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誕生日を祝われる、について思うこと≪Rebuild≫

以前からやってみたかったこと。
noteで文章を書くことにも慣れてきたので、慣れていなかった頃に書いた、「改めて読んでみるとつまらない、でも本当はちゃんと書きたかった閲覧数の少ない記事」を掘り起こし、再構築(書き直し)します。
再掲とは性格が異なるものの、「過去の記事にも責任を持て!」「ネタ探しから逃げるな!」「書き直したところでつまんねぇじゃねぇか!」とお叱りを受けそうですが、お時間のある方はお付き合いを。
再構築記事のタイトルは、最後に≪Rebuild≫が付きます。
元記事は負の遺産として、しばらくはネットの海の深いところに放置しておきますが、そのうち「しれっと」削除するかもしれません。
今回は『誕生日を祝われる、について思うこと≪Rebuild≫』です。

自分の誕生日を祝われることが苦手だ。

もちろん、僕ごときの誕生日を祝っていただく事自体は嬉しいし、ありがたいとも思う。
思うのだが…


子どもの頃の誕生日といえば、欲しいオモチャを買ってもらえる数少ないチャンスであったし、仮面ライダーになるための変身ベルトを入手する貴重な機会だった。
読者の皆さんにはあまり知られていないことだが、僕は30年以上前の誕生日に仮面ライダーBLACKの変身ベルトをに手に入れている。
順調にいけば…

身長:198.7cm
体重:87kg
ジャンプ力:ひと跳び30m
潜水時間:10分
主な必殺技:
バイタルチャージ、キングストーンフラッシュ、ライダーキック、ライダーパンチ、ライダーチョップ、ライダー投げ、ライダージャンプ、センシティブイヤー、パワーストライプス、ライダーセンサー、サタンサーベル

という身体スペックと必殺技と専用バイクを得ていたはずなのだが、今のところ僕の身体にも持ち物にも変化は見られない。
ベルトの製造過程における不具合なのだろうが、話が違う。

今から製造元に「変身出来ねぇじゃねぇか!」と問い合わせをしたいところだが、2022年配信予定のリビルド作品『仮面ライダーBLACK SUN』の主演が西島秀俊氏に決まったとのニュースを見たので、ここは彼に譲ろうと思う。
西島氏は僕よりも(少しだけ)ハンサムであり、彼の方が先にベルトを入手していた、というような大人の事情なのだろう。
僕は身を引くので、どうか人類の平和のために頑張って頂きたい。


少々脱線したが、僕は次のような場合に誕生日に対し「苦手」を感じてしまう。


リアクションが下手

仕事の書類の関係で、誕生日当日または前後数日間であることに気づいて頂き、「おめでとう」の言葉をかけられる。
ボキャブラリーが貧困すぎるため、「あ、ありがとうございます。」としか返す言葉がない。
「あ、」って何だよ、と心の中で自分ツッコミをするのが常だ。

そして、おめでとうと言われたあとの処理に困る。
「そうなんですよー、誕生日なんですよー。もう〇〇歳ですよー。歳取りましたよー。」
のあとに続くウィットに富んだ会話を義務教育で習っていないので、続け方がよく分からない。

「なんか下さいよー!」か?
いや、違う。
そうじゃない。
厚かましい奴と思われたくないし、貰ったら返さなくてはならないが、この人の誕生日も知らないし興味もない。

「あれ、〇〇さんはいつでしたっけ?」か?
これも違う。
理由はほぼ同上。
興味が無い。

心の中でそっと祝って頂ければそれで充分なのだ。


サプライズが苦手

誕生日付近で設定された飲み会の席には、往々にして何かが漂っていたりするものだ。
ちょっとしたサプライズを仕掛けられている状況。
「これからサプライズするぞ」感がダダ漏れしているのが、敏感な僕には手に取るように分かる。

もちろん知らぬ存ぜぬオーラをきはするが、僕だって数十回の誕生日を経験してきている。
「その日」周辺になれば当然、自分が誕生日さんであることも自覚しながら生活しているのだ。

たまに目撃するが、「あ、オレ誕生日だったんだ!忙しくて全然気づかなかった!もうこの歳になると…」などということは、実際には滅多に起きない。
そんなことを言うやつの9割が嘘つきだと思っている。
本当に気付いていないとしたら、どういう日付感覚で仕事をしているのかと問いたい。
納期は大丈夫か?提出期限は過ぎていないか?
カレンダーや手帳はきちんと確認した方がいい。
山奥で木の幹に日付を刻みながら炭焼小屋で備長炭でも作っているなら別として、きっとそんなやつは「自分の誕生日にすら気付いていない」感をかっこいいと思っているに違いない。
「俺テレビ見ないのよー」「2時間しか寝てねぇわ」「みんなから天然って言われるのー全然そんなことないのにー」という謎マウントを取る人種と近いものがある。
…だから何だというのだ。

サプライズが苦手とは言うものの喜ばないわけにもいかないし、「そうそう、オレ誕生日なの」などという乾いたリアクションをしては失礼である。

そこで人に嫌われたくない僕は渾身の一言をひねりだすのだ。

「えー!!あ、そうか、オレ誕生日だったんだ!忙しくて全然気づかなかった!もうこの歳になると…(以下略)」

散々毒づいている以上、愚かなことこの上ない。
僕は9割の嘘つき側の人間だ。

そして、サプライズパーティーが決行された場合、その場にいる他のメンバー全員のサプライズパーティーを用意しなければならない。
これはいつまで続くのだろうか。
よく知らない人が出席している場合すらある。
よく知らない人だが、スルーするのは不公平というものである。
よく知らない人にサプライズを仕掛けたいという奇妙な気持ちを、僕は持ち合わせていないのだ。
きっとこの よく知らない人も、僕にサプライズを仕掛けることに気が引けたことだろう。
彼からすれば、僕こそが「よく知らない人」に他ならない。
本当に申し訳ない限りだ。


何欲しい?に困る

「何か欲しい物ある?」
この質問をしてきた人物がガッキーだった場合、回答は当然ながら「君との時間」という一択なので特に困ることも無いのだが、質問を投げかけてくるのがガッキーではない場合がほとんどである。

ガッキー以外のやからからこの質問をされた場合、気になるのは以下の点。
・価格帯、予算は?
・具体的に言った場合、「なんだよ厚かましいな」と思われないか?
・仮に欲しいものが「バッグ」「財布」「時計」のようなザックリとしたものだった場合、センスを信じていいのか?
・身につけるものだった場合、一生身に着ける義務は? etc.

こんなことをけるわけもないので、必殺技である「えー、全然そんな気を遣わなくていいよー。あ、じゃあその内なんかメシでも御馳走してよ」を発動し、有耶無耶うやむやにして自分の誕生日を闇に葬るのだ。
誕生した日を葬る、というのも妙な表現だが、とにかく無かったことにするのだ。

本当に必要で欲しいものは自分で買うし、サプライズの件と同様、人の誕生日に手を出すなど、むこう何年間かの茶番を繰り返すリスクに手を出すのと同義だ。
むやみやたらに誕生日を公開するものではない、と僕は思っている。


随分と毒づいたものだが、「誕生日を祝う」ことについては否定的な気持ちなどない。
家族や大事な友人、自分が祝いたいと思う人同士でやれば良いと思っている。
義理チョコならぬ「義理おめでとう」を極力避けていきたいというのが、誕生日に対する僕の考え方だ。

ちなみにこんな駄文を書いている今日が僕の誕生日ではないし、目前に迫っているわけでも何でもない。
こんなことを書いておきながら、そのうち「サプライズで誕生日を祝ってもらいました!ひゃっほう♪」などという文章と共にシャンパンをラッパ飲みしている写真を僕がnoteにアップした時には、どこかに隠された『スキじゃない』ボタンを探し当て、ひとり10回ずつ押して頂ければと思う。

(参考記事)
中身がスカスカの元記事はこちら


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