処理量が多いと、疲弊しやすくなる。だからこそ一般的には、歳をとるにつれてスコトーマも多くなるそうだ。
たしかに、息子や娘の拾っているような情報までを脳が処理するとなると、大人の脳はあっという間にパンクしてしまうだろう。だからこそ【スルーする能力】としてスコトーマは必要なものなのだ。
ただ、このスコトーマは人によって違う。つまりは大切だと思っている(思い込んでいる)情報というのは人それぞれで違うということだ。それは、意識しておかなくてはならないことだろう。
そして先入観を持たず、人の話に聞く耳を持とうという姿勢でいることがどれだけ大切かを痛感させられる。

今回、ある人を覚えていないというとても分かりやすい形でこの状況が顕在化した。
しかしこうなると、私はこれまでに一体どれだけの大切な情報をスルーしてきているんだろう?という気持ちにもなる。
無意識(潜在意識)というのは、人間の意識の中で約90%にものぼると言われている。その無意識に働きかける、というのはやっぱりすごく意味のあることなんだろうな、としみじみ感じる出来事だった。

ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。