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『ひびわれ壺』を読んだ感想①

「ひびわれ壺」を読んだ感想です。

『ひびわれ壺』のストーリー
ある水くみ人に運ばれる「ひびわれた壺」のお話。
ひびわれ壺は、すぐ隣にいる「完璧な壺」に比べて、少ない量の水しか運べない自分を恥じていた。
しかし、あるとき、水くみ人に自分からこぼれた水が、通ってきた道に花を咲かせているんだと教えられる。
人と比べて嘆く必要はない。自分で欠点だと思っていたものは、人を幸せにできるものでもあるのだよ・・・と気づかされるお話。



ー感想ー

(本来のお話の伝えたいこととは、ちょっと違った視点かもしれませんが、私の心に響いた形で書きます。)

1.ひびわれ壺の隣にいたのが、完璧な壺じゃなかったら?

ひびわれ壺のすぐ隣には、完璧な壺がいた。

でも、もし・・・

ひび割れ壺のすぐ隣にいたのが、同じようなひび割れた壺だったら?
もっとひびわれの大きい壺だったら?

ひびわれ壺が劣等感を感じることはあっただろうか?

おそらく、なかっただろう。

では、ひびわれ壺の隣に完璧な壺がいたことは、不幸だったのだろうか?

私は、そんなことはないと思う。

ひびわれ壺の隣に完璧な壺がいなければ、水くみ人に自分から漏れた水が花を咲かせていると教えてもらうことはなかった。

欠点だと思っていたことが、何かを生み出せることに気づくことはなかった。

だから、「ひびわれ壺」も必要だったし、「完璧な壺」も必要だったのだ。

そして、「ひびわれ壺」の隣に「ひびわれ壺」がいても良い。
「ひびわれ壺」の隣に「もっとひびわれた壺」がいても良い。

それはそれで、違ったストーリーが生まれて、違った感動が生まれるから。
(想像するだけで、わくわくする)

何ができる、何ができない・・・そんなことは、関係ない。

「自分」と「誰か」がいる。
そこから生まれるストーリーが、生きている証ということだ。


2.息子のこと。。。

息子は、少人数の田舎の学校から、大人数の都市の学校に転校してきた。

以前の小学校にいたとき、息子は根拠のない自信でいっぱいだった。

「将来はサッカー選手になる。得意なことはトラップ」
「放課後、遊ぶ約束してきた!」
「ほら、この漢字だって書けるよ!ばかにしないでよ-」

それが、学校を休み始めた頃にはこんなことを言うようになっていた。

「勉強したくない。ノートをとるのが大変」
「休み時間にドッチボールしたくない。投げるのが下手だから。」
「走るの、男子の中で一番最後かもしれない。」

明らかに、自分への自信・信頼をなくしていた。

転校先の学校は、そろばん、公文、英語、その他・・・
学校の周りに習い事教室がいっぱいあって、習い事は当たり前。
中学受験をする子も多い学校だから、勉強も得意な子が多い。

そして、子ども達の間にも「僕は何ができるよ!」「今日は○○の習い事!」「○級とったよ」と、比較できるもので比較しあう会話が環境いっぱいの環境だった。

転校前も、転校先でも、息子は息子。

なにも変わっていない。それなのに・・・

置かれた環境で、自分の捉え方が変わってしまう。

これは、息子が学校に行かなくなった大きな理由の1つかもしれない。


では・・・

息子が今の学校に転校してきたことは、不幸だったのか???

私自身も、何度も自分に問いかけた。

この子は、大人数で過ごす環境は向いていないのかもしれない。
もとの小学校に戻った方が良いのかもしれない。
どうして転校先を選ぶ時に、少人数の学校を選ばなかったのか。

でも、たどり着いた答えは、「息子は不幸じゃないし、ダメになったわけじゃない」ということだった。

(その答えに私が至ったのは、息子自身の「前の学校には戻らない」「再転校はしない」という言葉を聞いた影響も大きいのだけれど・・・)

どんどん自分の世界を広げて、社会に出て行く息子。

大多数の中のアウェイな状況におかれて、ひどく劣等感を感じる環境に置かれる時って、人生において必ずある。

息子にとっては、それが転校をきっかけに、いきなり襲ってきただけ。

アウェイな環境の中で、自分の価値を見いだせるかどうか。

その力って、生きていく上でものすごく大事。
だけど、なかなか訓練する機会ってない。

息子は、比較させる社会で自分の存在価値を見出せない中で、「何ができる」「何ができない」の基準ではない自分の価値を見出せる。
自力で再度立ち上がる力をつけられる。

そう思った。

ただ、まだ9歳。自力でやるには、大きすぎる課題だ。

だから、私が息子にとっての「水くみ人」になろう。

そう思った。



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