「病気」が与えてくれたもの【ジル・ドゥルーズ著 ニーチェ】
病気、というと
できれば避けたいもの…ですよね。
哲学者ニーチェも病気にかかりました。
激しい頭痛や胃痛、視覚障害、言語障害などに悩まされるのである。彼は教職を断念することになる。
P13
病気になったことで
類まれな才能によって
20代で得ることのできた教授職を
続けられなくなってしまいます。
ですが…ニーチェ自身は
病気に関してこう言っているんです。
「病気が私をゆっくりと解放してくれた。病気のおかげで私は、仲たがいをしなくてもすむようになったし、波風の立つ、厄介な奔走に苦しまなくてもよくなった……。病気は私に、自分の習慣を根本的に変える権利を授けてくれた」
P13
病気のおかげで
習慣を変える権利が得られ
仲たがいをしたり
厄介な奔走からも
解放された…というわけです。
そして、この病気になったことで
ニーチェは、その後世に残した哲学の
本質的な部分に近づいたとさえ
言える…というんです。
彼はむしろ病いのなかに、健康に対する一つの視点を見いだす。そして健康のなかに、病いに対する一視点を見出すのである。
(中略)
健康の価値評価としての病い、病いの価値評価としての健康な時間、ニーチェの行った「転倒」とか「視覚の移し変え」とはこのようなものであり、そこに彼は自分の方法の本質部分を認めている。諸価値の転換へと向かうべき自己の使命の本質的な要素を見出しているのである。
P16
病気になったことで
健康に対する視点が得られ
逆に、健康のなかに
病に対する一視点を見出せる
このような視点を見出したことで
ニーチェは、後にニーチェ哲学として
語り継がれるものの本質
「価値の転換」を見出すわけです。
ニーチェと言えば
「神は死んだ」に代表されるように
「これまで当たり前とされてきた価値」には
本来、絶対の意味なんてない
という「価値の転換」を軸にした
哲学を創りあげた人ですが
そこには「病い」の視点が
大いに役に立っていた、ということですね。
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