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「構造主義」に見る自己分析【寝ながら学べる構造主義】

こんにちは、らるです。

自分がどういう人間なのか

人生の岐路に立ったとき
非常にポイントになる問いですよね。

就職活動でやる自己分析も
まさにこの問いに
立ち向かうためのものです。

今日は、この問いに対する
「構造主義」の答えを
示してみます。

まず「構造主義」とは
という部分を引用しておきます。

 構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。

内田樹.寝ながら学べる構造主義(文春新書)(p.20).文藝春秋.Kindle版.



「私を直観する」ことは、他人たちの中に投げ入れられた「私」を風景として眺めることによってしか成就しないからです。(それは、子どものいない人に内在する「親の愛」や、弟子を持たない先生に内在する「師としての威徳」とかと同じものです。潜在的にはあるのかも知れませんが、現実の人間関係の中に置かれないかぎり、それが「ほんとうにあるのかどうか」を検証する手だてはありません。)
 私たちは自分が「ほんとうのところ、何ものであるのか」を、自分が作り出したものを見て、事後的に教えられます。私が「何ものであるのか」は、生産=労働のネットワークのどの地点にいて、何を作り出し、どのような能力を発揮しており、どのような資源を使用しているのかによって決定されます。自己同一性を確定した主体がまずあって、それが次々と他の人々と関係しつつ「自己実現する」のではありません。ネットワークの中に投げ込まれたものが、そこで「作り出した」意味や価値によって、おのれが誰であるかを回顧的に知る。主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。これが構造主義のいちばん根本にあり、すべての構造主義者に共有されている考え方です。

内田樹.寝ながら学べる構造主義(文春新書)(p.26).文藝春秋.Kindle版.

ちょっと言い回しが
難しい部分があるかもしれませんが

結局のところ

「自分のこと」というのは
「自分がやったこと」を通してしかわからない

という話です。

自己分析では
過去にやってきたことを振り返る

というのは定番の手法ですが
構造主義的な考え方に照らしても
理にかなっている
…ということなんですね。

裏を返せば
自分の隠された思い…とか
隠された潜在能力…とか
行動に現れていない部分は重要でなくて

ただ「行動」に現れているものから
自分が見えてくる…
ということです。


私自身も、キャリアの岐路に
立った時には

子供の頃からの出来事を思い出して

どんな行動をとったか
その時にどう感じたか

それをひたすら振り返りました


すると、どうも私は
「仲間のために何かをする」
という時に力を発揮していた
…ということに気づきました。

学生時代の部活で
熱心な仲間のために
自主練につき合ったり…

大学時代の研究で
共同で研究している人と
成果を出すために
徹夜で実験をしたり…

会社で後輩の仕事を
上手くいかせるために
熱心に勉強して、
自分の仕事が終った後も
残ってサポートをしたり…

こうして書いてみると
自己犠牲的に見えますが
私は、「自分でそうしたい」から
やっていたんです。

そこに気が付いたからこそ
今の人事のキャリアを選んだ…
ということでもあります。


まとめ

主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、
主体の「行動」のうちにある。

再掲

どう「行動」してきたか が
「自分」を現わしている

ここを忘れないようにしましょう。

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