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『危険なヴィジョン』〔完全版〕レビュー

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『危険なヴィジョン』〔完全版〕①~③

ハーラン・エリスン編

新しいコンセプトやタブー視される主題を全面に押し出したアンソロジー。
従来からの基調路線で読み手や編集に迎合した「売らんかな」な作品を集めるのではなく、SFの殻を破るような、挑戦的なSF(スペキュレイティヴ・フィクション=思弁的小説)を集めたい。と、あのハーラン・エリスンの掛け声でかき集められた、業界全体が第一次成長期だったころのSF界の精鋭作家たち。
大部数を誇るSF雑誌に「売れる作品ではない」作品たちをあえて集めた作品集。なんと三分冊です。

原書は1967年刊行。
邦訳は1巻のみが1983年に出版され、そのまま続きが出されないままに絶版になってしまっていた、まさに幻で伝説的なアンソロジーです。
それが、今回初の完訳!! 本家そのままに3冊に分かれて、緑黄赤の三色の表紙をまとっての堂々約半世紀ぶりの完全版なのです。

それにしても作家陣の豪勢なこと! ヒューゴー賞・ネビュラ賞、両賞受賞の作家・作品が目白押し! そして、すべての作品が(原書発行時には)他では発表されていない書きおろし作品のみという大盤振る舞い。いやはや、これはたしかにハーラン・エリスンでないとここまでの大著は編纂できなかっただろうなあと思わせる、スゴイ本なのです。

さて、その内容ですが、なにしろ膨大な分量。駆け足で一言感想を書いていきますが、それでも長くなってしまいそう……。

――― ① ―――

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『夕べの祈り』

#レスター・デル・レイ#山田和子 (訳)
星々の海を越えて逃亡する男と、彼を追い続け、精神的にも物理的にも追い詰めていく簒奪者のお話。キリスト教圏の本で、この話を真っ先にもってくるところが、たしかに『危険なヴィジョン』だと読者に思わせる。

『蠅』

#ロバート・シルヴァーバーグ#浅倉久志  (訳)
こちらもたしかに『危険なヴィジョン』。高度な異星生命にとっての人類とは? 蠅の視点からみた人類はどう見える? ブラックなセンス・オブ・ワンダー感を味わえます。

『火星人が来た日の翌日』

#フレデリック・ポール#中村融 (訳)
火星人が人類より下等(と勝手に人類が思っている)生物だったら? 白人が黒人を見ている目線が火星人に適用される時、報道関係者たちはどう対応する? というお話。今で言うマスゴミたちって、やっぱり昔から変わってないのねえ。

『紫綬褒金の騎手たち、または大いなる強制飼養』

#フィリップ・ホセ・ファーマー#山形浩生 (訳)
未来の報奨金の不正受給の究極的な形を実現したお爺さんと、駆け出し芸術家の孫と、彼らを無視しつつ寄生する面々、そしてセックスとブラックジョークがごちゃごちゃに詰め込まれ入り交じってカオス状態。1巻目の三分の一に及ぶ長さ。読了にはけっこう体力いります><

『マレイ・システム』

#ミリアム・アレン・ディフォード#山田和子 (訳)
ある画期的な技術が、犯罪者への罰として効果的だとしたら……? というエクストラポレーション。犯罪の詳細描写が恐ろしい><

『ジュリエットのおもちゃ』

#ロバート・ブロック#浅倉久志 (訳)
「切り裂きジャック」が遠未来へタイムスリップして連れてこられたら? というストーリーを有名なテレビのシナリオライターが書いたお話。やっぱりスプラッタなかんじでこれもまた『危険なヴィジョン』な話

『世界の縁にたつ都市をさまよう者』

#ハーラン・エリスン#伊藤典夫 (訳)
ロバート・ブロックの『ジュリエットのおもちゃ』へのそのまま返歌をハーラン・エリスンが書いてしまったら!? というやつ。エリスンの超有名作『世界の中心で愛を叫んだけもの』っぽいタイトルになっているのはわざとでしょうか?

『すべての時間が噴き出た夜』

#ブライアン・W・オールディス#中村融 (訳)
過去の好きな「時間」がガス管(?)を通ってご家庭に供給されているというトンデモ発想法螺話。おもしろい。


――― ② ―――

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『月へ二度行った男』

#ハワード・ロドマン#中村融 (訳)
おとぎ話とSFの見事な融合。未来への空想は過去のそれと同じ分野なんだなあと思わせるます。よい雰囲気。

『祖父の信仰』

#フィリップ・K・ディック /  #浅倉久志 (訳)
読んでいるとだんだん現実の認識が覆っていく眩暈に似た感覚はP・K・ディックのまさに十八番。正しいことと間違っている事、常識と非常識が入れ替わっていく危険なイリュージョン。これもまさに『危険なヴィジョン』です。

『ジグソー・マン』

#ラリィ・ニーヴン#小隅黎 (訳)
臓器密売者(オーガンレッガー)もの。あのラリィ・ニーヴンに新人時代があったなんて!(あたりまえw)後にノウンスペースシリーズとして出来上がっていく世界観の初期作品。それでもきっちりラリィ・ニーヴンしていてハードにかっちり現実の延長線であるところがまた『危険なヴィジョン』。

『骨のダイスを転がそう』

#フリッツ・ライバー#中村融 (訳)
魔法と科学と迷信に支配されているダークファンタジックな世界で、この世ならざる恐怖の存在相手のギャンブルに命を懸ける男のハードボイルドタッチな話。けれど、最強の存在はやっぱり「おっかちゃん」

『わが子・主ランディ』

#ジョー・L・ヘンズリー#山田和子 (訳)
これもキリスト教圏ではやっぱり『危険なヴィジョン』なのでしょう。一神教の神である主、その親になってしまう一般人の男と、息子のお話。現代に生まれた「主」はどんな境遇で、何を思い、どう行動するのか。

『理想郷』

#ポール・アンダーソン#酒井昭伸 (訳)
平行世界のある国でミスを犯したエージェントが、故郷のユートピアを思いながら逃走する話。しかし、そのユートピアは本当に文字通りユートピアなのか? という謎なお話。だってポール・アンダーソンだもんね

『モデランでのできごと』

#デイヴィッド・R・バンチ#山形浩生 (訳)
モデランもの、という戦争世界の話。そのくそったれな戦争を最高に行うピカピカの機械の身体のオレが窓の外のぶよぶよ肉野郎と話す話。

『逃亡』

#デイヴィッド・R・バンチ#山形浩生 (訳)
連続して二作収録、こちらもモデランものの別側面かもしれない、ピカピカの機械の施設からオレ(肉?)が逃亡をする話。

『ドールハウス』

#ジェイムズ・クロス#酒井昭伸 (訳)
未来の予言を授ける巫女の棲むドールハウスを半信半疑のまま手に入れた男は、やがて……。金の卵を産むガチョウの童話のちょっぴり怖いサイコ・ホラー版。

『性器(セックス)および/またはミスター・モリスン』

#キャロル・エムシュウィラー#酒井昭伸 (訳)
ちょうおデヴなお相撲さんに恋する乙女はきっとこんなかんじなのカナカナかしらん? というちょっとかなりとってもガーリー(?)なお話

『最後の審判』

#デーモン・ナイト#中村融 (訳)
これまたキリスト教圏ではヤバイ話なんでしょうねー。空にラッパの音が鳴り響き、とうとう訪れた「最後の審判」の日。神と使途たちが目にした世界とは?

――― ③ ―――

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『男がみんな兄弟なら、そのひとりに妹を嫁がせるか?』

#シオドア・スタージョン#大森望 (訳)
圧倒的なタブーへの挑戦。そしてちゃんとSFの文脈になっているのがすごいです。これをこの時代に書けるスタージョンはやっぱりさすが。

『オーギュスト・クラロに何が起こったか?』

#ラリイ・アイゼンバーグ#柳下穀一郎 (訳)
いわゆるユーモア・SFに分類される系なトンデモ・ハチャメチャSF。パリで失踪したオーギュスト・クラロ氏を探す「吾輩」の頓珍漢さがすばらしい。こういうの好きですw

『代用品』

#ヘンリィ・スレッサー#宮脇考雄 (訳)
核戦争の真っ最中、荒廃したアメリカの平原を一人歩く三等ロケット兵(関係ないけどロボット三等兵ってマンガなかったっけ?)。ようやくシェルターにたどり着いた彼が見たものとは? 時代的にあたりまえだけれど懐かしい未来感のショートショート。

『行け行け行けと鳥は言った』

#ソーニャ・ドーマン#山田和子 (訳)
文明崩壊後、食人さえあたりまえになった世界を、族長の娘であり妻であり母である女、私は走り続ける。その脳裏にフラッシュバックするものは?

『幸福な種族』

#ジョン・スラデック / #柳下穀一郎 (訳)
マシーンにより強制的に幸福にさせられつづけるユートピア世界の恐ろしさ。脳の快楽中枢に電極を埋め込むのではなく、逆にヒトの周りの環境の方を変化させるという発想がすごい。でも、それって今はもう、けっこう実用化されているような気が……こわ!><

『ある田舎者との出会い』

#ジョナサン・ブランド / #山田和子 (訳)
銀河を何個も所有するようなちょーお金持ちのパパを持つボンボン息子と、同様にちょーお金持ちの家の娘がさる田舎の惑星の学術会議に参加するためにやってきて、そこのパーティで田舎学者の老先生と出会うお話。これまた神様問題の逆転パターンだけれど面白い。

『政府印刷局より』

#クリス・ネヴィル / #山形浩生 (訳)
三歳半の幼児が見ている世界。パパとかママとかいう大きなバカな奴らが考えてもいない時空間に幼児は生きているのね。時間が本みたいに印刷される機械という発想がおもしろい。

『巨馬の国』

#R・A・ラファティ  /  #浅倉久志 (訳)
ほら吹きじいさんSF作家として有名なラファティさんの真骨頂。世界に散らばるジプシーたちが奪われた土地を返してもらう話。そしてその次は? とつながる発想が素晴らしい。いいなあ。

『認 識』

#J・G・バラード  #中村融 (訳)
夜の田舎町。少女にも中年にも見える年齢不詳の謎の女に率いられる巡回サーカス。暗い檻の中にうごめき、うまく認識できない動物の影。いやー、いいですねー。いつも雰囲気たっぷりに読ませてくれるバラードの描く世界が素敵です。

『ユ ダ』

#ジョン・ブラナー   / #山形浩生 (訳)
車輪、ピカピカ光るクローム。インゴット塊へ落ちた雷によってメカが神性をおび、神ロボットが現実になった世界。人々はそのメカ神さまをなんの疑いもなく永遠の存在として信じているのだったが……。そういえば、「神」にだけあるとされている能力ってコンピュータや機械のほうが人よりずっと持ってますよねぇ。って改めて思わせる作品。

『破壊試験』

#キース・ローマ ― / #酒井昭伸 (訳)
人間の精神が耐えられる究極の圧力(ストレス)とは? 主人公の精神に文字通り絶えず注ぎ込まれる外圧の数々。ハリウッドのサスペンスアクション映画を何本も短編の中に詰め込んだようなスリル感。サスペンスの連続感がスゴイ。


『カーシノーマ・エンジェルス』

#ノーマン・スピンラッド#安田均 (訳)
かつての神童はすべての困難に打ち勝ち、大金持ちとなり伝説となりましたが、自分の身体には無頓着だったのか全身を癌に侵されてしまいました。今度の彼の挑戦は、その癌に戦いを挑むこと。(なんだか最近もそんな現実のエピソードを聞いた気がしますが)さて、その結果は? という滑稽譚。
この作風好きなんだけどこの方なかなか訳されてない作家さんなんですよねー><

『異端車』

#ロジャー・ゼラズニイ#大野万紀 (訳)
自動車産業の行く末に、こんな未来がもしかしたらあったのかしらん? と思わせる、マッドマックスと闘牛ショーをかくはん機でまぜこぜにしてハイオクガソリンを注ぎ込んで圧縮・爆発させたような作品。さすがゼラズニイですわあと唸らせられます。

『然り、そしてゴモラ……』

#サミュエル・R・ディレイニー#小野田和子 (訳)
『危険なヴィジョン』を通して、SFには聖域はないとさまざまな作家によって語られてきたわけですが、その最後がこれ、とうとうSF界のスーパースター、宇宙飛行士(スペーサー)が語られ得なかったタブーの対象に……。そして、ゴモラとは、怪獣じゃなくって、そう、わかりますね? ソドムとゴモラのゴモラのことですわん,,Ծ‸Ծ,,

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以上、どうどう32人の作家による33作品!
そして、上ではあえて除きましたが、まえがきと、まえがき2(!?)をかのアイザック・アシモフが書いています。このアシモフ先生をくわえたら総計33人の作家による共演ってことになりますねー。

で、このアシモフによるハーラン・エリスン評がまたおもしろいのです。

当時のSF界に学生のころから(SF大会などに)顔をだしていたSFファンで、その声の大きさと態度の大きさ(と対照的な身長の低さ)でファン時代から有名人。そして編集者、作家を経て、とうとうこんな挑戦的なアンソロジーまでつくりおった! 大SF作家として各界に知られる吾輩もアンソロジーに参加したいのは山々だけれど、彼らが破りたい殻を分厚く量産しているという自覚もあるので、あえて「まえがき」だけで勘弁してあげる。さあどうぞ、かかってらっしゃい(わたし的超意訳)という感じのアシモフ先生らしい小粋なジョークを交えたまえがき。それもなんと2つも(ほんとに)入っています。

その「まえがきx2」に応えるように、当のハーラン・エリスンもめちゃくちゃ長い「序文」を書いていて、いつになっても本文が始まらないというすごさw(実際に序文のあとの中扉は50ページ目にありましたw)

そしてこの「序文芸」は、すべての収録作品に及んでいて、作品一つ一つすべてにハーラン・エリスンの、へたしたら本編よりも長いんじゃないかという序文が付いています。SFファングループ時代からの彼の交友範囲や当時のSF界のもろもろを作家の紹介と絡めてやたら詳しく面白おかしく書かれていて、とても興味深く、参考になります。
これ、本文を喰ってしまっていないかしらんと心配になるぐらい良い出来の序文だったり(そうでなかったりも)しますが、そのあとで紹介された本文のほうを読むと、やっぱりしっかりスペキュレイティヴ・フィクションで、『危険なヴィジョン』をそれぞれの作家さんが、それぞれの発想とテクニックでがっつりと、当時のタブー全無視で、力の限り書いているのです。これはすごい。

半世紀前のSF界が破りたがっていた見えない殻の厚さや、一神教・キリスト教圏の宗教的なアレやコレや。いろいろタブーがあったんですねぇ。なんて、今では「過去の話」として受け取れますけれど、SFというものはそもそもが現実の殻の外側を描くもの。(と、まえがきでアシモフ先生もおっしゃっています)

当時の世界から見たらもうすっかりSFの舞台世界であるはずの現代。当時タブーであってそんなこと考えてもいけないような世界に、いま実際に私たちは生きてしまっているのですよね。

彼らが予期・予感していて、警告していたような未来やタブーも、ある意味でとっくに常識になってしまっていたりして。

無人偵察ドローンは空を飛び、原発は爆発し、世界中に疫病が蔓延して、全世界を覆うコンピュータのネットワークは日常生活にまで入り込んで、みんなのポケットに電話もコンピュータもはいっちゃっている……。
彼ら、SF作家が想像していたような、あるいは思いもしなかった未来に今我々は生きているわけです。

ただ、そんな現代にも、いろいろなタブーや息苦しさ、無知蒙昧で不可思議で非論理的な世間の常識はたしかにあります。

まえがきでアシモフ先生もおっしゃっているように、SFは、常に常識を飛び越えて、殻を破ってきたものです。

この、成長期で黄金期のSF作家たちが破ってきた殻を打ち壊すパワーを、未来に生きている我々はまた体得して、新たな未来にむけて殻を打ち破っていかなくてはならないのねえ。なんて、熱く燃えるモノを、ちょっと柄にもなく感じてしまった全33篇でありました。

いやあ、堪能しました。

(ハーラン・エリスン氏にならって(?)やっぱりちょっと感想長めになっちゃいました、すびばせん><)

ちなみに、このアンソロジーが大好評だったので、5年後にさらに作家・作品数を倍増させた第二弾『危険なビジョン再び』が編纂されたそう(アーシュラ・K・ルグインの『世界の合言葉は森』が収録されている!)
なんですが、これにさらに味をしめたのか第三弾完結編として計画された『最後の危険なヴィジョン』では、ハーラン・エリスンがさらにこれまでにない究極のアンソロジーを目指してしまい、参加作家数は102人、150作品にまで膨れ上がり、それぞれの序文をエリスンが書ききれずに、結局、究極のアンソロジー計画は計画のまま頓挫してしまったそうです。あーあ(ー人ー)
ハーラン・エリスンは、こんな、大ぶろしきと熱量で多くの作家とSF界を巻き込んでいった、まさに当時のSF界の「時の人」だったんでしょうね。

最後に、まえがきでアイザック・アシモフ先生が本書(第一弾『危険なヴィジョン』に寄せていた一言を。

この本は、ハーラン・エリスンである。ハーランで飽和し、エリスンで充満している。

この、膨大な熱量と物量のハーラン・エリスンを、みなさんもぜひ、いまこそ感じてみてください。

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#らせんの本棚  

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