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羞恥心と自己顕示欲と詰めの甘さについて思うこと

僕は昔から詰めが甘い。
その甘さといったら、少し高級なメロンか、男子中学生の物の考え方くらいの糖度に匹敵するだろう。

例えば…、と、ここでいくつか具体例を披露するのが文章を書く上でのセオリーだろうが、それを用意することなく三流ライトノベルのような長いタイトルを付け、今も文章を書き始めてしまっている。

こういうところである、詰めが甘いのは。


noteに文章を書き始めて約2ヶ月半が経つ。

これらの文章は、実際にはお会いしたことのない、不特定の方が読むことを想定して書いている。

多少は大袈裟に表現することはあっても嘘は書かないという自己ルールの元、誰に読まれても良いつもりでやってはいる。
が、こういった個人の思想や日記的な文章は、知人や友人に読まれると思った途端に恥ずかしくなるものである。
自虐や皮肉といった表現は作者の底意地の悪さを露呈する要因になりうるのだ。

僕の投稿は誰かに読まれたいという自己顕示欲と、誰にも読まれたくないという羞恥心が反発し合いながら共存して成り立っているようなイメージである。

自分の事ながら、とても面倒な性格だと思う。
娘が将来彼氏として連れてきた男がこんな人間だったら、床の間に飾ってある模造刀で迷わず一刀両断するだろう。


自分を知る人から「あの人、普段こんなこと考えてるんだ」と思われることは僕にとって、大型ショッピングモールで全裸にさせられることと殆ど同義である。
そんな辱めを受けている間に、かたわらに畳んで置いたはずの衣服を失くし、さらには偶然通りかかったテナントの店員さんに拾われ落し物としてインフォメーションに届けられるくらい恥ずかしいことなのだ。
取り戻すべくインフォメーションに問い合わせに行くことなど一糸まとわぬ僕には出来ないから、そのままの姿で最後の日を迎えるのだ。
そのくらい恥ずかしい。

それゆえに、周囲の人々に「noteやってるんだー!」などと言ったことはない。

言いたいけど言えない、ではない。
言いたくないから言わない、である。

あの夜までは。


先日、身内が架空請求詐欺に引っ掛かりそうになった顛末を投稿した。

だいぶ長いので3文でまとめると

・義父から突然の下記内容の相談電話がある
・ネット(おそらく18禁)閲覧中、画面に「会員登録完了」の文字が表示され、「請求額〇〇円、退会手続をする場合は下記に電話を」という指示通り電話をしてしまった
・実は半年前にも似たような詐欺に騙され、言われるがままに2万円払い家族から厳重注意を受けていたこともあり、僕のストレスは最高潮に

というような内容を、回りくどくダラダラと書き綴ったものである。

この出来事、なかなか高カロリーなものだった。
そしてエピソードトークとしては強めである。

秘めたる自己顕示欲が作用し、あぁ、人に話したい…という状態になる。

家に帰ってすぐさま妻に面白おかしく愚痴ろうにも、内容が内容だけにそれは控え、noteに投稿するという形で発散した。

それでも僕の話したい欲求はプスプスと燻り続け、その数日後に開かれる仲間内の忘年会で熱弁をふるうことになるのである。


忘年会当日。
仕事を終えた僕は会場に向かった。
道すがら落し物と忘れ物を一つずつしたことに気付かないまま。

参加したメンバーは
本田(仮名)
田口(仮名)
草間(仮名)
ジミヘン(仮名)
に僕を加えて5名。

開始から1時間ほど経過した頃か。
程よくアルコールが浸透したその空間で、僕は磨きに磨きをかけた例のトークを展開する。

話のクオリティの善し悪しは別として、推敲を重ねたエピソードトーク、noteに投稿して問題ない程度には起承転結と構成は仕上がっているはずである。

そしてさらに、その会に参加したメンバーの中で僕は最年長。
もちろんお世辞や社交辞令も含めてのものだが、若者達の割れんばかりの歓声と喝采(が、僕には聞こえていた)が酔っ払った僕の気分を高揚させる。
止まないスタンディングオベーション(が僕には見えていた)。
こんなことを言うのはおこがましいが、バラエティ番組で滑らかなトークを披露する芸人さんはこんな気分なのかもしれない。

今思えば、ここで終わらせておけば良かったのだ。
やはり僕は持ち前の詰めの甘さを発動するのである。


「いやー、話がまとまってますね」的な草間のコメントに僕は気を良くした。
なんなら自分で「まとまってるでしょ!」などとほざいたかもしれない。
やめておけば良いのに、そのテンションのまま構成がまとまっている理由を明かす。
この辺りは台本には書かれていない。

格好悪いことこの上ないが、思いがけず良い結果が出た時、そのバックボーンを説明したくなるのが人の性(さが)である。

noteに文章を投稿している為、結果的に台本然としたものがあるということをバラしてしまった。
noteというサービス名を含め馬鹿正直かつ馬鹿丁寧に話したのである。


出典めいたものを明かしはしたものの、しばらくは特に過剰なイジりを受けることも無く、楽しい談笑と共に忘年会は続いていた。
だが会の後半、あることに気付く。

田口が出席者の会話を適当に処理しつつ、手元の携帯端末に視線を集中させているのだ。
手からは何か紫の空気をまとったイバラのような物が出ている。

甘かった。
完全に迂闊だったのだ。

ネットリテラシーが高そうな田口は、僕が先ほど発したキーワードを片っ端から検索ボックスに放り込み、僕のnoteをネットの海から釣り上げたのだ。
さながら大間のマグロ漁師かネットストーカーである。

田口の「見つけた」という言葉のあとの勝ち誇った横顔は、ジョジョ3部の冒頭でDIOと書かれた棺を海底から引き揚げた船員の表情と酷似していた。
本田は「すげー」と笑い転げる。
草間はシェアしろと詰め寄る。
そしてジミヘンがそれを煽る。

次の瞬間、田口の念写という形で各々の端末画面に共有された僕の自己顕示欲は、あれ程怖がっていた衆人環視のもとに羞恥の色を帯びて晒されるのであった。

その後は地獄絵図である。
話題や興味が他に移ったとしても、本田がケラケラと声を上げながら無理やりnoteネタを絡めて引き戻す。
草間とジミヘンがそれに乗じる。
その一方で田口(仮名/STAND NAME:ハーミットパープル)はその盛り上がりに適当に参加しつつ、手元から目を離さず触手状の紫のイバラを器用に使い過去記事を掘削し続ける。
たまに文章の一節を引用するという羞恥プレイを仕掛けたりしながら。


もはやオモチャ以外の何物でもない。
スーツを着たおじさん型のフィギュアである。
フィギュアといえば聞こえは良いが、バンザイかガッツポーズしかできない、搭載された可動部も3箇所程のウルトラマンのような旧型ソフビ人形である。
トイ・ストーリーの次回作が実写ノンフィクションドキュメンタリー版なら、是非この日の僕の映像を使って頂きたい。
店に防犯カメラがあればデータが残っているはずだ。
間の抜けたバンザイをしたまま、無表情で彼らに握られ振り回される僕の姿が映っていることだろう。
3ツ目の宇宙人か、板で両足を繋がれた緑の兵隊くらいの活躍はしている気がする。

冒頭の表現を引用するならば、ショッピングモール全裸に加えて市中引き回しの刑である。
罪状は「日常で思うことをnoteに吐露した罪」。
LINEグループにシェアするというこの手法は、江戸時代の日本でも拷問として定番化していたに違いない。
そのくらい残虐性を孕んだ極刑である。

うろたえるおじさんほど滑稽な物は、この世界線には他に無いのだ。
酔った僕の目には、彼らの発する言葉の横に「#思うこと」というハッシュタグの塊がフワフワと浮かんでいるように見えていた。


その後もひと回り近く歳下の若者達にジワジワと体力を削り取られ、帰宅後も深夜におよぶLINEでのnoteイジりの応酬を受けたあと、今年一番の長い夜は終わりを迎えたのである。


とまぁ、今回の記事を仕上げるために、僕は自らがnoteユーザーであることを事故と偶然を装って漏らし、田口がネット情報収集をしやすいように安易なキーワードを散りばめ、若者達に好き放題いじらせ、うろたえるおじさんを演じて見せていたのだ。
皆それぞれが、僕の与えた役割を果たしてくれた。
僕の手の上で転がされている自覚も無いままに。
僕の自己顕示欲を知らしめる為だけに開催された忘年会は成功である。 
すべては計画通りで、僕の描いたシナリオと忘年会はこの投稿をもって完成したのである。
自らが駒の一つであったことに、もちろん彼らは今も気付いていない。

…というようなことを書ければ良かったのだが、詰めの甘い人間には、そもそもそんな器用な仕事は出来ない。
僕の凡ミスが引き起こしたシンプルな事故であり、なおかつしっかりと楽しい忘年会であった。


今回の出来事から僕が学ぶべき教訓は、調子に乗ってベラベラ喋る人間は痛い目に遭う、ということだ。
この世の慣用句や四字熟語、名言、ことわざを全てバッグの中に持ち歩いていれば生涯を通じてトラブルには遭遇しないはずなのだが、あの日僕は「口は災いの元」と書かれた木札を会社のデスクの引き出しに忘れたまま出発してしまったのだ。
そして改札で定期券を出す時に、あろうことかポケットから「語るに落ちる」のカードを落としていた事実に気づかないまま忘年会に臨んでしまった。
ショッピングモールでの衣服といい慣用句カードといい、とんだ大馬鹿落し物・忘れ物野郎である。


最近2人増えたフォロワー欄を眺めてみる。
その2つのアカウントは、おじさんがうろたえる姿を愛でるためだけに作られたものである。
再び飲み会が開催されるとしたら、素性がバレた詰め甘おじさんはまた仲間に入れてもらえるのだろうか。
そんな僕の心配をよそに、悲哀と満足に満ちた2021年の師走は過ぎて行く。

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