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「肩が凝る」のは日本人だけ!?【寝ながら学べる構造主義】
こんにちは、らるです。
肩が凝る…という言葉
私たちはよく耳にしますよね。
ですが実は、
「肩が凝る」のは日本人だけ
なんです。
これは一体どういうことなのか
面白い話だったので
紹介します。
私たち日本人はすぐに肩が凝ります。
「ああ、肩が凝った」という愁訴はふつうは根を詰めて仕事をしたあとや、気詰まりな人間関係をがまんした後に口にされます。
ところが、「肩が凝る」という身体的生理的現象は、日本語を使う人の身体にしか生じないという医療人類学上の興味深い研究があります。(小林昌廣「肩凝り考」)
たしかに同じ姿勢で長いあいだ作業をしたりすれば、世界中の人は誰だって背中から首筋にかけての筋肉が硬直して痛みを発します。しかし、それを他の国語の人々は必ずしも「肩が凝った」という言い方では表現しないのです。
英語がそうです。
英語にはもちろん「肩」ということばがあり、「凝る」ということばもあります。しかし英語話者は「私はこわばった肩を持つ」という言い方をしません。日本人が「肩が凝る」のとだいたい同じ身体的な痛みを彼らは「背中が痛む」I have a pain on the back.と言うのです。
「肩が凝る」のは日本人だけ
というのは
正確に言えば、日本以外では
「肩が凝る」という表現をしない
ということなんです。
英語では、
同じ姿勢で長いあいだ作業をしたときの
背中から首筋にかけての筋肉が
硬直して痛むことを
I have a pain on the back.
≒「背中が痛む」
と表現するわけです。
面白いですよね。
人間の身体には
本当は同じことが起こっているはずなのに
日本語を使う人は「肩が凝る」し
英語を使う人は「背中が痛む」と
感じているわけです。
私たちのものの見方は「縛られて」いる
この「言葉」の話から分かるのは
「同じこと」でも
社会が違えば「違う表現」をする…すなわち
「違うように感じている」ということです。
私たちの、ものの見方というのは
実はかなりの部分、
自分が属する「時代」「地域」「社会集団」に
左右されてしまっている…んです。
これを掘り下げたのが「構造主義」なんです。
構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。
私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。
あなたにとっての世界の見え方は
実は、あなたが思っているほど
自由ではないんです
時代、地域、社会集団に
無意識のうちに縛られています。
ですから…
「私には、他の人よりも正しく世界が見えている」
…という思いがあったとしても
そこは一度、冷静になって
他の視点を考える必要があるということです。
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