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うつと休職と夜明け

 ドーモ。ブラフ=サン デス。
 ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニーで仕事的なことをしている者だ。noteでは短編の怪談を書いたりしている。
 2020年にうつで休職していた。


発症と休職の始まり

 原因について詳細を書く気はないが、ざっくり言うとプロジェクトが炎上して、自分のタスクの量と上司からのプレッシャーと隣のチームのリーダーの剣幕に圧殺された、みたいな感じだった。
 まぁプロジェクト自体はアサインされる前から絶対にヤバイと分かっていたので特にコメントはないが、休職経験自体は自分の中で風化させたくないので備忘録も兼ねて書き残しておく。

 今回のことより少し前になるが、2019年に第一子が生まれ、2ヶ月育休を取らせてもらった。当時は今ほど男性育休推進イケイケドンドンみたいな雰囲気ではなかったが、男性育休もアリだよね的な雰囲気がジワジワ醸成されてきた頃で、労組も応援してくれて上司もオッケーオッケー頑張れよー的な反応だったので快く休ませてもらった。育休期間中の生活は精神的にも体力的にもかなりキツかったが、子どもは可愛いし育児の大変さを妻と共有出来たので、取って良かったと思う。

 そして育休が明けて会社に戻ったら、新しいプロジェクトが勃興しており、そこにアサインされた。弊社では上層部から管理職から担当へと順に圧力が加わり、最終的に担当の指先からニュルニュルとアウトプットが出てくるトコロテン型プロセスを採用している。またえっちらおっちらバベルの塔をこさえている間に神の矢のごとく隕石が降ってくるメテオ型プロセスにも片脚を突っ込んでいたりいなかったりする。
 プロジェクトが本格始動してからは家に帰るのは毎日22時手前くらいで死んだような顔をして飯を食って風呂に入り、寝て、起きて、人を殺しそうな顔をしながら朝飯を食べて会社に行くという生活をしていた。普段は同僚と食堂で昼飯を食べていたのだが、だんだんと人と話したくなくなり自席で一人でコンビニパンを食べるようになった。家では妻と帰宅時間を巡って喧嘩になったりしていた。妻は慣れない育児をワンオペでこなさなくてはならず、僕も燃え盛るプロジェクトの中を裸足で歩かなくてはならず、お互い限界だったと思う。今後火渡りの業をする人は、気合いで火は涼しくならないということを肝に銘じて、耐火服や消防団の人とかを用意しておいてほしい。まぁそんな余裕のある見積りを出したら上の人にこんなにいらないだろと削られるのですが。

 そうこうしてるうちにどんどん精神的に追い詰められていき、ある日「あ、無理だ」という気持ちが心に浮かんで会社を休んだ。これは心療内科に行かないともう駄目だと自分でも思った。
 そこで職場の産業医の先生と面談することになった。先生曰く「休職するなどしてしっかり休んだ方が治りが早い」とのことで、ここらへんから本格的に休職する気持ちを固めていった気がする。

 実はその頃、妻と息子は妻の実家に一時帰省していて僕は家に一人だった。帰省の前は育児から解放されて家でホラー映画三昧の日々でも送るかワーイと思っており、実際の生活自体も結構気楽だったのだが、会社以外の人と話す機会が減って気持ちの切り替えが出来なくなるので結果的に良くなかったのだろう。
 当時はだんだんと新型コロナも拡大し始めていて、のんびりしてると妻も息子もこっちに戻ってこれなくなるという危惧もあり、迎えに行ってから休養生活を始めた。


休職生活初期

 妻を家に連れ帰ってまず言われたのは「部屋に生活感がない」ということだった。
 生活感がないといってもミニマリスト的なシャレオツな感じではなく、人が突然住まなくなって数年放置されたみたいな荒んだ雰囲気というニュアンスだと思う。
 妻子が帰省していた頃は、晩飯は冷凍食品かスーパーのタイムセール安売り弁当を食べて、シャワーを浴びて即布団に入りスマホで漫画を読む、休日はソファに座ってお菓子を食べながらAmazon Primeで映画を見るみたいな生活をしていた。皿も大して汚れないので食器洗いは4〜5日に1回という感じで、まぁ家族で暮らしていた時よりは荒んでいたと思う。

 薬に関しては、初期はエチゾラムという抗不安剤と、セルトラリンという抗うつ薬を飲んでいた。
 エチゾラムというのはものすごい薬で、マジで何もやる気しねぇとボーッと寝っ転がっていたのが、服薬した1時間後にはやる気が出てきて部屋に掃除機をかけている、みたいな感じだった。
 何だこのすごい薬は、シャブか?と思ったがシャブではない。でも耐性が出来やすいのと依存性があるらしいので、あまり長く飲む薬ではないだろうなと思った。

 初期の頃は週の半分くらいは気分が良くなく、そういう時は妻に家事育児を全て任せて寝かせてもらっていた。
 この頃は腹具合と気分が非常に密結合していて、あぁ今日はマジでツラ……と思いながら過ごしていても飯を食べると食べている最中からモリモリ気分が回復してくる、といった具合だった。なんというか、血中ブドウ糖濃度とかそういう脳内物質的なSomethingの前には理性で気持ちを保つとかそういう試みは無力なんだなと思った。
 あとは腹具合で気分がどうとか言いながら、別に食欲があるわけではなかった。腹は減るし、飯も味覚的には美味しいのだけれど、あぁ〜美味しい幸せだなぁ〜みたいな意味での食の喜びはなかった。妻にも食べてる時の顔が美味しくなさそうとか言われたが、当然料理が不味かったわけではない。まぁでも飯は大事ですよとにかく。

 あとこの辺りで多少転職活動的なことをしていた。
 スキルのミスマッチと志望動機の微妙さとおそらくはうつからくるネガティブ思考により、箸にも棒にもかからなかったというのが感触だったが、よその会社も大して変わらんブラック具合だなというのが分かったのは良かった。
 あと転職活動をしていると診察の際に言ったところ、「うつの時期に人生の大事な決断を下すのは絶対にやめてください」と言われた。後にも先にも診察時にあんな真顔で何かを禁止されたことはなかったので、「アッ...ハ-イ」とすぐさま活動をやめた。

 さらにこの頃ちょっとしたご縁で、月刊イヌ時代という沼津のミニコミ誌に寄稿させて頂いたりした。
 私の記事が載っているのは「月刊イヌ時代 夏の増刊号(2020年7月刊)」です。陰毛について書いた怪文書が載ってます。
 月刊イヌ時代は沼津の書肆ハニカム堂さんだとかエルパシート沼津さんだとかで購入できます。noteでもオンライン版が売ってますよ!

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休職生活中期

 休職して少し経つと結構回復した実感が出て来た。
 世間的には諸々のアレによる外出自粛ですったもんだの大騒動になっていてかわいそうだなと思ったが、僕は毎日がエブリデイだったので特に関係なかった。
 お医者さんに回復してきたことを伝えると、来月から職場復帰するか、という流れになってしまったのでまだ不安ですと伝えて休職延長をしてもらった。
 休職前は自分でも1ヵ月くらい休めば何とかなるっしょ、と考えていたので意外と長引いてるなーと思った。しかし当時は転職面接に落ちたばかりで「自分に価値なんてあるのだろうか」とか考えていた時期だったので、休職延長は妥当な判断だったと思う。

 お医者さんからは復職の基準として以下の3個が示された。
・仕事に遅刻しないくらいの時刻に起きられる
・気分が良い日が2週間以上続く
・仕事に行きたい、もしくは仕事に行ってもいいかなと思える

 この基準の3つ目については、当初は「仕事に行きたいと思える」という条件だったのだが、先生に「仕事に行きたいと思った日なんか入社してこちとらほとんどないんですけど」と言うと苦笑しながら条件を緩和してくれた。マジでウケますね。

 この当時、朝は8時とか8時半に起きていた(弊社は8時半始業なので遅刻タイム)。これはそもそも特に朝早く起きようとしていなかったのと、寝る前に布団の中でスマホを触ってしまい寝つきが悪くなっていたからだと思う。

 この頃になると新型コロナでいよいよ景気がヤバいというムードが漂っており、アメリカでは失業率が過去最高、日本でも非正規雇用やバイトや自営業の人達は生活が……という状況で、そんな中で家でゴロゴロしてるような人間に標準給与の6掛けくらいの額を出してくれるうちの会社はめっちゃ良い会社やんけ、と思うなどしていた。

 薬はエチゾラムをやめてセルトラリンだけになった。薬効いてるかよく分からないですねーみたいなことを医者に言ったらセルトラリンを増量されたのがこの頃だったか。

 1歳になった息子が歩き出したので、靴を買って外で遊び始めた。
 それまでもリハビリを兼ねた散歩を息子とよくしていたが、散歩の場所をマンションの中庭とかの近場にすることが多くなった。
 これは気分転換になって良かった……かな? もともと息子と遊ぶのも外をブラブラするのも好きなので楽しかった。


休職生活後期

 夏!暑い!
 息子もよく歩くようになったので、ちょっとした庭園的な公園とか、噴水で水遊びが出来る公園とか、河川敷が広場になっている川とかによく遊びに行った。
 まぁうちの市は色々と思うところはあるものの、こういう場所があちこちにあるのは非常にありがたい。

 もうこの頃だと通常と変わらないくらい元気になっていた。
 ちょっと前までよくあった気分の落ち込みとかもほとんど無くなっていた。流石に妻に「出会ってきてから今までの中で今が一番元気」とか「(出会ってから)今までずっとうつだったんじゃない?」と言われたのには笑ってしまったが。しかしまぁ休む前は毎日死にそうな顔で帰宅(以下略)だったし、休日も「出かける元気ないです……。寝かせて……」みたいな感じの生ける屍だったのが、まぁそれなりに人間的な顔をしている自覚は自分でもあった。
 あとはこの頃noteを始めて、そこそこ精力的に書いてたのもあったと思う。

 薬は以前と変わらなかったが、お医者さんから以下の指示を受けて実践していた。
・寝る前の1時間はスマホを触らない
・昼寝はなるべくしない。したとしても14時より前にする。30分寝たら切り上げて起きる。
・カフェインは15時以降飲まない

 数ヶ月前から中途覚醒や早朝覚醒らしきものがずっと続いていてそれの対策だったのだが、なんだかんだ今も中途覚醒らしきものはしている。"らしき"というのは、目が覚めても割とすんなり寝られるため、この現象がうつ症状でいうところの"中途覚醒"かどうか分からないからだ。
 そんな感じで中途覚醒らしきものはするものの、日中は割と元気なので僕もお医者さんもそこまで問題視していなかった。


復職

 調子も良くなってきたので、まぁそろそろ復職しやすかぁ〜〜〜みたいな話を上司としていた。
 とはいえまたトコロテン製造器の中に戻るのは無理だったので、チームを移ることにした。
 移った先は同じ課内の別チームで、リーダーも僕が新卒の頃からよく知っている優しい方なので割と安心して戻れた。

 復職前に上司、人事部、産業医の先生を交えて面談して、当面の間は残業禁止・出張禁止・客先対応は直接しない、という制限をつけることになった。
 残業禁止というのは正直助かった。業務の見積もりをする時にも「そのスケジュールは厳しいです」と言いやすい。フレックス勤務は許可されていたので、忙しい日は多少残業して他の日にちょっとだけ早上がりするとか休憩多めにするとか、そういう感じで月のトータル残業時間をゼロ時間にするという柔軟な運用にした。これが残業できるようになると「やれるっしょ」的にドカドカ業務を積まれたりするのでアレです。

 ところで復帰初日に、関係者に「復帰しやした〜〜〜。ご迷惑おかけしやした〜〜〜」とメールしたら、休職前のチームのリーダーが「嬉しいメールが来たから飛んできたよ」と声をかけてくれた。休職中に別フロアに異動になった人だったが(ちなみに異動と僕の休職は関係ない)、わざわざフロアをまたいで会いに来てくれた。仕事では厳しいことを言われたけど、まぁ一応好かれてはいたんだな、と思って少し嬉しかった。

 復帰直後の一週間は精神的にちょっとしんどかったのを覚えている。
 半年休んでいると多少人事異動があってメンバーが変わってたりするので「誰やコイツって思われてないかな」とか「机やメールの整理で一日が終わってしまうので申し訳ねぇなぁー、周りにどう思われてんのかなぁー」とか考えていた。


現在

 今は復帰から半年経過してなんだかんだで楽しく仕事をやれている。
 ちょっとしたプロジェクトにヘルプ要員としてアサインされたり、多少スケジュールがタイトな作業を積まれたり、とある雑用を他の人が忙しそうだから取りまとめ的な感じで回したり、と「これ、大丈夫か? 耐えられるか?」と毎日おっかなびっくりやっている。が、なんとか耐えられている。
 復帰後の業務で新しく学んだことも多く、その度に「面白れぇ! オッヒョ アッヒョ!(グーフィー声)」と思っている。数年前の知識なら多分理解できなかっただろうという技術も、自分で調べたり教えてもらったりしながら割とやれている。もがき苦しんできた日々は効率的とはいえないかもしれないけど、無駄ではなかったんだなと感じる。

 自分でもこんな風に思えるなんてびっくりだが、今は仕事が楽しい。

 そして今定時で上がれる生活になり、家族との時間をちゃんと持ちながら仕事ができている。これは本当にありがたいことだと思う。
 一昔前は残業がクソミソに多すぎて家族との時間が取れず、「母子家庭」と皆が自嘲してた弊社でこんな日が来ようとは。色々問題はあるけど、入社当時と比べると職場環境はどんどん良くなってきている。働き方改革、あんがとな。


おわりに

 僕がうつを発症するより数年くらい前のことになるが、職場で上司と会話していて「皆同じ仕事をしてるのに、何で俺は元気でアイツはうつになるんだ?」と言われたことがある。
 その時僕は「同じ部屋で同じことしてても、風邪になる人とならない人がいるじゃないですか。それと同じじゃないですか?」と答えた。これは今同じ会話になっても、また同じように答えると思う。

 他人から見て分かりやすい身体症状が出にくく、感染するような病原体もないうつという病気を懐疑的に見る人は結構いるはずだ。
「気合が足りないんだ」とか「あいつだけ休んでズルい」とか。

 しかし僕の経験からこれだけは断言できる。
 うつという病気は実在する。そして苦しい。うつ状態の自分と、そうでない自分は全然違う。
 うつの治療に必要なのは休養・投薬・周囲の理解と手助けだ。僕は妻と息子をはじめ、周囲の人に非常に助けられた。もし周りにうつで苦しんでいる人がいたら、決して追い詰めず温かい目で見守ってほしい。
 そしてもし自分が苦しんでいたら、何とか休んでほしい。この病気は気合いだけで乗り切れるものではない。

 この記事は単なる僕の体験談であって、同じようにうつで苦しんでいる人の道標ではない。
 人の数だけ取り得る策があり、休もうとしてもなかなか休めないという状況もあるかもしれない。そういう中で「休職した方がいい」とは軽々しく言えない。
 それでも「休職して、復帰して、なんとか楽しくやれている人間がいる」ということを頭の隅に置いて、選択肢として持っておいてほしい。

 僕からはそれだけ。
 アディオス!


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